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シヴァナンダ ヨガの始めと終わりのマントラ

■シヴァナンダヨガの始めのマントラ(Dhyana Slokas)

Gajananam Bhutaganadi Sevitam
Kapitta Jambu Phala Sara Bhakshitam
Uma Sutam Shokavinasha Karanam
Namami Vigneshvara Pada Pamkajam

ガジャーナナン・ブッタガナディ・セーヴィタム
カピッタ・ジャンブー・パラサーラ・バクシタム
ウマースタム・ショーカヴィナシャ・カーラナム
ナマーミ・ヴィグネーシュワラ・パーダ・パムカジャム

<意味>
ガナス(神々、霊)のリーダーとして仕えられている、象のお顔をしたガネーシャ神よ
果物の木になった果実のエキスを食べているお方
ウマー(パールヴァティ女神)の息子であり、悲しみを破壊してくださるお方
障害を取り除いてくださるガネーシャ神の蓮華の御足にひれ伏します

<解説>
ヒンドゥー教では、伝統的に、はじめにガネーシャ神に障害除去、次にサラッスワティ女神に知性の照明、最後にグル(師匠)へお導きのお祈りを捧げるのがならわしとなっているようです。まず何を行うにしても、まずはじめにガネーシャ神に障害を取り除いてくださるように祈ります。ガネーシャ神がなぜ神々または神群(ガナス)の中のリーダーなのかの解説です。ある日、シヴァ神とその妻パールヴァティ女神は、2人の息子(ガネーシャ神とスッブラマニヤム神)に全宇宙を一周させ、誰が早く戻ってくるか競争させました。クジャクを乗り物とするスッブラマニャム神は既に出発しましたが、一方ガネーシャ神はジッと座ったままで、いっこうに出発する気配がありません。シヴァ神はたまりかねて、ガネーシャ神に「なぜお前は出発しないのだ。」とききました。その瞬間、ガネーシャ神は立ち上がり、シヴァ神とその妻パールヴァティ女神の周りを1周してから、また座りました。シヴァ神は、そのガネーシャ神の行動の意味についてたずねました。ガネーシャ神は、「宇宙はあなた方シヴァ神とパールヴァーティ女神の中にあります。宇宙を一周するということは、あなた方の周りを一周すれば、いとも簡単になし遂げられます。」と答えました。その言葉を聞いたシヴァ神はガネーシャ神の英知を満足し、「ガネーシャよ、おまえに神々のリーダーとしての称号を与えよう。人々はまず、一番初めにおまえを崇め讃えるだろう。」と言いました。

Shadananam Kumkuma Raktavarnam
Mahamatim Divya Mayura Vahanam
Rudrasya Sunam Surasainya Natham
Guham Sadaham Sharanam Prapadye

シャダーナナム・クムクマ・ラクタヴァラナム
マハーマティム・ディヴィヤ・マユラ・ヴァハナム
ルドゥラシャ・スナム・スラサイニャ・ナータム
グハム・サダハム・シャラナム・プラパッディエー

<意味>
クムクムのような深紅の色のお顔をしたお方
偉大な知識をお持ちで、神のクジャクにお乗りのお方
あなたは、ルッドラ神(シヴァ神)の息子であり、神軍の指令官であります
私はいつも、6つのお顔を持つ戦いの神であるスッブラマンニャム神を、避けどころとします

<解説>
スッブラマニャン神に、内外のネガティブな力を破壊する強さを与えてもらうよう祈ります。ヨガにおいて、スッブラマニャム神に祈ることは非常に重要な意味があります。スッブラマニャム神は、『ブラフマンを理解したもの』という意味です。スッブラマニャム神は神話にもあるように、あらゆる阿修羅などを打ち負かした戦いの神様です。この戦いの内的意味、私たちの中にあるエゴや欲望に打ち砕くことの大切さが込められています。そのためヨーガにおいてスッブラマニャム神は、低次元の衝動(エゴや欲望など)を打ち負かす純潔の象徴として讃えます。

