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きらいだったはずの人混みもネオンの光も、いつかは慣れる。

川沿いを歩きながら散りかけの桜を見ていると、あの子のことを思い出す。

中板橋にある腰の曲がったおばあちゃんが一人で切り盛りしている定食屋さんで、閉店間際に泣きながらご飯を食べていた、あの子のこと。

◇ ◇ ◇

夜桜を見に寄った中板橋で、何度か行ったことがあった定食屋さんの閉店間際に当時の彼と滑り込んだ。

そのとき、お店にいたのはわたしたちと、カウンターに一人座る大学生らしき若い女の子だけだった。

その構図がなんだか可愛くて、 微笑ましいなあと思いながら席に座った。

注文をすませ、待っている間に聞くともなしに聞こえてきた、お店のおばあちゃんと女の子の話。かんたんな自炊の方法なんかを教わっていたと思う。

最初は片耳で聞きつつ、こちらもこちらで話をしていたものの、女の子がすすり泣く声が聞こえてきてからは、なんだか気が気でなくなってしまった。

どうやら彼女はその春、遠く離れた土地から大学進学のために上京し、入学したはいいがまだ環境や周りの人たちと馴染めずに落ち込んでいるようだった。

それに加えて、新歓で知らない先輩たち大勢に囲まれ、焦ってLINEを教えてしまい、怖いしどうしたらいいかわからない。周りに頼れる友だちもまだできておらず、親に心配をかけたくないけどもう実家に帰りたい、と泣いていた。

東京という街に圧倒され、心細くて泣いていた大学1年生の自分と思わず重ねてしまった。

◇ ◇ ◇

上京してきた当時は、見る人、もの、すべてが先進的で、主張が強くギラギラしていて、自分がひどく煤けた田舎者に思えて仕方がなかった。

おっちょこちょいなわたしは、入学して間も無く、スマホを大学のトイレに水没させ、データが全部吹っ飛んだ。できたばかりの友だちが渋谷のApple Storeまで連れて行ってくれたけれど、申し訳なくて途中からひとりで行った。道がわからないけどスマホが使えないからいろんな人に勇気を出して声をかけた。足を止めてくれる人もいれば、華麗に無視する人もいた。

押し寄せる人とネオンの明かりで息が詰まりそうな渋谷でできるだけ静かな場所を見つけ、docomoショップで借りたばかりの代替機で母に電話して泣いた。

ついていない日というのはとことんついていないもので。
その帰り道、駅から20分かかる女子寮に向かって自転車を漕いでいたら、溝にはまってガガガ!となり、派手に横転した。うしろから何人もの徒歩の人たちに追い抜かれたけど、誰も助けてくれなかった。

ショックと派手にすりむいた体が痛くて、痛くて、歯を食いしばって泣きながら自転車を押して帰った。

寮について、寮長のおじさんの顔を見たら一気に緊張が緩んで、うわああとなってしまい、寮長室に入れてもらって「東京怖い」「もう帰りたい」と子どもみたいに泣いてしまった。

◇ ◇ ◇

女の子の話を聞きながら食べていたおばあちゃんのおいしい定食は、その時の涙の味がしたような気がした。

居ても立ってもいられなくなったわたしは、ご飯を食べ終わって彼がお会計をしている間に、持っていた紙をやぶり、文字を書いて彼女に渡した。

はじめは辛いかもしれないけれど、ひとりじゃないです。
悲しい気持ちになったらおいしいものを食べて元気出しましょう^^

みたいなことを書いた。(本当に年下なのかわからなかったから一応敬語)
ポンポンと背中をたたいて、振りむいた彼女の顔は涙でぐしゃぐしゃで、驚きで目を丸くしていた。素朴でかわいい子だった。

「わたしも上京してきたとき同じだったから、つい声かけたくなっちゃって」

そう言ったら、彼女はほっとしたのかさらに泣いてしまった。

そしてその様子を見ていたおばあちゃんと連れに促されて、紙に自分のLINEの連絡先を書いた。困ったことがあったらいつでも頼ってね、と伝えて店を出た。

帰りは、石神井川沿いの桜を見ながらいろんなことを考えた。いつの間にか自分が「こっち側」の人間になっていることに気づいて、ちょっと複雑で、不思議な気持ちだった。

◇ ◇ ◇

その子とは、実際にLINEで連絡をとりあって数週間後に一緒においしいケーキを食べに行った。
待ち合わせ場所に登場した彼女は定食屋さんで泣いていたときの素朴な感じとはちがって、華やかで今どきの女の子だったから、何だかどきどきしてしまった。でも、わたしのことをお姉さんみたい、と慕ってくれた。

その後は就活でバタバタしていたのが重なり、それっきり会えていない。今はもう連絡も取れていないけれど、LINEのアイコンがどんどん“東京の女の子”になっていくのを見て、元気そうでよかったなと思う。

彼女ももう、今頃大学3年生の年だ。もう、ひとりで泣いてはいないだろうか。この季節がくると、なんとなく気になってしまう。

そんなわたしにも、東京にきて6年目の春がきた。
東京には年に一度くらい遊びにくる程度で、竹下通りの人の多さに酔って気持ち悪くなってしまうようなわたしが、東京でかんたんに生きられるとは思っていなかったけれど、今それなりに生きている。そして東京には楽しいことがいっぱいあるのも、今は知ってる。

人混みも、ギラギラと光るネオンも、排気ガスの匂いも、満員電車も、慣れたくなかったはずなのにいつかは慣れる。自然とかわすすべを覚えたり、無意識のなかに溶けていく。

慣れはいつの間にか当たり前になり、何かを思うこともなく受け入れてしまっている。そうじゃなきゃ上手く息を吸えないから、自然と順応してきたんだろう。東京に出てきてこれでも強くなった。繊細だけど意外と図太いよね、と言われるし。

スムーズに心おだやかに生きるためには慣れたほうがラクだけど、完璧に慣れて当たり前になってしまうことがどこか怖い。どんなに月日がたっても、どれだけ見た目がシティになったとしても、わたしは完璧な「東京の人」にはなれない。

この先どのくらいこの街で生きていくのかはわからない。もしかしたら数年後には地元にいるかもしれないし、案外おだやかに東京で暮らしているのかもしれない。まだまだ何も成し遂げられていないし、ここでやりたいことも、ある。

でも、ここにいるかぎりは、東京に出てきたばかりのわたしとあの子の涙を忘れないでいたいと思う。そうすれば、またほかの誰かにやさしくできる気がするから。

故郷が恋しくもなるけれど、もうしばらくこっちで頑張ってみるよ。

(おしまい)

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