運のいい日ー玄鎭健(ヒョン・ジンゴン)

著者死後50年以上経っているパブリックドメインの作品でしたので、翻訳してみました。
原文:https://ko.wikisource.org/wiki/%EC%9A%B4%EC%88%98_%EC%A2%8B%EC%9D%80_%EB%82%A0

つんと曇っている様子が雪が降りそうな感じがしたが、雪は降らずに凍りかけの雨がじめじめと降ってきた。
この日こそ、東小門前で車夫をしていたキム・チョムジには久方ぶりに訪れた運の良い日だった。都城内(そこも城外ではなかったが)に入るという隣の奥方を電車駅までお送りしたことを皮切りに、もしや客がいるかと停留所でウロウロしながら降りてくる人一人一人に縋るような視線を送っていたら、ちょうど教員みたい背広の人を東光学校まで送ることになった。
初客に30銭、次は50銭ー朝っぱらから珍しいことだった。それこそついてなさすぎて10日ほどお金を見たことすらないキム・チョムジとしては10銭の白銅貨3枚、または5枚がチャリンと掌に落ちる時、涙が出るほど嬉しかった。しかも今日この時にこの80銭というお金が彼にとってどれほど役に立つだろうか。乾いた喉を濁り酒で潤わせることもできる上、それより病んでいる妻にソロンタンを一杯買ってあげられるのだ。
妻が咳き込み初めてもはや1ヶ月余りが経った。粟飯すら食べられる日より飢える日が多い家計で、薬はもちろん一度も飲ませたことがない。あえて薬を買おうとすれば買えないこともないだろうが、彼はその病というやつに薬をあげて送り出すと、味をしめた奴がずっと来るという自分自身の信条をあくまでも信じ込んでいた。従って医者に診てもらったこともないので、どんな病なのかも分かりかねるが、寝たきりで起きるどころか寝返りも打てない様子を見ると重症は重症らしい。ここまで酷くなったのは、10日前粟飯を食べてもたれてしまったからだ。
その時も、キム・チョムジが久しぶりに稼ぎができて、粟1マスと10銭分の薪1束を買ってあげたら、キム・チョムジの感想に夜と、そのクソ女があたふたと鍋に煮出した。心ばかり急いでしまって、火も通ってないそれをくそ女がスプーンはやめて素手で握りしめて両ほっぺが拳みたいに膨らむほど、誰かが奪いにでも来るように口に突っ込み入れてたら、その夜から胸焼けがする、お腹が苦しいと眼を回しながら癲癇し始めた。そこでキム・チョムジは狂ったように怒り出し、
「えいっ、クソ女、福がないのは仕方ないんだ。飢えて病になるし、食べても病になるし、どうしろっていうんだ。なぜ目をちゃんと合わせられない」と、キム・チョムジは病人の頰を叩いた。目は多少合わせられるようになったが、涙が見えた。キム・チョムジの目頭も熱くなった。
この病人がそれでも飽きなかったのか、3日前からソロンタンの汁が飲みたいと旦那にせっついた。
「この馬鹿めが!粟飯すら食えない奴がソロンタンは、また食っては発作でもしようと」と、怒り出してもみたが、買って上げれない気持ちは、楽にはなれなかった。
やっと、ソロンタンを買ってあげれる。病の母の隣でお腹が空いたと泣き出すゲトンイ(3歳児)におかゆを買ってあげれる。ー80銭を握りしめたキム・チョムジの気分は空にも登れそうだった。しかし、彼の幸運はそこで止まらなかった。汗と雨水が混ざって流れる首筋を油袋が尽きた木綿で拭きながら、その学校の門を出ていたところだった。後ろから『人力車!』と呼ぶ音がした。自分を止めた人がその学校の学生だとキム・チョムジは一目でわかった。その学生ははなから『南大門停留場までいくら?』と聞いてきた。
多分その学校の寮に住んでいる人で、冬季休みで実家に帰るつもりだろう。今日行こうとしたが雨は振り出し、荷物はあるのにどうしようとしたところで、キム・チョムジを見て走り出してきたのだろう。さもなければ何故靴をきちんと履かずに引きずっては、たとえ譲り受けたのか自分の体には合ってないものでも背広を着てるのに、傘もささずに雨に降られながらキム・チョムジを呼びかけたのだろう。
ーーー
