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転身・転職成功者たちへ聞く、自分らしく働くということ #4 井瀬麻帆里

転職・転身・独立を経験し、自分らしい生き方を選択した女性にフォーカスする本企画。
第四回目のゲストは、外資系投資会社から在日ジョージア(旧グルジア)大使館へ転職後、現在はフリーランスのエグゼクティブアシスタントとして活躍する、井瀬麻帆里さん。
就職前は「経済に疎かった」と話すも、堪能な英語を武器に着実にキャリアアップを続け、今年からフリーランスとしての新たな生活をスタート。24歳でLander Inc.を起業したMutsumiとは対象的にも見える道のりですが、対談を通して『人との出会い』がキャリアに変化をもたらしたという共通点も。 今回は井瀬さんに、フリーランス転身のきっかけや経験から学んだキャリアアップの心構えを代表 Mutsumi Leeが伺いました。

◆Profile◆
井瀬麻帆里/エグゼクティブアシスタント(秘書)/20代/
拠点:東京
外資系投資会社から在日ジョージア(旧グルジア)大使館へ転職。今年フリーランスへ転身し、エグゼクティブアシスタントとして、孫泰蔵氏が創業メンバーに名を連ねる事業化支援エッジ・オブ(EDGE of)に勤務。

《転職のきっかけは、偶然の積み重ね》
Mutsumi(以下、M):まず、最初に勤めた会社について聞かせて下さい。なぜ投資会社に勤めようと思ったのですか? 

井瀬:私、実はすごく数字が苦手で…。経済も全く勉強したことがなく、正直関心のある業界ではありませんでした。ただ就職活動をした2008年は、リーマンショックの後だったこともあり、本当に仕事がゼロに近いくらい無くて大変な時期でした。そこで派遣会社と政府がタッグを組んだ学生と企業を繋ぐプログラムに応募をすると、英語ができることが目に留まったようで、声を掛けて頂きました。仕事内容というより、会社の方々の人柄に惹かれ、就職を決めました。

M:仕事内容として、どのような業務を行っていたのですか?

井瀬:調査部で海外支社から送られてくる経済レポートを翻訳したり、市場データを集めて簡単なレポートを作るなど。基本的にはデスクワークが多かったです。

M:6年も勤めたら、世界の経済状況やお金について随分詳しくなりますね。井瀬さん自身は投資などしていますか?

井瀬:始める前よりは詳しくなりましたが、投資は全くしていません。その会社の代表に「余るくらいお金があるなら投資もいいかもしれない。それでも、後々損することがあると想定しておいた方がいい」と言われ、投資は考えなくなりました。

M:代表にそう言われたら、気軽に投資はできないですね(笑)。その後、ジョージア大使館へ転職されたようですが、そのきっかけは?

井瀬:計画していたわけではなく、これも全くの偶然でした。知り合いの方がジョージア大使と仲が良く、秘書を探しているという話を伺いました。すごく興味のある分野だったので、深くは考えず申請したところトントン拍子に話が進み、一時間後くらいにはもう決まっていました!

M:『ジョージア』という国はあまり日本では馴染みがないですよね。大使館ではどのような業務を?

井瀬:旧ソ連のとても小さな国で、事実上はまだロシアと戦争中です。東京にあるジョージア大使館で、大使の秘書として2年間勤務しました。私以外全員ジョージア人で、日本語が必要な仕事は全て任されたため、秘書業務以外のイベント企画など面白い経験ができました。 実はジョージア大使館では副業が認められていたので、前職の投資会社を退職後も雇用形態を変えて仕事を続けていました。

《新しい環境に身を置いてこそ気づけること》

M:投資会社と大使館って、外資という共通点はありますが、異業種ですよね。新しい環境で学んだことなどありますか?

井瀬:自分の視野が広がりました。文化の違いから、辛い思いをすることもありましたね…。

M:視野が広がるというのは具体的にどのような点で?

