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ゲイの人生の幸福論

 社会人になり早3ヶ月も過ぎ、未だ研修の癖して週3日出勤になってヒイヒイ言ってる私だが、先日初めて会社飲みなるものに参加した。が、早々に来なければよかったと自責の念とらわれた。

口を開けばあいも変わらず下ネタのオンパレード(これは私がゲイだから面白くないだけだが)、勝手な身の上話とプライドの高いマウント合戦。

しまいには私が一番嫌う路上での意味のわからない上司待ち、その後の通行人を一才排したかのような歪な楕円を作り謎の一本締め。

いい加減その意味のわからない、他人に迷惑のかかるような、自分本位な脳みそを一から叩き直してやりたいと思いつつ私は耐えられなくなり一次会で抜け出した。

早々に抜け出し疲労感と共に電車に揺られ1人悲壮感を漂わせながら物思いに耽っていた。

 かく言う私も、この飲み会でお酌をし、へこへこ頭を下げて上司のつまらん身の上話を最大の笑顔で聞き、先輩の介抱をして、体裁を整えようとしているあたり、この社会という荒波でまがいなりにもプライドという糞どうでもいいものを引き下げて生きているんだなとしみじみ感じた。

 さらに思考を深く持っていくと自身にもそのプライドが原動力になっている節がありとても嫌気がさした。

いい企業に勤めろだとか、年収は高くだとかそう言った部分に突き動かされ、資格の勉強をし始めたり、自己啓発本を買ったり、上司に媚びを売る。多くのノンケの場合それが単にプライドだと分かっていても代替財として、妻帯者になり、子を作り、子孫を残し安定した生活を送り自身の爪痕を残すことでいい人生だった。と死の間際には言えるのかも知れない。

 しかし私はゲイであり子孫も残せず、現在恋人もおらず何もない。ゲイでも恋人と生涯寄り添う事に心血を注ぎ、それが生きる糧となり人生の幸福と呼べるものになる人もいるかも知れないが、私は多分そう言った類の人間ではないため、良い人生だった。と言うためには残りの仕事、もしくは他の活動においての人生の集大成を見つけるしかないとは思っている。

つまるところそのような余計なプライドを脱ぎ捨て、最高の人生だったと言えるようにするしかないと、改めて考えた。今週末は特に予定もないためにゆっくりと幸福論や、大学のときに答えの出なかった自己分析、人生設計もろもろ考えながら物思いに耽ろうじゃあないか。

そんなことを思いながら新宿三丁目C7通路を抜け夜のネオン街に足を運んでいた。

 こんな取り止めもない話ではありますが読んでくださりありがとうございます。いいね、コメントお待ちしてます。

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