「南大門停留所までですか」と、キム・チョムジは言葉を間を置いた。それはこの土砂降りの中にあの遠方までじゃぶじゃぶと行きたくはないからだろうか?最初の、2回目のでもう満足したから?いや、決して違う。おかしくも相次ぐこの幸運の前に戸惑ってしまったからだ。そして家を出る時に聞いた妻の頼みが心を重くした。隣の奥方から呼ばれた時、病人はその骨しか残ってないような顔に唯一生き物みたいな珍しい大きさの凹んだ目に哀願の眼差しをしては『今日は出ないで。お願いだから家にいて。私がこんなに苦しんでいるのに……』、聞こえないぐらい小さい声で呟いては息を荒くした。
その時、キム・チョムジは大したこともないと言わんばかりに、『こら、役立たずが、わけわからんことばかり言いやがって。お手手握り合っていると、誰かがご飯を食わせてくれるんか?』と、飛び出ようとしたら、病人は掴もうとするのか腕を振りながら、『今日は家にいてってば...だったら早く帰ってきて」と、詰まった声が続いた。
停留所までと言う言葉を聞いた途端、痙攣しているように震えている手、目立つ大きさの目、すぐにでも涙を流しそうな妻の顔がキム・チョムジの目の前をよぎった。『で、南大門停留所までいくらよ』と、学生は焦り出したように、車夫の顔を見つめながら独り言のように、『仁川行きが11時と、次は2時だっけ』と呟いた。
「1円50銭でいかがです」この言葉が自分も気づかないうちに、キム・チョムジの口から出た。自分の口から発した言葉なのに、自らもその恐ろしい額にびっくりした。一気にこんな金額を口に出したことは、いつぶりだろう!そしてそのお金を稼ぎたい勇気が、病人への心配を消してしまった。まさか今日中にどうにかなるだろう、と思った。何があっても、第一、第二の幸運を掛け算したことよりも尚更倍以上大きいこの幸運を逃すわけにはいかないと思った。
「1円50銭は高すぎると思うのだが」こう言いながら、学生は首を傾げた。
「そんなことございません。里数を考えると、ここからそこまで4・5里は超えます。また、こんな雨の日には割増して下さらないと」と、ニヤニヤと笑う車夫の顔には隠せない喜びが溢れ出した。
「じゃぁ、その通り支払うので早く行きましょう」寛大な幼い客はそんな言葉を残して、そそくさと着替え、荷物をまとめるために部屋へと戻った。
その学生を乗せてはキム・チョムジの足元はおかしいほど軽かった。走るといより、飛んでいるような感覚だった。車輪もなんだか早く回るというよりは、まるで氷上を滑る【スケヱト】のように滑り出しているようだった。道は凍った上、雨まで降っているので滑りやすくはなっていたが。
やがて引きずる者の足が重くなった。家の近くに来てしまったためだ。今更の心配が彼の胸を締め付けた。『今日は出ないで。私がこんなに苦しんでいるのに……』という言葉が耳元で鳴り出した。そして病人の凹んだ目が恨んでいるように自分を狙っている感じがした。そしてゲトンイの鳴き声が聞こえるようだった。ひく引くと息が詰まった音が聞こえるような感じがした。「なんだ、汽車を逃してしまう」と乗った者の焦った叫びがやっと彼の耳に聞こえた。ふと気がついたら、キム・チョムジは人力車を握ったまま、道端に止まっていたのではないか。
「はい、はい」と、キム・チョムジはまた走り出した。家が遠くなるにつれ、キム・チョムジの足元はまた楽しくなっていった。足を早く動かせば、耐えなく頭に浮かんでくる全ての不安と憂いが消え去るかのように。
停留所まで送ってから、驚きの1円50銭を自分の手に握りしめると、自分で言った通り10里にもなる道を雨に打たれながらびしゃびしゃと走ってきたことなど頭になく、ただででももらったかのようにありがたかった。成り金にでもなったかのように嬉しかった。自分の息子ぐらいにしか見えない客に何度も腰を曲げて「言ってらっしゃいませ」ときっちり挨拶をした。
しかし空の人力車をカラカラとこの雨の中に戻っていくことは考えてなかった。労働で流した汗が冷めると、植えた胃袋から、ずぶ濡れの服からじわじわと寒気が襲ってきて、1円50銭がどれほど良くて、どれほど辛いものか切々と沁みてきた。停留所を離れる彼の足元には全く力がなかった。全身から力が抜け、直ちにその場に倒れて起きれなさそうだった。
「くそったれ!こんな雨に打たれながら空の車をガラガラと戻っていくのかよ。クソ雨はなんで他人の顔を投げてくる!」
