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3人の先生に習ってわかったこと

最初の先生は超厳しかった!


私の最初のピアノの先生は音大出のそれはそれは美しいのフランス人形のような先生だった。そう芸能人でも十分通用するレベル・・・
いや、そんなことよりも超がつく厳しい先生だった。
どれくらい厳しかったかと言うと・・・

これは大人になって母に聞いたからわかったことだが、注意されても手首がついつい下がってしまうので鍵盤の手間の所に針を「貼ってください」と言われたそうだ。
もちろん母は「そんな可哀想なことは出来なかった」と、従うことはなかった。
今だと大問題になってしまうのかもしれません。
針山からは逃れることが出来たが、レッスン中はよくビービー泣いた記憶がある。涙をポタポタ腕にこぼしながら弾いた。

そんなスパルタ先生だから嫌いだったか?

不思議なことにその先生を当時も今も大好きでとっても感謝している。
「針を・・・」と言われた母もピアノの先生を変えろとか一切言わなかった。
そういえば、いろいろ厳しいことは言っても強制は一切しなかい先生だった。
やらなければそれはそれで済んでいった。

実家に帰ったらまた習いたいと思ってしまう。

子どもが先生を好きな理由として、よく「やさしいから」と聞くことが多いが、その先生のレッスンはいつも厳しかった。泣き出すくらい厳しかったが、怖くはなかった。

それにしてもなんで嫌いにならず、ピアノも好きなままでいられたんだろう。
それはきっと、

一言でいうと、スパルタ以上に愛情をかけ信じてくれたからだと思う。
良いと思った歌手のコンサートがあれば先生一人で何人もの生徒を連れて、電車やバスを乗り換え、トコトコ歩いて遠くのホールまで行き、華やかな世界を見せてくれた。そんなこと誰からも頼まれていないのに、レッスン以外の時間を生徒に割いてくれていたわけだ。なんなら先生一人で気軽に行ってもいいのだ。
コンサートの帰り道の信号待ちの時「あんな高い声でない。あ〜♪あ〜♪  うーん難しいなー」と歌っていたのを今でも覚えている。
先生の知り合いのミュージシャンがちょうどレッスンの時に同室に来ていた時は、一緒に演奏もさせてもらったこともある。


今でもとってある練習曲のテキストを開いてみると、細かい運指の指導の跡やあちこちに書き込まれている ”あんぷ” の文字。他にもところどころに見られる勢いのある先生の文字を懐かしく、感謝の気持ちで眺めた。
出来ないところはあの手この手で出来るまで指導してくれていた事に今更気づく。

そんな一生懸命な先生とは裏腹に、遊び盛りの私はろくに練習もせず、ひどい時などは練習日の出発数時間前にちょろちょろっと練習してレッスンに行っていた。
「先生・・・ごめんなさい。
でも今も変わらずピアノが好きなのは先生のお陰です。」

レッスンを受けていると時々生徒の親と先生の間でちょっとした揉め事が起こることもある。

ある時、一人の生徒の親が「うちの子はクラシックバレエもいずれやるからもっとレッスン数を増やして強化してくれないか」と言ってきた。
もともとその様な枠は設けられておらず、誰でも45分だった。
先生は頑として断った。どんな生徒も平等にしてくれていたようだ。


それでなくても先生の生徒数は多く、私がレッスンに行くと前の子が弾いており、自分のレッスンが終わりそうな時間になると次の子が入ってきて後ろで座っていた。

竹を割ったようなさっぱりした性格の先生、レッスンは厳しかったが、心が傷ついたという事は一度もなかった。


いろいろ空振りした次の先生


わりと成人してから習うことになった2番めの先生。
この先生に感謝していること、
簡単に言うと ”歌うように弾く” ということを教わった。
出来るようになったかは別として。

声部が別れているとこちらは女性が歌い下はそれに応えて男性が歌っている感じ。
などと、わりと技術が落ち着いてきた頃に聞いておいてよかった事を教えてもらった。
でもすぐに退会。

私のように音大は出ていなかったけれど、とっても勉強熱心な先生。
ただ、個人的に納得出来ないことがあり辞めてしまったのだ。

いつもレッスンの時間内に必ずあったお茶の時間が嫌だった。
大事な、時間とお金がもったいないなーと。
その時間をピアノの話にするのならまだしも、夫の仕事を聞かれたり先生の悩みを聞かされたり・・・