Ya Kundendu Tushhara Hara Dhavala
Ya Shubra Vastravrita
Ya Vina Varadanda Mantita Kara
Ya Sveta Padmasana
Ya Brahmaachyuta Sankara Prabhritibhir
Devai Sada Pujita
Sa Mam Patu Saraswati Bhagavati
Nishyesha Jatyapaha

ヤ・クンデンデュ・トゥーシュラハラダヴァラ
ヤ・シューブラ・ヴァストゥラヴリタ
ヤ・ヤーヴィーナ・ヴァラダンダ・マンティタ・カラ
ヤ・スヴェータ・パドマーサナ
ヤ・ブランマーチューター・シャンカラ・プラブリティビィー
デーヴァイ・サダー・プージタ
サ・マム・パトゥ・サラッスワティ・バガヴァティ
ニーシェーシャ・ジャテャパハ

<意味>
白蓮の花や月や雪のように、白い花環を身につけたサラスワティ女神よ
純白の衣装を身にまとい
ヴィーナ(弦楽器)を持たれ、祝福の印をしめされ
白い蓮華に腰掛けておられます
あなたはいつも、ブランマー神・ビシュヌ神・シヴァ神、
ほかの神々からも崇められております
母なるサラスワティ女神よ
無知と堕落を取り除き、ご加護くださるお方

<解説>
私たちは、ただひとつのお祈り『あなたがあらゆる場所に充満し、万物に内在する唯一のシャクティ(力、エネルギー)であると悟る洞察力をお与えください。』と、女神様に捧げなくてはなりません。Dhyana Slokas(ヨガの始めのお祈り)のサラッスワティ女神へのお祈りの章句の、『サ・マム・パトゥ・サラッスワティ・バガヴァティ、ニシェーシャ・ジャテャーパハー(母なるサラッスワティ女神よ、堕落を取り除き、お守りくださるお方よ)』は、実は、充満する神々を悟るための洞察力の享受をお祈りする意味がこめられています。

Om Namah Sivaya Gurave
Sat-Chid-Ananda Murtaye
Nishprapanchaya Shantaya
Sri Sivanandaya Te Namaha
Sri Vishnu Devanandaya Te Namaha

オーム・ナマッ・シヴァーヤ・グラヴェ
サッチダナンダ・ムルタイェ
ニシプラパンチャーヤ・シャンターヤ
シュリ・シヴァナンダーヤ・テ・ナマハ
シュリ・ヴィシュヌ・デーヴァナンダーヤ・テ・ナマハ

<意味>
オーム・ナマッ・シヴァーヤ 、シヴァーナンダ師に帰命いたします
あなたは、存在・純粋意識・至福を完全に体現しておられます
あなたは世俗の中におられながら、常に平安であられます
シヴァーナンダ師を帰命いたします
ヴィシュヌデヴァナンダ師に帰命いたします
(ここでは、師匠に祝福を祈ります)

Om Sarva Mangala Mangalye
Shive Sarvatha Sadhike
Sharanye Trayambake Gauri
Narayani Namostute Narayani Namostute

オーム・サルヴァ・マンガラ・マンガリエー
シヴェー・サルヴァータ・サーディケー
シャランエー・トリャムバケー・ガゥーリー
ナーラヤニー・ナモストゥテー・ナーラーヤニー・ナモーストゥテー

<意味>
オーム、女神様、あなたは、あらゆる吉兆をお授けくださり
帰依者の世俗的・霊的な望みをすべて満たしてくださいます
第3の眼を持つ母なる女神、ガゥリー(パールヴァティ女神)に帰命いたします
ナーラーヤニー(ドゥルガー女神)に帰命いたします
*『シリー・スークタム』より