彼は怒り出し、まるで誰かに反抗するかのように叫んだ。その頃、彼の頭には新たなひらめきがあり、それは『こうやって戻るんじゃなくて、この辺りを徘徊しながら汽車を待ったらまた客を乗せられるかもしれない』という考えだった。今日は運がおかしいほど良いから、そんなまぐれがまたないとも思えない。相次ぐ幸運がまるで自分を待っていると賭けをしても良いぐらいに信じ込んでしまった。だとしても、停留所の車夫が怖くて、停留所の前に止まるわけにはいかなかった。
しかし彼は前にも何回かやったことがあるため、停留所前の電車駅から少し離れた、人が通う道と電車路の間に車を停めておいて、自分はその周りを徘徊しながら状況を探ることにした。やがて汽車は到着し、数十人にもなる客が停留所から流れ込んできた。その中でも客を物色するキム・チョムジの目には洋髪に踵の高い靴を履いて、【マント】まで羽織った、売れない遊女か、あばずれの女学生かと思われる女性の姿が目に付いた。彼はそっと彼女の側に近づいた。
「お嬢様、人力車はいかがでしょう」
その女学生か何かは、当分余裕げに偉ぶるような顔で口を開けずに、キム・チョムジを見ぬふりをしていた。キム・チョムジは物乞いのようにずっと気配を探りながら、「お嬢様、停留所の奴らよりずっとお安くお送りいたします。お宅はどの辺りでしょうか」と、気さくげにその女性が持っていた和風柳行李に手を伸ばした。
「なんなの?めんどくさい」声を雷みたいに上げては、そっぽ向いてしまう。キム・チョムジはあれれと後ずさった。
電車が来た。恨めしくも、キム・チョムジは電車に乗る人を狙っていたのだった。しかし彼の予感は間違いなかった。電車がぎゅうぎゅうに人を引き詰めて動き始めた時、乗り切れなかった客が一人いた。結構大きめのカバンを持っているのを見ると、多分混み合っている車両の中で荷物が大きすぎると車掌から追い出された雰囲気だった。キム・チョムジは側に行った。
「人力車乗りませんか」
しばらく料金で口論をした末、60銭で仁寺洞まで乗せていくことになった。車が重くなった途端、彼の体はおかしいほど軽くなり、やがて車が軽くなった途端、体が重く、それにどこか焦ってくる。家の状況が目の前にぶら下がり、もう幸運を願う余裕もなくなった。木片みたいに、もはや自分のでもないように感じてくる足を呪いながらずっと走るしかなかった。
ーーーー
あんな酔っ払った車夫がこんな雨にどうやって帰ろうとしてるの、と道端ですれ違った人々が心配をするほど、彼の足は焦っていた。曇った雨の空は薄暗く、もう黄昏時みたいだった。昌慶苑の前に辿り着いてから彼は息をついて、ゆっくり歩き始めた。一歩、一歩と家が近くなるにつれ、彼の心はやけに穏やかになった。しかしこの穏やかさは安堵から来たのではなく、自分が襲われた恐ろしいほどの不幸を知り尽くす時が目の前に来たことを恐れる心からきたものであった。
彼は不幸に辿り着く前の時間を少しでも稼ごうとモゾモゾし始めた。奇跡に近い儲けができたという喜びをできる限り長く楽しみたかった。彼はウロウロ四方を見回った。その姿はまるで自宅ー即ち、不幸に向けて走っていく足を自分ではどうしようもないから誰でも引き止めて、救ってくれとばかり叫んでいるようだった。
そんなところ、偶然道端の居酒屋から彼の友人、チサムが出てきた。彼のシワシワと太った顔は酔いで赤く染まって、顎から頬までをヒゲが覆っており、黄色く痩せきって、溝も深く顎の端っこに松葉のようはヒゲが数本生えているキム・チョムジの姿とは奇妙に対照的であった。
「おい、キム・チョムジ、君門内に入って着たところだろう?稼いだはずだしこっちで一杯しないか」
デブがガリを見たとたん叫んだ。彼の声は体型とは違って、優しく親切だった。キム・チョムジはこの親友に出くわしたのがこれほども嬉しいとは思わなかった。命を救ってくれた恩人なんかみたいにありがたくもあった。
「君はすでに飲んでいたようね。君も今日の稼ぎがよかったのかい?」と、キム・チョムジは満面に笑みを見せた。
「こら、稼ぎがなくても飲めないことはないだろう。ところで左半分がまるで水風呂にでも浸ったかと思うぐらい濡れてるな。早くこっちにきて乾かしなよ」
