ぼくちんのRPG日記 89日目 文字通り伝説となったRPG ドラゴンクエスト3(2)

では、何が負の遺産になったのか?なぜ昭和63年のゲームに社会現象と言う意味で負けてしまったのか。それは「DQ」と「FF」がテンプレ化したからだ。

そしてそれが欧米産のゲームつまりオープンワールドRPGに負けるという屈辱をPS3以降のゲームで味わうことになる。昔は洋ゲー=クソゲーの代名詞だった。しかしオープンワールドで何をやってもいいというのは本来のRPGに近く逆にドラクエタイプのRPGは「レールプレイングゲーム」とここ約15年間主に欧米人からバカにされるようになってしまうことになった。

これはあらかじめ用意された本を読破するのか自分たちで物語を紡ぎあげていくTRPGの進化なのかの違いだと思う。

つまり何度も言うが日本のRPGとは「動く児童文学」なのである。

これに対し欧米人の好みは自由参加型ゲームであらぬ方向に物語が完結するということもありえるのが好みなんだ。日本人のようにあらかじめ全部の物語をなぞるようには出来てないし日本人ゲーマーはそのような事は望んでなかった。

文化の違いと言えばそれまでだ。容量に制約のある時代は日本製のゲームが圧倒的に有利だがPS3以降のように容量が大量にあって自由に表現できる時代に日本のRPGは「死」が約束されてしまったのだ。

そしてもうPS5やスイッチの時代なのにも関わらず昭和63年のDQ3を超えるゲームが現れないのは保守化したのもそうだし、海外のゲームに3周遅れ、4周遅れとなってしまったことが大きい。

つまりDQを超えられなったがために日本のRPGすべてがオワコンになってしまったということだね。

私ね1つ解決策あるんだ。

そのものずばり日本の現代をそのままRPGにする、つまりシェンムーの正当派進化をRPGにする。

服着たら防御力アップで武器も法に触れない範囲のものを装備する。マザーシリーズのように超能力で戦う。これならDQやFFとは全く違う世界だ。海外のゲームはさすがに「現代日本」に詳しくはないからこの手の方向で行けば日本製RPGって再生で来たんじゃないのかって。

RPG(なりきり)って別に西洋中世風世界でなくてもいいじゃない。

ということはやっぱりシェンムーを大事にしなかった当時の日本人の見る目が無かったということで実に残念な結果なんですね。

ドラクエの罪はドラクエを超えるRPGが2021年になってもついに現れないほど昭和63年、1988年で基本設計が完成してしまった点にある。

もちろんフロントミッションなどの冒険したゲームもあった。が、受け入れなれなかった。ということは「SF」じゃダメなんだな。

伝説級のゲームというのは伝説を新しく作って乗り越えなくてはいけないわけで相当厳しい壁だがいつかは必ずやらないとジャンルごと衰退してしまう。

そういうことをDQ3から教わった。昭和の伝説は超えるためにあるんだと。

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