孤独な死を迎えさせたのは何か

お母さんは、田舎のお医者さんの娘でだからお金持ちの名士のお嬢さんだったのだ。でも、なぜか横浜の父のとこに嫁ぐことになって。お母さんは、お父さんの猿顔のとこが気に入ったと言っていた。

お嬢さんで育ってきた母、きっと素敵な結婚生活を夢見ていたに違いない。優しいお父さんに何不自由なく育てられた女の子だった。

端的に言うと、父はDV男だったのだ。お正月に寿箸がないと言って当時どこも空いていない町に探しに行かせた人だ。この話は母から聞いた。父は「そんなことも知らないのか」や「お前のせいだ」などどなったり人格否定の言葉を毎日投げかけた。結婚した当初からおかしいと母は思ったに違いない。そんなことを思うと泣けてくる。

そんな環境で母は余裕をなくしていって、姉と私の二人の娘にも冷たく当たるようになったりする。料理をしていたら「邪魔だ」と言ったり、毎日毎日、姉妹を否定するような言葉ばかりかけるようになった。「一人でいるとせいせいする。一人が一番だ」とよく言っていた。それで、姉妹はこの人は一人が好きなんだ、と思うようになった。

母は67歳の時にがんになった。末期がんの手前だった。その時に家族が集まった。私のために家族が集まった、とうれしそうにしていた。正直私はそんな母が不思議だった。家族みんなの悪口をいい、一人が一番と言っていた母がみんなが集まったらうれしい、んだ。と。

でも、母の看病のために通ったのは私だけだった。週に3、4回は顔を見に行ってそばに座って話したりした。でも、その時も冷たい態度だった。そんなことを繰り返していてだんだん私も病院に行かなくなった。土日も行かなかった。たまに、土日に行った時に「他のひとは土日になると家族とか友達とか来てる」と言っていたけど私はいつも一人がせいせいすると言っていたのに。と思った。そう思うくらいみんなのことを邪険にしていたのだ。

母は亡くなってしまったが、こんな悲しい結末を迎えさせたのは父だと思えて仕方がない。精神的なDVを繰り返した父が孤独な死を母に迎えさせたと私は思っている。


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