見出し画像

ヴェーダは人類の幸福と平和の鍵

画像1

シヴァナンダヨガのマントラでもおなじみの、ヴェーダについての解説です。ヴェーダは、莫大な霊的知識のことです。ヴェーダは、地上界・アストラル界・天界の3界、さらには過去・現在・未来の時間を貫き、決して変わることがない真理であり英知そのものです。ヴェーダの章句は、純粋な心で唱えることにより、繁栄と幸福と平和と安全を授けられます。

ヴェーダは聖典の中では、人類最古の書物です。しかしながら、ヴェーダは人類の幸福に寄与する目的のため、古代インドの聖なる師匠から弟子へと、何代にも渡り口頭により、語り継がれてきました。ただ、語り継がれたのではありません。グル(師匠)がヴェーダの讃歌を唱え、それを弟子が集中して聴き、同じ発音やリズムやメロディーと波動で、正しく唱えられるよう何度も練習し真似して習得しました。そのため、シュルティ(聴かれるもの)とも言われています。

この世のあらゆる学識やダルマ(正義、正しい行い)、医療や教育や科学や音楽、さらにヨガでさえも、元々の起源はヴェーダから発しています。ヨーガ・スートラの中のヨーガの八支(アシュターンガ・ヨーガ)のヤマ・ニヤマ、つまり、しなければならないこと・してはならないことも、ヴェーダではっきりと宣言されています。要するに、ヴェーダを唱えることにより、利益など願いが叶えられ、悪いことを避けることができるということです。

ヴェーダの章句は、サンスクリット語で唱えます。そのため多くの人々は意味を理解できないですが、聴いていて気持ちいいと感じた方は多いかと思います。意味がわからなくても、ヴェーダの波動を聴いて心地よくなるだけでも、ご利益があります。私のクラスでも、ヨガよりも、むしろマントラをききにきている方も何人かいらっしゃいます 。

古代インドのサンスクリット語は、神の言語ともいいます。この世で最初にできた言語です。純粋な気持ちで唱えると、マントラの章句の意味通り世界が動いていきます。なによりも、ヴェーダを唱えている人自身の想いと言葉と行動が浄化されていきます。さらには、空間、大気も浄化されていきます。

ヴェーダは神の声そのものです。人々がヴェーダを学び、規則的に唱え、教えを実践するならば、人類はあらゆる富や幸福や平和を得ることができます。これは、世俗的な幸福、霊的な幸福の両方を含みます。ヴェーダはありがたいことに、国籍、宗教、老若男女、身分、仕事、大人子供など、一切区別しません。誰でも唱え、学び、実践できます。これは、誰でも、幸福になる権利があるということです。

ヴェーダは、いつどこから始まったのか?という疑問が起こるかと思います。ヴェーダは神が直接発したもので、、無始無終で、永遠です。人類が誕生したとき、言葉や知識と一緒に、ヴェーダが顕現したといわれています。それを、深い静寂と平静の中で瞑想していたリシ(賢者・聖者)が、神からインスピレーションを得て聴き、声明しました。

ヴェーダのマントラを唱えることにより、得られるものは計り知れません。まず、汚れた大気を浄化します。世界では、数々の戦争や争い、不正や混乱、怒りや憎しみや嫉妬などがあふれています。そのため、水・空気・土・食べ物・海、あらゆるものが汚染されています。純粋な心でヴェーダを唱え、神の栄光を歌うことは、3界を貫き、大気などあらゆるものを浄化します。これは真実です。

私の個人的経験から、ヴェーダのマントラを唱えることにより、意味のない言動はしないようになります。例えば、私は以前、デパート巡りが好きでしたが、今は明確な買物の目的がない限り、デパートにはほとんど行かなくなりました。時間とお金の無駄使いは、人生と奉仕の機会の喪失を意味するからです。さらに、無駄話や長電話などもしなくなりました。また、余計な物質的なものを持たなくくなったり、自分にとって有害な人や悪い影響を及ぼす人なども、自然と避けることができるようになりました。

