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#自分への約束

今調べたらこれは2014年1月21日にラ・ネージュのFacebookページに投稿したものです。
この頃「書と遊ぶ」という、まさに今回の「縫う」と同じ感覚で、筆?書?に親しむ〜そうそう。私が若い頃、母の書の先生に「巻紙にかけるようになるにはどうしたらいいですか?」と聞いたら「巻紙に書いたらええねん。」と言われたものの放置していて、この時も「やってみな死ねん!」と思って筆や墨からどんどん遠ざかる昨今、「習う」ではなく、筆や墨と遊べへんかなぁ〜と、設けた”場”のことです〜場を設け、この少し前から鳩居堂に巻紙が売っていることを見つけ、買って、私の場合は巻紙に筆と墨で書いてみていました。
先ほどの自分で製作できないが故に頓挫した服飾デザイナー(そしてその後それは「ファッションジャーナリストになりたい」になる。(ので実は1990年代くらいまでのファッションについてはかなり詳しい。何故そこまでなのかはいつか書きます。)よりもず〜っと長いこと、通底して「文筆家」として身を立てたい、とは思っていて。
色々な人からずっと褒められはするものの、誰からも仕事としてオファーは来ないので、自分で書くしかなくて、所謂誰かのオファーで書くわけではないからそれは所謂一般に言う「仕事」とは言えず、結果、誰かから与えられた「締め切り」は来ないので、でも、この時には既に『ご自愛ください』というタイトルで、「書く!!」と決意はしていて。これは今でも取ってあるので、その企画は変わらないのですが、一般的な本の感じではなく布張りのような表紙にして(糸と布と親しんだ今、まさに今、デザインが閃きました!!)、その背か表紙の真ん中にこれを切って一つ一つ貼って、「芸術作品のような」ものにしたいと思い、書いていました。
『三味線色々』にしてもですが、「諦めが悪い」のが私の特徴で、その間に色々違うことをしているからすっかり忘れているように見えても「やりたい」とか「やる」と言っていたことでできていないことは、絶対に諦めていないのです。
あっさりさっぱりしているようで、執念深いのかもしれません。

でも、その7年前から今までには色々な出来事があり、様々な出会いもあり、ものの見方も考え方もどんどん変わって、今思うとその時ではなく、書くのが今でよかった〜と思います。

ただ、それは結果論で、何故書くのが今になってしまったかというと、それは、やはり、他からのオファーがなかったからです。

オファーがない状況は今も変わらず、そういう意味では今も書いてはいけない?!

それってホンマ??そうなん?

今、コロナの時代になって、いつも以上にみんなが「死と隣り合わせ」になって、やっとやっていいことなん?

それがない限り先送りしなアカンことなん??

自分の場合、”この私でさえ”(それは、私と接したことがある人は、頷いてくれることでしょうf^ ^;。)、オファーがないから怖かったのだと思います。
あれ程周りの人にはみんな一番褒められることなのに、そして、自分が一番自在に表現できることなのに、オファーがないって・・。
そのことを実行するのは、また、そのことでコケるのは怖かった。
自分のセカンドベスト的なことでそこそこ評価を得ていても、褒められるけど、オファーがないことを実行してコケるのは物凄く怖かった。
だからずっと先送りしていたのかもしれません。


書くまでに必要な経験。
そして、
書かなければ死ねないというこの状況。
その二つが揃っての今なのだと思います。


多分、他からオファーがあってその締め切りがある人は、予定を聞かれた時、「締め切りが迫ってるから悪いけど行けません。」というのでしょう。
私はそれをずっと言えずに来ました。
勿論、これまでにそうしていたことは何の悔いもありません。
だけど今、どこからオファーがある…というか、そのことをして誰かからお金がもらえる訳ではないけれど、この3ヶ月は前から決まっていたこと以外、「○○日が締め切りのプロジェクトがあるので行けません、とか、できません。」と言って来ました。
そして今、私はそれでお断りしていることがあるかもしれません。

できればそれを理解してもらいたいと思います。


それは私の自分との約束なので。

勿論、私がこれを書いたからと言って、それが今すぐ仕事・・いわゆるお金、収入になるのかどうか判りません。

でも、かつての貧乏画家で耳まで削ぎ落とさずにいられなかった人が今は世界の誰もが知る画家になった例もあります。

それがどうかは判らなくても、自分がある種数奇な経験をして来たことは確かです。
それを書き残すことで何かの役に建てば。
自分の生きた証になれば。

そんな風に思うのです。

昔のように、大手出版社のオファーがなかったとしても、こんな風に残す手段もあるのですから。

60歳で亡くなった父は、亡くなる前、ちょうど私と同じ頃、醸造報知新聞社からコラム連載のオファーを得て記事を書き、それを纏めて自費出版しました。私はそれが出る時カットを描きました。
90歳で亡くなった母方の祖父は、日本経済新聞社からのオファーで『私の履歴書』を連載し、それが本になりました。その後?その前後から色々な出版社からのオファーで本を著していましたが、その祖父の会社が大きくなったのが55歳の時からだったと思うとそれは還暦以降のことだったのだと思います。
そう考えると私も焦る必要はないのかもしれません。

けれど、コロナがそれを加速してくれた。それはそれで有難いこと。

自分への約束は何ですか?

それを先送りしていませんか?

それを果たすことが今思うと最大の『自愛』なのではないか。
そんな風に、今、思うようになりました。

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