居酒屋の中はポカポカして暖かかった。秋魚湯を沸かしている釜の蓋を開けるたびにふんわりと浮かぶ白い蒸気、網の上で焼かれていくトクカルビや肉やレバー焼きやホルモンに干しダラやチヂミ…がごっちゃに並べられているテーブルを前にキム・チョムジは急に飢餓感を感じた。そこにある全てを食べ尽くしても足りない気分だったが、とりあえず飢えた者は量の多いチヂミ二つと秋魚湯を一杯頼んだ。
空の腸は食べ物の味みをした途端どんどん空腹を感じ、もっともっと運べと言っているようだった。一瞬で豆腐とドジョウの入った湯を水のように飲んでしまった。3杯目を受け取った時には大盛りのマッコリ二杯もきた。チサムと一緒に飲むと、長らく空いていた胃袋がピリピリと刺激され、顔が火照った。大盛りをもう一杯飲んだ。
キム・チョムジの目はすでに焦点を失い始めた。焼き網に置いてあった餅二つを適当に切り、頬を頬張りながらまた大盛り二杯を水のように飲み干した。
チサムは驚いたようにキム・チョムジを見ながら、「おい、まだ飲むのか。もう4杯めで、金では40銭だぞ」と注意した。
「こいつめ、40銭がなんだと言うんだ。今日はすごい稼ぎだったんだ。強運だったんだよ」
「それでいくらを稼げたんだ?」
「30円を稼いだんだ。30円を!チクショウ、なんで酒をくれないんだ?良いぞ良いぞ、全部食べても構わない。今日山ほどお金を稼げたのに」
「あ、もう酔っ払ったのか。やめよう」
「おい、これっぽっち飲んだだけで酔う俺かよ。もっと飲もう」とチサムの耳を引っ張りながら酔っ払いが叫んだ。そして酒を飲んでいる15歳ぐらいの坊主頭につっかかり、「この野郎、なんで酒を注いでくれないんだ」と怒鳴った。坊主頭はひひっと笑い、チサムと視線を合わせ、質問しているような気配を見せた。酔っ払いがそれに気づき怒り出し、「このくそったれどもが、金がないとでも思ってるだろ」と叫びながら腰のところを探り、一円札を坊主頭の面前に握り出した。その勢いでいくつか銀銭が何枚落ちてきた。
「おい、お金が落ちたぞ。ぞんざいに扱うんじゃない」こんなことを言いながら、一変落ちた金を拾う。キム・チョムジは酔っ払った中でもお金の行方を探しているかのように目を見開いて地面を眺めてはいきなり自分がやっていることがあまりにも汚らわしいと言わんばかりに首をふりもっと声を上げては「ほらみろ、この汚いやつどもめ。これでも俺に金がないか?足の骨を折っても気が済まないね」とチサムが拾ってくれたお金をもらい、「このかねったれが!くそったれったお金が!」と暴れる。投げられたお金はまた酒を温めているヤカンに落ち、正当な罰を受けていると言うようにカランと泣き出した。
大盛り二杯は注ぐ間も無く消えていった。キム・チョムジは唇とヒゲについたお酒を吸ってから満足げにその松葉ヒゲを撫でながら、「次も注げ、次も」と叫んだ。
また一杯飲み干してからキム・チョムジはチサムの肩を叩き、ふと笑い出した。その笑い声が大きすぎて、居酒屋のみんなの目がキム・チョムジに向かった。笑った者はもっと笑い出しながら、「おいチサム、俺が笑える話を一つしようか。今日客を乗せて停留場まで行ったんだよ」
「それで」
「行って、空のまま戻るには勿体無くて。それで電車停留場でうろうろしながら客を一人載せようとしたんだ。そこでちょうどマダムだかお嬢だかがー最近アバズレとお嬢の見分けがつかなくってー『マント』を纏っては雨に振られて立ってたんだよ。こっそり近づいて人力車乗りませんかと手荷物をもらおうとしたら、俺の手を振り切っては『なんなの?めんどくさい』と。まるで鳥のさえずり声だった!はっは」
キム・チョムジは妙にもまるで鳥のような声を出した。みんなが一斉に笑った。
「けち臭いちゃっかり女。誰が手を出そうとでもしたのか?『めんどくさい』貧のない声」
笑い声が大きくなった。しかしその笑い声が消える前、キム・チョムジはしくしくと泣き始めた。
チサムは呆れた顔で酔っ払いを見ながら、「さっきまでは狂ったように笑い出して、なぜまた泣くのか」
キム・チョムジは鼻をすすりながら「女房が死んだんだ」
「何?奥方が亡くなった?いつ?」
「こいつ、いつはいつよ、今日」
「酔っ払いが、嘘だろ」