<解説>
どんな小さなことをなすにしても、母なる女神の祝福を賜らなければなりません。インドの文化においては、霊的にも世俗にも、母(女神)を敬うことが必須となっています。私たちは、母なる女神の胎内に宿る子供です。母親は、胎内に宿る子供が蹴る痛みに愛を持って耐え、さらに出産の激痛に耐えます。母はいつも、私たちが与える過ちの打撃の痛みに耐えています。母はただ、私たちが母の子供であるために、すべてを取り計らってくださいます。母なるドゥルガ女神は、困難に溺れかけている私たちを救いだします。母なるサラッスワティ女神は、英知を授けてくださいます。母なるラクシュミー女神は、衣食住などふさわしい富を授けてくださいます。母なる女神は、私たちが懇願しなくても、私たちにふさわしいものを授けてくださいます。母(女神)の祝福なしには、何も成し遂げることはできません。ヴェーダにも、宣言されています(マートゥル・デーヴォー・バヴァ「母を神として敬いなさい」)。

Om Saha Navavatu, Saha Nau Bhunaktu
Saha Viryam Karavavahai
Tejasvinavadhitamastu Ma Vidvishavahai
Om Shanti Shanti Shantih

オーム・サハ・ナーヴァヴァトゥ・サハ・ノー・ブナクトゥ
サハ・ヴィーリャム・カラヴァーヴァハイ
テージャスヴィナーヴァディタマストゥ・マー・ヴィッドヴィシャーヴァハイー
オーム・シャンティ・シャンティ・シャンティヒー

<意味>
神が私たち師弟をお守りくださいますように、私たちが共に楽しむことができますように
師弟そろって真摯に取り組めますように
学ぶものすべてが役に立ち、いかなる理由であれお互いに憎むことがありませんように
身体・心・魂が平安でみたされますように
『カタ・ウパニシャッド』、『ナーラーヤナ・ウパニシャッド』より

<解説>
このマントラには、実は『神性』に到達するまでには、何もYogaを実践しているときのみでなく、今いるその場所で、『一体性』と『純粋性』を保たなければならないことを戒めています。愛と思い遣りと親切心を持って、日々生活しなくてはいけないこと。敵対する人にでさえ挨拶し笑顔で接し、奉仕すること。取り巻く人々と共に一体となってゴール(解脱)をめざすこと。この3つを実践しなければなりません。

オーム・サハ・ナーヴァヴァトゥ,サハ・ナゥ・ブナクトゥ
「皆で共に進み、共に成長しよう」
サハ・ヴィールャム・カラヴァーヴァハイ
「皆で団結し、共に知性を育もう」
テージャスウィナーヴァディータマストゥ・マー・ヴィッドウィシャーヴァハィーー
「皆で調和を持って、共に暮らそう」
(* これはヴェーダ・プルシャであるバガヴァン・シュリ・サティヤ・サイババご自身がおっしゃっている重要な教えでもあります)


■シヴァナンダヨガの終わりのマントラ(Maha Mrityunjaya Mantra)

Om Tryambhakam Yajamahe
Sugandhim Pushtivardhanam
Urvarukamiva Bandhanan
Mrityor Mukshiya Maamritat

オーム・トリャムバカム・ヤジャーマヘ
スガンディム・プシュティヴァールダナム
ウルヴァールカミヴァ・ヴァンダナーム
ムリッティオー・ムクシャー・マームリタット

<意味>
オーム 第3の眼を持つ3界おわすシヴァ神にお祈りします
あなたは芳香となって充満し、私たちに滋養を授けて下さいます
熟したキュウリが茎に付いていながらも、茎から離れているように
この世にいる私たちにどうか、生死の輪廻から解放し、不滅をお授けください
『シリー ルッドラム -ナマカム-』

<解説>
この章句は膨大なインドの聖典ヴェーダの真髄である、シリー・ルッドラプラシナハの2章句(無執着の側面を象徴するナマカムと、願望の側面を象徴するチャマカムがある)の内のナマカムの一部から抜粋しています。ナマカムはパワフルーなエネルギーを持ったシヴァ神(ルッドラ)へ世界平和と解脱を求める非常にパワフルなマントラです。
シヴァナンダヨガのクラス終了後の最後の一連のお祈りは、膨大なインドの聖典ヴェーダの真髄をギュッと閉じ込めています。世俗の健康や長寿や富のみでなく、神聖な遍在認識や照明までも祈願します。非常に強いエネルギーを持った神聖なマントラです。最初と最後のお祈りは、サンスクリット語で初めて聴く方々には難しく感じられるかもしれません。無理に唱えようとしなくても大丈夫です。サンスクリット語のリズムやメロディーの響きをハートで感じることで、心身そして魂の昂揚を感じることができ、霊的なめぐみを得ることができます。もちろん、唱える先生は正しく発音をすることが必須となります。

