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やさしさってなんだろう、とふと考えた夜のこと。

相手にとことん共感して、悲しみや苦しみも全部肯定し、そばにいること。それが「やさしさ」だと信じてきた。

これまでの人生、よく友達の相談にのった。他の人には話せないことを、わたしには話してくれる友達が何人かいた。

相槌を打ちながら相手の話に耳を傾け、泣いてしまったら「大丈夫、大丈夫」と背中をさすった。
相手の悲しみの深さと、同じくらいのところまで降りていって、手を握ったり、抱きしめたり、言葉をかけたり、寄り添ってできる限りのことをした。

時に、自分事にしすぎて落ち込んだり、涙が止まらなくなったり、悲しみの渦に取り込まれて数日戻ってこられなくなることもあった。
でもそうすることで多くの友だちは、「話せてよかった」と最後には笑ってくれた。よかった、間違ってなかった。そうやってわたし自身も安心した。

ところが少し前、同じようにしていたつもりが失敗してしまった。

悩んでいる友達の話に共感し、まるごと肯定して「大丈夫だよ」と言った。全部含めてわたしはちゃんと分かってるよ、と。もちろん意図的にやっているというよりも、それがわたしにとっては自然に出てくる行動だった。
でも、彼には刺さらなかった。「自分はそんなに弱くない」と突っぱねられてしまった。

そのとき、グッと胸の奥が締め付けられて、頭が真っ白になった。そこから何も言えなくなり、なんとも微妙な空気になってしまった。「どうして?」と思った。

変なこと言ったかな。
踏み込みすぎてしまったんだろうか。
それとも……

考えてもよくわからなかった。いつも通りの、わたしの最大限の「やさしさ」のつもりだった。なんだか恥ずかしかった。
結局彼には少しの自虐を込めて、「もう余計なこと言わないでおくね」と送った。自分で打っておいて、胸が痛かった。

それからしばらく「やさしさってなんだろう」という問いでわたしの頭と心はいっぱいになった。
普段からやさしいね、って言ったり言われたりするけれど、何をもってそういうふうに思うのだろう。

静かな夜、部屋でひとりぼんやりと考えた。
たしかな答えが見つかったわけじゃないのだけど、ひとつだけ、何となくわかったことがある。

これまで相手の全てを肯定してあげることがやさしさだと信じていたけれど、それは同時に、その人の弱さをも肯定することになるということ。「別に弱くてもいいんだよ」と。
それによって気持ちが楽になる人ももちろんいると思うけれど、一方で本人は認めたくなかった弱さを他人(わたし)が勝手に押し付けることになってしまうのかもしれない。彼の気持ちが少しわかった気がした。

わたしが受け取ってうれしい、わたしにとっての「やさしさ」があるように、みんなそれぞれ自分にとっての「やさしさ」がある。

だから、一辺倒なやさしさを押し付けるんじゃなくて、ちゃんとひとりひとりに向き合って、その人が心地よいと感じる方法でやさしさを届けることが大事なんだ、きっと。

ここまで書いていて、一昨日会った友達のことをまたふと思い返した。
病気になり、誰よりも苦しい思いをしている彼女に、わたしは何もできなかった。それは、いつもの調子ですべてを肯定することが、必ずしもいいことだとは思わなかったから。

ただひとつの正解はたぶん、ない。ただ、わたしのなかのやさしさを一方的に押し付けてしまうことがないように、わたし自身どうあることが彼女にとってやさしさなのか、ちゃんと考えようと思う。

今度周りの人たちにも聞いてみよう。みんなにとっての「やさしさ」ってなんですか?

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