617海2

お母さんのこと

私を育ててくれたのはお母さんだった。お父さんもいたけれど、お父さんは家庭を顧みない人だった。家にいてもお酒飲んでテレビ見てるだけだった。他にも理由はあるけど、ほんとにクズな内容なので今は書きたくない。

お母さんは私のことをかわいがってくれたけど、一方で意地悪な人だった。私が褒められるようなことをしても真っ直ぐに褒めてくれたことはなかったと思う。次の瞬間には劣等感を感じさせるとか罪悪感を感じさせるような一言を必ず発した。褒め方もクセがあるというか。手放しに褒めることはしなかった。

反抗期になったらいつも口答えばかりしていた。ずっとケンカ腰だった。たぶん、小さい頃から認めてくれないっていう不満の蓄積だったんだと思う。それはお母さんがガンになって倒れるまで続いた。私が会社に入って一人暮らしして、わざわざ一人暮らしの家に来てくれて夏休みを過ごしてくれても、私は気に入らないことを文句言い続けていた。それはとても悲しいことなのだけど、今振り返ってみても、あの頃の私はそうするしかなかったんだとしか思えない。毎日毎日続く家庭と言う密室で自信をなくさせたり罪悪感を感じさせるような呪いの言葉ばかり浴びせられたらそうなるのも仕方ないと思う。経験してる人は分かってくれると思うけど、そうじゃない人は何を甘えたこと言ってるんだ、って思うんだろうな。勝手にそう思っていてよ。私がどんなに悲しかったことなんか分かってもらわなくたっていいから。

お母さんと幸せで仲良かった、みたいな思い出で最期を終えられなかったことはとても悲しい。傷になってる。お母さんのこと、嫌いじゃなかったし、お父さんより好きだし、何よりも死んでほしくなかった。もっと生きてると思っていた。人ってすぐ死んじゃうなんて知らなかった。死にそうだったのにどうして抗がん剤を拒んでカラオケ発表会の方選んだの。もっと生きてたら何年も発表会できたじゃない。お父さんのこと嫌いだったのに、最後に好きなふりしなくてよかったのに。ばかじゃない。悲しいよ。

お父さん、お母さんが死んだあとすぐにお母さんの生活用品捨てちゃったんだよ。事務処理みたいに。1週間後に行ったらもう捨てられてた。

私はもっと優しい両親のもとに生まれたかったよ。ごめんね。もし来世があるなら他人になるよ。もう会わないよ。新宿駅ですれちがうみたいなくらいでちょうどいいよ。すれちがいたくもないかも。その頃私は幸せにただ幸せしか知らない人として生きるから。

育ててくれてありがと、でも、もっと大切にしてほしかった。




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