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眞葛焼講演会②

🍵ようこそお越しくださいました🐉
真葛焼の開祖、宮川香山を愛で普及したいnoteの更新日は、毎週木曜日です。
いつもは3分ですが、今回はちょっとモリモリなので、全文読破に5分は、かかります。🙇

🍵今回は前回に引き続き、山本博士さん登壇の講演会の記事の第2回になります。

🍵では今日もひとり言から始めます。
目次からお好きなトピックスをお読みになれますのでどうぞご活用ください。

今日のひとり言

眞葛焼の特徴の一つ、高浮彫の難しさを肌で感じるため、彫刻表現の独学研究を今しているのですが、陶芸教室に通うには資金面が厳しいので、普通硬度の油粘土を買って動物の彫刻に挑戦しています。同じ粘土という形状でも、やはりちょっと性格が違います。

今のところ大分ヒドイ……一応、子猫です。

3代香山が帝国猟友会の役員で、工房でたくさんの動物を飼っていたという話があります。
その中にはクマもいて、いずれはトラをも飼おうとしていたそうです。
いずれも表情豊かな動物の表現のためにしていたことで、初代から熊を飼っていたのかは分かりませんが、初代香山の代表的な作品である『氷窟ニ白熊花瓶』に表現されている白熊は、とても愛らしい顔つきとプリッとしたおしりをしているのです。

香山作品の殆どの意匠は動植物ですが、時代のニーズという以上に、動物も植物も大好きだったんでしょうね、香山先生……

山本さんによる眞葛焼講演会②

「開港都市横浜が育んだやきもの 眞葛焼」

2024年2月25日に開催された横浜歴史博物館主催の特別講演会に行ってきました。
登壇された講師の山本博士さんは眞葛ミュージアムの館長さんです。
この山本さん、とってもスゴい方なので、「横浜モンテローザ」「眞葛焼」「山本博士」で検索してみてください。テレビや新聞など様々なメディアで活動を紹介されている、横浜の著名人です。

今回の講演会は2時間弱にぎゅっと横浜と眞葛焼の魅力が詰まっていて、横浜市民にはワクワクが止まらない内容でした。

前回の講演会記事は山本さんのお話をメモした順に箇条書きにしましたが、今回は、私が初めて知った情報を中心に感想も添えてピックアップしてご紹介しようと思います。

業態の変化と香山作品の購入者

・明治9年、眞葛の窯場の火災をきっかけに、窯の所有維持も、香山は自ら担うことになる。この頃は細工をメインに作っている。
・明治10年、第一回内国勧業博覧会の時に、ヘチマの高浮彫の壺を、明治天皇がそのお手を触れられたとある。そしてその作品は、大久保利通が購入したそうだ。

香山は現場の全ての工程を管轄すると
同時にプレイヤーでした。
香山作品に触れたり購入したりする人が
スゴすぎです。

高浮彫の作り方詳細

粘土で素地を作る。花瓶なら花瓶の外形をしっかりとつくる。
乾燥させないよう気を付けながら、細工部分を作る。
一旦素焼き。次に透明釉をかけて本焼。
更に絵付けして焼き、その後金彩を用いて焼く。
焼成は4回。多い時は6回窯に入れていた。
その度の収縮率の問題で割れる可能性もある。これを薪でやっていた。恐ろしい……

何度も本焼していた事を今回初めて知りました。
多分、最後の焼成まで器たちの
サバイバルだったんでしょうね……

・高浮彫は注文から納品まで1、2年はかかる。海外のニーズも変わっていく。清朝の磁器が人気になってきたのを受け、香山は磁器釉薬も自力で開発。

注文がどのようなサイズで
個数なのか分かりませんが、
眞葛窯の精鋭たちが分業であたっても
2年かかるってヤバ過ぎです。
求められている物が相当精巧で、
なおかつサバイバルですからね……

顔料の調合とその難易度

・顔料は各家の秘伝。
岩石を砕き、媒溶剤、希釈液、これらを調合して作る。
焼く時の酸素量、温度で発色は変わる。
2色、3色、4色と、色彩が複数に亘る作品は(つまり一つに入れるということ)、そのそれぞれの色彩の発色条件を合わせるための調合が必要になる。(1300度で全て発色するように調合する)

複数発色させる方法を今まで
知らなかったのですが、
なるほど、条件を完全に一致させる……
コロンブスの卵です。

世界で顔料調合の開発競争があった。
香山のライバルはコペンハーゲン(コペンハーゲンが青ざめる位香山は凄いとの評価もある)、マイセン、ガレ。
香山はアールヌーヴォーにも影響を受けている。海外で流行っている日本の伝統美も折衷していた。

万博で海外作品の美品に並んでも
惚れ惚れする香山作品。
売れに売れた眞葛焼です。
きっと香山はどの代表技術にも強い思い入れはないだろうと山本さんは言っていました。
香山にとって、高浮彫も釉下彩も、
チャレンジしてそれが成功する過程に興味があり、
認められた時にはもう新しいものを
作りたくなっている人だろう、と。
その考察が、とても腑に落ちました。
きっと香山は自分の功績に泥んでいる人
ではないでしょう……

失われた釉薬調合 琅玕釉花瓶の凄さ


「琅玕釉蟹付花瓶」
この色は横浜真葛窯のオリジナルカラー
で琅玕という中国の宝玉をイメージして
作られた、当時では斬新な色彩です。
釉薬の調合は困難でそれを記した
資料があったといいます。
しかし、昭和20年の横浜大空襲で
失われてしまい、
現代にその技術は遺されていません。

・眞葛ミュージアムの鑑賞券にもその写真が使用されている琅玕釉の蟹の水指は、香山の遺作で、山本さんが一番好きらしい。
・二代のけばけば発言の答が、この作品であるのだろう。
日本古来の沈んだ雅致と高浮彫が、喧嘩しないで穏やかに据わっている。

山本博士さんのご著書にはこの作品がよく出てきます。
本当に美しい作品ですよね。
これの変形ハガキ3枚くらい持っています。

眞葛窯の痕跡が消えた

・山本さんの弟の友人が、眞葛窯跡地の上に家を建てていた。
それで眞葛窯跡の発掘研究が出来た。
昔は階段の痕跡とレンガ壁の痕跡があったが、階段、レンガ壁と、順に消えていった。

山本さんは、たびたび眞葛窯跡に訪れては、
レンガ壁に触れて香山に
想いを馳せていたそうです。
ある日訪れた際それが消えているのを発見し、
その時、山本さんの胸に走った淋しさと
痛みはどれ程だったでしょう。

伊藤若冲と宮川香山の類似点

美術史家・美術評論家の山下裕二先生が、伊藤若冲の真骨頂である枯れた蓮の表現、氷柱や 木の枝、穴に居る熊や猿などの表現に香山との類似点を指摘。香山は若冲の作風を手本にしていたという考察となった。

この山下先生は、山本さんのお知り合いだそうで、
ご本人からそのお話を伺ったそうです。

🍵記事を最後までお読み下さってありがとうございました!!
🍵横浜の宝、宮川香山のこと、どうか覚えていってください。
🍵今週末日曜日、眞葛ミュージアムと久保山墓地に友人と行ってきます。



参考資料:今回、講演会で山本さんがお話されていた内容をメモしたものから引用しました。山本さんから情報の引用のご許可は事前に頂いておりますが、ご指摘を頂きましたら、この記事はすぐに削除致します。

琅玕釉蟹付花瓶の画像元リンク:Eミュージアム大阪ホームページ

https://www.emosaka.com/museum/miyagawakouzan/meihin/kanituki/

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