「ありがとう」で本当にラッキーになれるのか?

水に「ありがとう」とラベルを貼ったら美しい結晶を作るかはともかく、
「ありがとう」「愛してます」といった「いい言葉」がツキを招くという「いい言葉信仰」は、昨今のスピでは珍しくないものだなーと感じています。


まぁこの辺りにつきましては、色々と思うところはあるのですが。
例えば私が昔親に洗脳されて入信していた某教団では、
施設内の壁に「悪い言葉を控えていい言葉を使っていけば引き寄せの法則が働いて幸せになれます」と張り紙を貼って、
信者同士でやたらめったら光がうんたら、愛がうんたら言い合いながら、
アンチを目にすると悪魔憑きだの性根が腐っているだの畜生同然だの、罵詈雑言を並べ立てる人たちがいたなーとか。
その罵詈雑言で幸せが逃げていくとは思わないのかよ……とか真顔になったいい思い出があったりしますが。

とにかくこの「いい言葉が幸せを引き寄せる」というフレーズは
真偽はともかくとして、カルト的な人々にも愛されやすい傾向にあるようで、やや注意が必要かなーと思っています。


とはいえ、「言葉なんかが人生に影響するわけないだろ!」とも言い切れないもので、
口を開けば「自分なんか生きてる価値ない」「どうせ嫌われてる」「何をしても失敗する」みたいな鬱蒼としたワードが飛び出す人を見ると、しんどさを感じたりしますね。
やっぱりそれよりは
「全員に嫌われているわけではない」「成功するために何が必要か考えよう」「そもそも成功できなくても普通に生きてていいじゃん」とか、
ハッタリだとしても言葉を変えるだけで、容姿も能力も変わらなくても印象はかなり変わります。
印象が変われば周りの反応が変わりますし、周りの反応が変わればチャンスが変わりますし、チャンスが変われば人生はちょっとずつ変わってきます。
こういう「言葉で損してる」タイプの人には、「いい言葉が幸せを引き寄せるんだよ」ってアドバイスは有効かもしれません。

「じゃあ、やっぱりネガティブなことは全く言わずに、明るいことばっか言った方がいいの?」
とか考える人がいるのも道理ではあるのですが、それもどうなのかなーと個人的に思うのですね。

スピリチュアルが好きな方で時々いらっしゃるんですが、
愚痴や不満を我慢しすぎて、目が死んで声に覇気がないまま
「ありがとうございます」「嬉しいです」「ワクワクします」「幸せです」
と繰り返しておられる方。
そういう方は私のことも褒めてくださるのですが、「えー本当にそう思ってるのー? 運が良くなると信じてるから頑張って褒めてるんじゃないのー?」って感じてしまうことも多いです。
この死んだ目と覇気のない声が、この方の「引き寄せた幸せ」なのかなーと思うと、やっぱりちょっと疑問を感じるというか……私は別に真似しなくてもいいかな、と思ったりすることはあります。

この辺りについて、実際どう考えていけばいいのかを書いていきますね。

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