目に見えない、怒りや憎しみや嫉妬や、さらにエゴや欲望も、捨て捨て去らなければなりません。ヴェーダの章句やマントラを唱えたり、バジャンを歌うことは、それらを助けます。何よりも、心地よく、気持ちもポジティブになり、やる気に溢れます。さらに、何かをする際に、物事のメリットとデメリットを、冷静に慎重に考え、失敗や危険やトラブルを避けられるようになります。

膨大なヴェーダに圧倒された人々は、学ぶのにも疲れやる気をなくしました。そのため、聖者ヴェーダ・ヴィヤーサが人類の福祉と幸福を考え、人々が近づき学びやすくできるように、膨大なヴェーダを4つに分けました。そうして、ヴェーダは、リグ・ヴェーダ、ヤジュル・ヴェーダ、サーマ・ヴェーダ、アタルヴァ・ヴェーダの4つのヴェーダに編纂されたのです。特徴は、リグ・ヴェーダは、神の御名やマントラなど讃歌です。ヤジュル・ヴェーダは、主に供儀や祭祀の詳細が語られています。サーマ・ヴェーダは、マントや賛歌などにリズムやメロディーを付けた音楽です。アタルヴァ・ヴェーダは、行法・呪法に重点が置かれ、悪や困難を回避するために、ヨーガの実践や正しい行いを教えます。

そうは言っても、ヴェーダ文献はあまりにも膨大で、一生内ですべてのヴェーダを唱えて理解するのは困難です。ですので、聴いていて気持ちいいもの、意味がすごく心に響くもの、そういったヴェーダの章句やマントラは口に出して唱えることにより、サンスクリット語独特の強い波動と神の恩寵により、物事がその章句やマントラの意味通りに動いていきます。

シヴァナンダヨガのマントラでいえば、モクシャ・マントラ(オーム・トゥリャムバカム・ヤジャマヘー♪)やシャンティ・マントラ(アサトー・マー・サット・ガマヤー)、サハナー・バヴァトゥー、そしてオーム・プールナ・マダー・プールナ・ミダム♪などのマントラや章句は、ヴェーダの神髄がギュッと凝縮されていてとても重要です。

私自身、個人的に好きな『ナ・カルマナー』や『ルッドラム』なども、聴くだけでなく、唱えていても気持ちいいです。おそらく、誰が唱えても、どのヴェーダのマントラや章句を唱えても、心を込めて行えば想いと言葉と行動が浄化されていくでしょう。

日本語の言霊に慣れている私たちにとっては、サンスクリット語であるヴェーダの章句を唱えることは、本当に至難の業です。ここで、うまく唱えるときのコツをお伝えします。以前、茨城のサイ・バジャン会に、南インドのサイ大学の卒業生らインド人が参加された際に教わったコツです。バジャンでもマントラでもそうですが、サンスクリット語を唱えるときはまず、うまく唱えている人のヴェーダをしっかりと聴きます。それから自分の口で棒読みでもいいので真似して、ひとつひとつ単語の発音を唱えてみるのです。この時にはまだ、メロディーやリズムを入れません。なめらかに単語を発することができるようになったら、初めて章句として唱えたり、リズムやメロディーを乗せる練習をするのです。それを繰り返すことで、章句は独特のリズムと節を帯び、サンスクリット語の強いエネルギーを放ちます。あと、ワクワク感と熱意と忍耐が必要なことは言うまでもありません。

ヴェーダの章句、マントラの吟唱、そしてバジャンの唱歌が、正しくかつ純粋で信愛を持って行われることにより、それじたいが深い瞑想そのものになり、心と身体が打ち震えて鳥肌が立つほどの体験が得られます。これは私自身の個人的体験からも真実であり、何よりもインドの太古の聖典にはっきりと宣言されています。

愛と優しさをいっぱいありがとうございます!