「嘘は何が嘘よ。本当に…家内の死体をほっといて酒をがぶ飲みしている俺なんか死ねばいいのに、死ねば」とキム・チョムジはわんわんと音を出して泣いた。
チサムは多少興が冷めた顔で、「もう、こいつったら本気なのか嘘なのか。だったら家に行こうよ」と泣きじゃくっている者の腕を引っ張った。
チサムの腕を振り払ったキム・チョムジは涙が滲んだ目で満面に笑みを浮かべた。
「お亡くなりは誰が亡くなったっていうのか」と意気揚々。
「死ぬどころか、しつこく生きているわい。あのクソ女がご飯をなくしているほどだよ。俺に騙されやがって」と子供みたいに拍手をしながら笑う。
「こいつめ、本当に気でも狂ったか。俺も奥方が病という噂は聞いたんだ」と、チサムもある程度不安を感じているかのようにキム・チョムジに帰宅を進めた。
「死んでない。死んでないってば」
キム・チョムジはイラッとして確信に満ちた顔で声をあげたが、中には死んでないということを信じようとする気配があった。やがてにはピッタリ一円分まで大盛りを飲み干して出てきた。雨は依然として降っていた。
ーーーー
キム・チョムジは酔いの途中でもソロンタンを買って家についた。家と言えども、もちろん借家だし、また丸々借りたわけでもなく、本邸と離れている部屋を一つ借りただけで、水を汲んでくる仕事をしながら月一円を出していた。もしキム・チョムジが酒気をまといなかったら、一歩大門をくぐり抜けた時にそこを支配している恐ろしいほどの静寂ー嵐が過ぎた後の海みたいな静寂に足が震えただろう。
ゴホッゴホッと咳き込む音も聞こえてこなかった。ゴロゴロする息の音も聞こえなかった。ただこの墓場のような沈黙を遮るー遮るというより一層沈黙を深め不吉にさせるムッとした深い音、子供が乳を吸っている音が聞こえてくるだけだった。もし聴覚が敏感な人ならその吸っている音は吸っているだけで、ゴクゴクと喉を通る音はしなかったので出て来ない乳を吸っていると察したかもしれない。
もしくは、キム・チョムジはすでにこの沈黙を想定いたかもしれない。出なかったら門を潜ったところでいきなり「このクソ女、旦那が帰ったのに顔すら出さない。この女め」と怒鳴り続けたのが怪しい。この怒鳴りこそ自分の身を襲ってくる恐ろしい気配を追い出そうとする空威張りだったわけだ。
とにかくキム・チョムジは部屋の門をガラッと開けた。吐き気がするほどの臭気ーボロボロの蘆の茣蓙下から出てくる埃の匂い、洗ってないオムツからする小便と糞の匂い、色とりどりの服の匂い、病人の汗が腐った匂いが混ざった臭気が鈍ったキム・チョムジの鼻を刺した。
部屋に入りながらソロンタンを置いておく間もなく、酔っ払いはありったけの声を上げた。
「このクソ女、昼夜を問わず寝込んでばかりいると良いか?旦那が来ても起きようともしない」と言いながら、足で寝込んだ者の頭を蹴った。しかし足に引っかかったのは人の肉ではなく、木の破片みたいな感じがあった。吸っている音がアンアンと泣き出す音に変わった。ゲトンイが吸っていた乳を離して泣き出した。泣き出したと言っても、全顔をしかめて、泣いている表情をしているだけだった。アンアンという音も口から出しているわけではなく、まるで腹のなかから出ているようだった。泣いて泣き出しては喉も潰れ、もうなく気配もなくしたようだった。
足で蹴ってもその甲斐がないのを見て、旦那は妻の頭の元に走って来てそれこそ散髪になっている患者の髪の毛を握って降りながら、「この女、声を出せよ!口がくっついてしまったか、このクソ女!」
「…」
「あれれ?何も喋らない気か?」
「この女、死んだのか?なぜ何も話さない」
「…」
「ううん?また返事がない。本当に死んだのか」
やっていた途中、寝ている者の上を向いている目を見ては、「この目!この目!なんで俺を見ずに天井だけ見てる、うん?」という言葉の最後には水気があった。そして生きている者の目から落ちた涙の塊が死んだ者のこわばっている顔を潤した。ふとキム・チョムジは狂ったように自分の顔を死んだ者の顔に擦り付けながら呟いた。
「ソロンタンを買って来たのになぜ食べれないんだ、なぜ食べれないんだ…今日はおかしいほど!運が良かったのに…」

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