井瀬:互いの違いを認め合いながら、どこで折り合いをつけるのかというのが重要で、日本のルールだけで考えないようになったと思います。例えば、ジョージアの大臣が日本に来て表敬訪問する際、日本の外務省は事前に挨拶の細かな内容を知りたがります。しかしジョージア側からすると細かいことを大臣に聞くことが失礼という文化なんです。異文化に揉まれながら良い経験を積めたと思います。

M:なるほど。自国にいると自分たちの主張がより強くなるというのはあるかもしれないですね。私は海外に移住してから、違いがよりクリアになって、コミュニケーションの一つ一つを意識するようになりました。日本にいて海外の人と喋っているだけでは気が付かない点も、自分が外国にいると、細かい部分まで感じるようになり『この一言が相手にどう伝わるか』と考えるように変わりました。 その頃、仕事のやりがいはどんなところで感じていたのですか?
井瀬:大使が対話する相手が首相レベルになることもありました。絶対にミスが許されないような環境です。プレッシャーや責任を感じつつも、今思うとそれがやりがいに繋がっていました。

《給料よりも『楽しさ』を優先し、フリーランスへ転身》

M:大使館から、業務委託でエッジ・オブへ勤務。さらに異業種へ移った経緯はなんでしょう?

井瀬:2年間で一通りの仕事を覚え、文化の違う環境でこれまでにはない経験を積めたことで達成感もあり、さらにステップアップすべきだと職を変えることを考え始めたのは昨年末から。ただのキャリアとしてのステップアップではなく、仕事に『楽しさ』がある職に就きたいというのが優先事項でした。 退職後、業務委託で続けていた投資会社の仕事と、GUCCIの受付と英語サポートを行っていて、こんな風にやりたい仕事ができるフリーランスもいいかなと思い始めていた頃、友人が現職を紹介してくれました。仕事内容や会社に惹かれて仕事を始めたので、提示された条件通り業務委託で契約し、自然とフリーランスへ転身していました。

M:転身において不安はありましたか?

井瀬:今までのお給料を維持できるか不安はありましたが、 辛い思いをしながらある程度の収入を得るよりは、楽しさがあれば多少減ってもいいという結論でした。結果的にはそんなに減らずに自分の好きな仕事ができるようになっています。業務委託の利点は、仕事のバランスが取れるようになると他の仕事もはじめられ、さらに収入も増える可能性はあることだと思います。転身してから、実際お金の面の不安も解消されました。

M:現職のエッジ・オブではどのような仕事を?

井瀬:創業者が6人、そのうち2人のエグゼクティブアシスタントをしています。創業者の1人がソフトバンク 孫代表の弟の孫泰蔵です。彼が持っている渋谷の8階建てのビルを『質の良いコミュニティの場』に変えたい、という考えが発端でスタートした会社です。 孫泰蔵の基本的な考え方として、オフィスで働くというのは古いので、社員のほとんどが業務委託で、リモートワークで働いています。スタートアップのコミュニティを作る人、大使館や国際機関とのリレーション作りをする人、具体的なお金になるようなビジネスを持ってくる人もいて、それぞれが専門的な強みを活かして働いているという状態です。

M:孫さん含め、社会的ステータスの高い方々の近くで仕事をするのは、どういう気分ですか?どんな心構えで仕事をしていますか?

井瀬:緊張感はありますが、毎日ワクワクする瞬間があります。心構えとしては、彼らの『時間』はとても貴重なので、お願いされたらなるべくすぐに対応する。ミスをしないことは当然で、彼らには彼らにしかできないものに集中してもらえるように、それ以外のことを私が進め、先回りして必要としているものを汲み取れるようにしています。細部まで気をつかう仕事ではありますが、彼らが作り出すもののインパクトを一度目にすると、むしろ少しでも関わっているということがモチベーションに繋がっています。

M:『ワクワクする瞬間』とは例えばどういうところで感じるのですか?

