NEEDY GIRL OVERDOSEと『役割』の話

ご挨拶とここに至るまで

新年あけましておめでとうございます。
本当は新年早々数秘術の記事を上げるつもりだったのですが、華麗に体調を崩してしまい、見事に断念という運びになりました。HAHAHA……

というわけで今回は、ちょっと気になってやってみたPCゲームの感想からぶっ飛ばして、コラムっぽいものを書いてみます。
やってみたゲームのタイトルは『NEEDY GIRL OVERDOSE』
このタイトルを見た時点でヤバそう(不健全そう)って思った方も多いかと思いますが、超絶不健全&基本バッドエンドしか存在しないためお勧めはしません。
私はなんかハマっちゃって、ゲロ吐きそうになりながらエンディング全部見ました。マネしないでね!

あらすじは、バリバリ社会不適合者な超絶美少女『あめちゃん』が、彼氏である『ピ』と組んで配信者の頂点を目指すという育成ゲーム。
プレイヤーはピの行動を選択してあめちゃんをフォローするという形ですね。

自分一人で生きていける、という孤独

さて、私が心臓をギュッと掴まれたのが、すべてのエンディングを回収すれば見られる隠し要素の部分。
というわけで、以下超絶ネタバレを含みます。

ここではあめちゃんがピに見せない隠し事のメモが見られるのですが、私が心臓を掴まれたのは本筋とは関係ない一文でした。
『結局、あめちゃん一人でできちゃったし』
これが何を意味するのかというと、このゲームは本来「社会不適合者の少女と彼氏が協力してトップ配信者を目指す」というゲームだったけれども、蓋を開けてみれば「トップ配信者になるのに、ピ(彼氏)の協力は必要なかった」ことを表しています。

さて、ゲーム内のそれぞれのエンドであめちゃんは散々な目に遭っています。男性不振になったり、お縄についたり、ピを刺したり、自〇したり、統合失調症になったり、エンディングの中には一つも、手放しで「幸せ」と呼べるものがありません。
それでも、そのどんな不幸なエンディングのあめちゃんよりも、トゥルール―トの『ピすら必要なかった』あめちゃんが辛い。

なぜなら、「被害者」には「加害者」がいます。それは間違いなくロクでもないつながりなのだけれど、確実に人と人とをつなげる関係性です。
スピリチュアルな思想を引っ張り出すと、あらゆる人は『役割』を体験して『役割』を体験することの無意味さを悟るために生まれてきます
『役割』を体験するためには、『役割』を役割たらしめてくれる他人が必要です。店員にはお客さんが必要で、親には子が必要です。
その『役割』を形成してくれるパートナーが「要らなかった」ことを突き付けられたあめちゃんの孤独は、如何ほどだろう……と思うと、胸がギュッと締め付けられるのですね。

人をつなげる『役割』のお話

ここからはゲームの感想からは外れて真面目な話です。
人と人は『役割』で繋がっているので、当然ながら『役割』を失うと人は人と繋がれなくなってしまいます。
それを恐れる人は世の中に沢山いいます。
例えば、「誰のおかげで飯が食えていると思っているんだ」と怒鳴るモラハラ旦那から、「仕事しなくてもいいよ」と『役割』を奪われたら、憔悴してしまうのは想像に難くないでしょう。「ヤッター!」と喜ばないのは目に見えています。
人間が働こうと思うのも、『役割』を果たすことで社会とのつながりを持っていたいと思う部分が大きいように思います。
一切の『役割』を持つことができないと、人間はとても孤独で、不便だからです。
『役割』は人間にとってとても大切なものです。そしてだからこそ、『役割』を失うことを過剰に恐れます。

少しだけゲームの感想に戻りますが、あめちゃんにとってのハッピーエンドは、ネットアイドルという『役割』を辞めて、現実世界の中で生きていくことでした。
彼女のその後の人生は語られることはありませんが、彼女にとってそれは配信者として頂点を取ることよりもずっと勇気のいる決断だったはずです。

人間は『役割』で社会や他人と繋がりますが、その『役割』自体が自分や他人を傷つけると分かったら、その『役割』を捨てる勇気が必要になります。
新しい『役割』を得るまで、『誰でもない人』になる勇気です。
夫婦という『役割』がお互いをただ不幸にするとわかったら、離婚することで『役割』を解消するのも選択肢のうちです。ですが、いくらかの人にとってはそれがとても怖いことのようです。
このあたりの、どのようにして『役割』を得るのかという話はいるれさせていただきますが、今回は『役割』について覚えていただければ幸いです。

面白いと感じていただけましたら、サポートしていただけましたら幸いです。