Om Sarvesham Svastir Bhavatu
Sarvesham Shantir Bhavatu
Sarvesham Purnam Bhavatu
Sarvesham Mangalam Bhavatu
Sarve Bhavantu Sukhinaha
Sarve Santu Niramayaah
Sarve Bhadrani Pasyantu
Ma Kaschid-Dukha-Bhag-Bhavet

オーム・サルヴェーシャーム・スヴァスティール・ヴァヴァトゥ
サルヴェーシャーム・シャンティール・バヴァトゥ
サルヴェーシャーム・プールナム・バヴァトゥ
サルヴェーシャーム・マンガラム・バヴァトゥ
サルヴェー・バヴァントゥ・スキナハー
サルヴェ・サントゥ・ニラーマヤー
サルヴェ・バドラニ・パシャントゥ
マ・カスティド・ドゥカ・ヴァッグ・バヴェット

<意味>
オーム すべての人が、幸運を授かりますように
すべての人が、平和でありますように
すべての人が、何不自由なく満たされますように
すべての人が、繁栄しますように
すべての人が、幸せでありますように
すべての人が、無気力から解き放たれますように
すべての人が、他者から神を見だせますように
誰も不幸で苦しんだり悲しむことがありませんように

Asato Ma Sat Gamaya
Tamaso Ma Jyotir Gamaya
Mruthyor Maa Amritam Gamaya

アサトマー・サット・ガマヤ
タマソーマー・ジョーティール・ガマヤ
ムルットョーマー・アムリタム・ガマヤ

<意味>
非真より、真実へと、お導きください
暗闇から、光明へと、お導きください
死を超えて、不滅へと、どうか神よ、お導きください
『ブリハド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』より

<解説>
このマントラ実は、深遠な意味があります。
Asato Ma Sat Gamayaは「自分と家族・友人や取り巻く人々への平和の祈り」。
Tamaso Ma Jyotir Gamayaは「全世界への平和の祈り」。
Mruthyor Maa Amritam Gamayaは「三界(地界・アストラル界・天界)への平和の祈り。この祈りだけは神の恩寵なしには得られません」。

Om Purnamadah Purnamidam
Purnat Punamudachyate
Purnasya Purnamadaya
Purnameva Vashishate
Om Shantih Shantih Shantih

オーム・プールナマダ・プールナミダム
プールナット・プールナムダチャテー
プールナシャ・プールナマーダーヤ
プールナメーヴァー・バシシャテー
オーム・シャンティ・シャンティ・シャンティヒ

<意味>
オーム、あれは充満、これも充満
充満から、充満があらわれ
充満から、充満を取り出したとき
再び残るものは、充満なり
(神はプールナ・タットワ、満の具現である)
身体・心・魂が平安でみたされますように
<『イーシャーヴァースヤ・ウパニシャッド』より>

<解説>
神は満の具現であり、プールナ・タットワと呼ばれています。これは神をひとつに限定してはならないことを意味します。ブッダ、アッラー、キリスト、シヴァなど、宗教などによって神はあらゆる名前で呼ばれますが、神じたいはひとつです。ヴェーダの中に、『真理(神)はひとつですが、賢者は様々な名前で呼びます』はまさにこれを言っています。同時に、『全宇宙は神で満ちている』、『神は万物に内在する』、『その手足、目耳、頭口を万物に行き渡らせ、神は全宇宙に遍満している』、これらヴェーダやバガヴァッド・ギーターの言葉が、このマントラに集約されています。

愛と優しさをいっぱいありがとうございます!