井瀬:以前、オフィスで隣の席に座っていた知らないおじさんと世間話をしていたら、実はその人が『テトリス(1980年代末から1990年代初めにかけ、世界各国で大流行したコンピューターゲーム)』というゲームの創業者だったなんてことがありました。いろんな人に会えるという意味でワクワクもありますし、会社にいる世代の近いスタッフたちも、インターナショナルな視野を持ち面白い人たちが多いので、話すこと自体がワクワクしますね。

《場所に縛られない生き方を望む、現代女性の変化》

M:井瀬さんにとって自分らしさや本当にしたいこととは?そして今後のビジョンは?

井瀬:とても単純なことのようですが、一緒にいたい人や会いたい人たちと時間をともにする、ということです。だから今はすごくいい環境。 そしてLanderの働き方のように、場所に縛られず、リモートワークで色んな所へ行きながら仕事をしてみたいと思っています。ただ現状はすぐにリモートワークにシフトできないので、今後の目標ですね。

M:私は、Landerの創立依頼ずっと、オフィスに行かずに会社運営する方法を模索してきました。一昔前は一定の職業だけがリモートワークできた時代でしたが、最近はあらゆるタイプの女性から「どこにいても働きたい」「いろんな国で生活しながら仕事したい」という声を聞くようになりましたね。井瀬さんが今の会社でフリーランスになると決めたのは、リモートワーク含め、メリットがあると思ったからですか?

井瀬:正社員の選択肢もありましたが、これからの世の中を生きてく上で、今後どのような働き方がいいかを考えて、業務委託の形態を決断しました。大企業でも倒産していく時代なので、自分の専門分野を売り込んでいく力を持っていないと、会社に依存してしまいそうで。会社があるからという理由だけで仕事をしていると、これからの時代は生き残れないのかなと思います。Mutsumiさんはこれまでどのような心構えで一人で仕事をしてこられたのですか?

M:私ががむしゃらに走ってこれた大きなモチベーションは2つ。「自分がやりたくないことはしない」「自分の何かしらの能力を極限まで高めたい」という想いでした。でも40歳になって、それが変わったと感じたんです。自分の能力を高めることに尽力するよりも、自分がやってきた経験が誰かの役に立つのであれば提供したい、と思ったんです。また、映画を観てくれる観客の人たちへ、いかに価値を提供できるかを考えています。 もう一つ、自分の会社のPRをこれまで全然してこなかったんですよね。マーケティングやプロモーションが本業なのに、自分のこととなると後手に回ってしまい...。40歳を機に「やらなきゃいけないことをちゃんとやろう」と自社ブランディングとPRに本腰を入れて取り組み始めました。井瀬さんの場合、会社員として働き出してから8年間、働き方への考えで変わったことはありますか?

井瀬:仕事を始めた頃は、考え方も保守的でした。あまり広く物事を捉えられていなかったと思います。色々な方に出会い、経験を重ね、知見を広める中で、考え方も広くなってきましたし、価値観が変わることもありました。周りを見ると、昔から仲の良い友人は、企業で社員として働いている人が多いです。ただ海外に友人も多いので、彼らを見ると場所にとらわれない働き方をしている人は既にいますね。リモートワークをこなすフリーランスとして生きていく上で、アドバイスがあればお願いします。

M:健康とメンタルの管理ですね。失恋したりとか、ケンカしたりとか、真っ青でとにかく何も手につかない時でも、締め切りは待ってくれません。自分の身体と心との戦いですね。

井瀬:確かに、フリーランスはより責任が伴いますもんね。身体も精神面も、健康を維持する事をアドバイスとして心に留めておきます!

《編集後記》
チャンスやきっかけが、タイミング良くやって来るタイプの人は、それが必然的に来るような意識と行動を積み重ねているんだと思います。まほりさんの最初の就職はポジティブな理由ではなかったかもしれないけれど、そこで全力で取り組んだからこそ次の扉が開いた。直接お話をして、私も一緒に仕事してみたいと感じてすぐオファー(笑)。案の定引っ張りだこですぐには実現できなかったけど、いつかご一緒出来るのを楽しみにしています。(by Mutsumi from LA)

クリエイティブプロデューサーMutsumiのロサンゼルスでの活動を辛酸なめ子さんがnoteとハフポストで連載中です。そちらもよろしくおねがいします。 https://note.mu/nameko_la