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眞葛焼講演会①

🍵ようこそこんばんは!宮川香山推しnoteは、
毎週木曜日に更新しています。
良ければいつでも、遊びにきてください🐉
🍵今回はかなりボリュームもりもり🏔なので、
①~③の第三回にわけてご紹介したいと思います。
2時間弱の講演でしたが、大変密度の濃いお話ばかりで、大興奮の体感10分でした。

🍵では今日もひとり言から始めます。
目次からお好きなトピックスをお読みになれますのでどうぞご活用くださいませ。

今日のひとり言

いきなりですが、
「おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!」
というドラマをご存知でしょうか。「おっパン」と略されるこの作品は、練馬ジムさん原作の同名漫画を、ネプチューンの原田泰造さん主演で東海テレビがドラマ化したものです。

泰造さん演じる昭和の堅物お父さんが、息子との接し方をきっかけに現代社会の新常識に考え方や生き方をアップデートしていく物語です。

私が注目したのは、「おっパン」のロケ地です!
このドラマ、センター北でたくさん撮影されているんですよ!!

提供のタイミングでごめんなさい……
モザイクモールのMが見えます。
泰造さんが歩いているココもほら!セン北からみなきたウォークに出た所です🚶

めっちゃ地元で嬉しいです🎵🎵
この辺です。

横浜市営地下鉄グリーンライン線💚とブルーライン線💙両方に跨っています。地元民にセン北と略される、とても便利な街です。

この都筑区は子どもの頃から育った私の庭でして、私の眞葛焼青春小説の舞台になっています。このセン北で主人公はプロポーズするのです💗

宮川香山は中区桜木町の辺りが地元なので、よくよく考えたら眞葛焼小説の舞台は都筑区で良かったのかな……と最近揺れています。

山本さんによる眞葛焼講演会

「開港都市横浜が育んだやきもの 眞葛焼」

2024年2月25日に開催された横浜歴史博物館主催の特別講演会に行ってきました。
登壇された講師の山本博士さんは眞葛ミュージアムの館長さんで、以前、宮川眞さんへの取材をミュージアムにお願いした時に取り次いで下さったご縁で知り合いました。

山本さんは、横浜眞葛焼研究の第一線にいらして、既に500点以上の眞葛焼を海外から里帰りさせ各美術館博物館に多く寄贈している横浜眞葛の最大の貢献者と言われ、さらに山手西洋館(133番館)の復元・保全を行っていらっしゃる横浜の著名人であり、横浜の老舗三陽物産の社長もなさっている、横浜の造詣に止まらず眞葛愛の深い、お人柄も大変朗らかで気さくな、とても素敵なお方です。

今回の講演会の内容は山本さんが新たに発見した資料を含む、全100枚超えの貴重な写真資料などのスライドを見ていきながら、横浜の興り、宮川香山の背景にある歴史のうねりやその各エピソードのフカボリなどを丁寧にご説明されていました。

山本さんと眞葛焼

山本さんの物語を聞く事ができて嬉しかったです。とても知りたかったので。山本さんの「香山とわたし」というわけです。
物語は、人の動力源の一つです。
香山の物語と同様に、山本さんの物語も重要だと思うのです。

山本博士さんと香山の物語。

山本さんは本町小学校出身。
15才の時、南太田に引っ越し、初めて眞葛焼を美術館で見る。
窯の場所を調べた。
すると、自宅から5分の場所に眞葛窯跡があった。
しかし、町の人はその話を一切しない。
こんなにすごい人が地元にいたのに、
なぜ誰もその話をしないのだろう。
それが眞葛焼を守りたい気持ちに繋がっていく。

山本さんは正に眞葛誕生の地で生まれ育ったのでした。
彼が眞葛焼普及に目覚めたのは、地元民ですら知らないという危機感からのようでした。そして今彼は、誰よりもその危機感を行動に移し、眞葛博士として眞葛焼の「幻」という冠を外す最大の功労者となったのです。