「ピアノ習いに来ているんだけどな・・・」

私には「ピアノの練習すぐやってください」という勇気はなく、大人だから話を聞いてあげないといけないのだろうか?と、ニコニコと話をしてしまっていた。

なかなか上達しない曲を弾いていると、ぼそっと「やりたくないならしなくていいけれど・・・」と聞こえないくらいの小声で言われ、弾き終わると何事もなかったように「ここは左手の方をもっと歌いましょう。」と普通に指導が始まる。どう接して良いのやらいつも不安だった。

それでも自分が考えすぎているから、ということもあるだろう、と第三者である家族など3人にも聞いてみたりもし、結局辞めることに。

発表会の時は先生には全く笑顔がなく、緊張感で一杯の時間だった。
一度別でお世話になっている声楽の先生が見に来るかもしれないということになった時、「え!緊張する・・・」とかなり緊張されていた。
私は喜んでくれると思っていたのですがそうではなかったようで残念で申し訳なかった。
発表会のプログラムを見せた相手がピアノの先生だと知った途端、ひどく動揺されしばらく固まってしまっていた。こちらが申し訳ない気分になってしまったほど。

そしていろいろ考えその先生が悪い先生なのではなく、私と相性が悪かったんだと思い辞めた。
実際、その先生が大好きでずっと続けている人もいるのだから。
ただ指導力云々だけではなく、相性って大事だなと思った。


現在進行系の男前先生


現在習っている先生は、音大出の最初の先生から厳しさをとったような先生だ。
先生は穏やかで今まで一度も怒られたことがない。
ある日、同じ箇所が一向に上達せず、とうとう先生は大爆発!

しなかった。

そしてとうとう私はそんな優しい先生にアホな質問をしてしまう。

「先生は怒ったことありますか?」

自分が出来なかったのに、怒ったことないのかなんてどんな質問するんだ?
必死感ゼロだ。

もちろん先生はそのアホな質問に怒ることなく丁寧に答えてくれた。

なんでも昔は怒ることもあったが、今はそうすると子どもが萎えてしまってピアノを嫌いになってしまう。せっかくピアノを好きで始めたのにやめるようなことがあったら残念だと。親から苦情が来ることもあるのでそれはしなくなったのだとか。

そんな優しい先生に、ちびっこの生徒たちは結構失礼なことを平気で言っているらしいが、先生はそんな生徒がかわいくて仕方がないといった様子。
発表会の後、先生は子どもたちに囲まれていてなんだか自分も嬉しかった。

発表会では相変わらずド緊張してしまうのだが、以前ほどの緊張はなくなった気がする。
先生は包み込むような優しさの中にも男前なさっぱり系の先生だが、気遣いがとても細やか。

発表会のときは、緊張している生徒一人ひとりの席に自分から行き、「今日はどうですか?落ち着いていつもどおり・・」のような言葉をかけてくれる。
発表会をするというのは、他のスタッフとの打ち合わせなどあり、きっとそれどころではないのでは。
そして、終始笑顔な所は私の理想のピアノの先生だ。
最初の先生も指導以外の時はいつも笑顔だったからか、先生を思い出すといつも笑っている顔が思い出される。


無駄な事などなかった


3人共に異なったタイプの先生で、それが今となっては良い刺激になったな、と感謝している。本当に良い経験、勉強をさせてもらえた。

運が良かったのはその時の自分にわりと恵まれた指導を受けることが出来たことだ。

今思うことは、相性がどうのこうのなどはあるが、全員音楽を愛し一生懸命指導してくれたこと。

自分の事に置き換えてみると、先生はやはりどっしりと構えていなければならないと思った。
笑顔を大事にみんなを照らす太陽のような先生でありたい。
安心感の中でのびのびとピアノを楽しんでもらいたい。
まあ言うのは簡単だな。

ひょんなことから最初の先生がジャズピアニストになっていたことが最近わかった。かっけー!そして美形は健在だった。関係ないけれど・・・
先生のジャズ、いつか聞けるだろうか。


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