ゆらぎの定理について

詳細ゆらぎの定理と言う非平衡統計力学で重要だとされている定理があります。最近、ヨビノリさんの動画

を見たので、前々から思っていたことをなにか書こうかと思いました。(詳細)ゆらぎの定理はざっくり言えば「順過程が起こる確率と逆過程が起こる確率の比はエントロピー生成の指数 $${e^{-\sigma} }$$で与えられる。」というものです。動画を見ていただければどういうことを議論しているのかわかると思います。

私は非平衡統計力学の専門家ではないのですが、この定理を(他の物理の命題に比べて)「とてもすごい」ともてはやす感触が理解できないでいます。確かに、上の命題の形で聞くと、あるいは動画を眺めると「とてもすごいこと」を言っているように思います。しかし、実際に何を主張しているのかを正確に書くと、私には主張は自明に感じてならないのです。その気持ちを整理して書いたのが以下です。

正確な主張を一歩ずつ追っていきましょう。以下で、口語的な意味では、(簡単な場合の)証明も与えていると思います。まず、セットアップとして(逆温度が $${\beta}$$ の)熱浴と接触した力学系があります。この系はエネルギー保存と時間反転対称性を持っているとします。今、熱浴の始状態は熱平衡状態とします。そこで、力学系が熱浴と接触後にある運動 $${\Gamma}$$ をして、その力学系がエネルギー $${\Delta E}$$ を熱の形で熱浴に渡すことを考えます。 熱浴の終状態は熱平衡ではありません。この運動が起こる確率を順過程の起こる確率 $${P(\Gamma)}$$ とします。この確率はどこから来るかと言うと、特定の運動 $${\Gamma}$$ を起こすような熱浴の状態をうまく取ってくる必要があって、その確率が熱浴のカノニカル分布で与えられるとし、その確率を持ってきます。始状態として熱浴が熱平衡にあったという仮定から、$${E_{\Gamma}}$$ をこの特定の運動が起こった時の熱浴のエネルギーとして、ちょうど $${Z^{-1}e^{-\beta E_{\Gamma} }}$$ です。

さて、逆過程を考えますが、今、終状態の熱浴は熱平衡でないと言いました。詳細ゆらぎの定理に出てくる逆過程の確率とは、この熱平衡でない状態を逆過程の始状態とするのではありません。ここで一旦、話をご破産にして、力学系は終状態の時間反転した状態を初期値にするのですが、熱浴は逆温度 $${ \beta}$$ の熱平衡に取り直します。この先程とは異なるセットアップで、時間反転した運動 $${\Gamma^t}$$ が起こる確率は?と問うわけです。その確率の起源は、やはり熱浴の熱平衡の仮定からカノニカル分布にあります。しかし、今度は同じ温度でありながら、エネルギーが $${E_{\Gamma'} = E_{\Gamma} + \Delta E}$$ の熱浴の状態を引いてこないと逆運動ができません。その確率は熱浴の初期状態のカノニカル分布から、$${Z^{-1} e^{-\beta (E_{\Gamma} + \Delta E )}}$$ です。時間反転対称性を仮定したので、熱浴がこの初期状態を引いてくれば逆運動ができることになります。よって、順過程と逆過程の確率の比は熱浴の初期状態の確率の比で決まっていて、 $${e^{-\beta \Delta E}}$$ となります。熱力学的な考察から、この後に熱浴が熱平衡になったとすると、エントロピー生成を $${\frac{Q}{T}}$$ つまり $${\beta \Delta E}$$と定義するのが自然ですから、(古典力学のレベルで)詳細ゆらぎの定理が示されました。

つまり、よく言われるように(上の動画でも言っていますが)動画を逆再生したときの起こりやすさの比を考えているというのは(熱浴から状態を引いてきた後のミクロの意味では正しいけれど)誤解を招いているように思えますし、そんなすごいことを力学に関して何も仮定せずに言えるとは思えません。実際には、エネルギーが高い初期状態を同じ温度のカノニカル分布から引いてくるのは難しいということを言っているだけです。というわけで、私はゆらぎの定理のすごさを(この形では)理解できないのですが、ファインマンも言っているように、数学の定理というものは理解できた瞬間に自明に見えるので、もともとそういうものなのかもしれません。

ちなみに、詳細ゆらぎの現論文にもここで書いた解釈が書いてあるので、現論文の著者は私と同じ意見であったと理解しています。

ここでは古典力学で議論しましたが、量子力学でもほぼ同じです。特に、順過程も逆過程も熱浴は初期値としてカノニカル分布の密度行列を仮定して、それがエントロピー生成を説明します。

(追記)でもゆらぎの定理を使って熱力学の第ニ法則が示せるならそれでいいじゃん、というかもしれませんが、この定理は熱浴がこの操作の後に熱平衡になることを示していないし、そんなことはこれだけの仮定では示せないので、正確な意味での熱力学の第ニ法則の証明にはなりません。もちろん、熱平衡になるのはもっともらしいので、これで十分良いという考えもあります。


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