山本さんのお話は、自己紹介から横浜の興り、そして街の変遷に移ります。

横浜の歴史的背景 埋立地と高島遊郭、神奈川台場

・1859年の開港時、横浜村の人口は482人だった。そこから一気に1万越えの大都市へと変貌していく。

明治5年の鉄道開通(横浜新橋間)スライド表示→海を埋め立てて造ったと一目瞭然。海を横切るように鉄道のレールが敷かれている。
・この辺は高島遊郭だった。立派な建造物で、自家用発電装置もあった。
この遊郭は外聞もあり(現在のポートサイド地区に)、移転する。
その跡取り息子である山口 仙之助(やまぐち せんのすけ)が箱根に外国人専用の宿泊施設富士屋ホテルを開業。高島遊郭と建築の外観に類似点があるという考察もある。

・神奈川台場は近代の横浜の名残がある
(いいサイトがあったので、講演内容の補助に引用します)。
https://kanagawadaiba.com/daiba/
「公益社団法人 神奈川台場地域活性化推進協会」から上記引用

戦いで使ったことは一切なく、祝砲や礼砲のために使われた。
開港の翌年にこの神奈川台場は勝海舟によって設立。諸外国との日米修好通商条約締結を期に、更なる防衛強化が必要だとして築かれた。

日本最古のガス管、ハワイ大王の来航、そして眞葛窯と日枝神社

・日本最古のガス管が本町小学校(山本さんの母校)の別棟建設の際、発掘された。今は跡形も残っていない。
・ハワイの独立を望み来日したハワイのカラカウワ大王を横浜港で迎えた。大王は明治天皇の離宮にも行った。

・眞葛窯は横浜日枝神社(ひえじんじゃ)の近くにある。大岡川も近い。
当時の写真のスライド表示。とても和やかな風景。子どもたちが川で水浴びをしている。
今では川に入るのは考えられない……
・大岡川が土の運搬や海外輸出にとても便利だった。

万博の仕組みと香山、事業家としての香山

・当時の万博は販売が肝要。売れないと評価されない。売上が評価に直結する。
眞葛焼はめちゃくちゃ売れた。なので評価された。しかしそれはつまり他国に作品が行ってしまうということ。海外万博に出品した30年もの間、売れるものを作り続けるという、香山のニーズの読みの正しさ、飽きの来ないデザインの追究、事業家としての才の高さがこのことからも読み取れる。

眞葛ミュージアムには800点を超える所蔵があります。山本さんの里帰りさせた作品は数知れないのです。私財を注いで眞葛に尽くしている山本さんの郷里愛香山愛は本当に果てしないです。尊敬です……

戦争の傷跡そのあまりの深さ

昭和20年5月29日
横浜大空襲で、戦闘機が517機来た。
438500個の焼夷弾が落とされた。
アメリカ軍のターゲットの一つに日枝神社があった。そしてその近くに眞葛窯もあった。
当時100万人超えていた横浜市民は、この戦争で60万人程度まで減った。つまり40%程度死亡している。

このお話のあとあたりでした。
もし、眞葛焼が閉窯していなければ、きっと横浜の誇る産業の一つとして、今もその名を轟かせただろうというお話を山本さんはされていました。
戦争が眞葛の未来を奪いました。その過去はもう、消えません。
でも、今も眞葛焼の作品は存在して、今なお私たちの心を打ちます。

🍵記事を最後までお読み下さってありがとうございました!!
🍵横浜の宝、宮川香山のこと、どうか覚えていってください。

🍵山本さんの講演会、またどこかでやると思います。あなたも是非聴きに行ってみてはいかがでしょうか。とても貴重な写真とワクワクするようなお話が盛沢山で、特に横浜市民の方は知っている場所の歴史が深く分かるので、とても楽しく知見が広がりオススメです。



参考資料:今回、講演会で山本さんがお話されていた内容をメモしたものから多く引用しました。
山本さんから情報の引用のご許可は事前に頂いておりますが、ご指摘を頂きましたら、この記事はすぐに削除致します。

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