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恐怖体験

学生のころ自転車を停めていた駅前の駐輪場でちょくちょく盗難があった。
電車に乗り込むために焦って自転車の前カゴへ物を置きっ放しにしたら最後、帰宅時には無くなっているといった具合。まあ学校に行っている半日以上放置されてるんだから当たり前なんだけど、絶対に盗まれないであろうコピーしたCDとか、ブックオフで100円だった文庫本なども盗まれた。
とにかくそこに物があれば手当たり次第という感じ。

まあこのケースは自分の落ち度であるから仕方ないものの、しっかり鍵をかけた自転車さえ盗んで行くのだから手に負えない。ちょうどそのころ新品の自転車を買ったばかりで、ピカピカ光る銀色のボディは乱雑に停められた自転車置き場の中でも一、二番目に目立っていたから、なんとなく嫌な予感はしていたんだけど。
母親からはなるべく自転車置き場の奥の目立たない場所へ止めるように、自転車についた鍵と、予備のチューブ型のキーロックを使って二重に施錠しておくようにと言われていたけれどたまたま急いでいるときに忘れてしまって、盗人の方もちょうどそんな魔が差した瞬間を狙って盗むんだからすごい。

その日はチューブ型のキーロックを掛け忘れてしまっていて、自転車に元からついていた輪っか状の鍵を掛けていただけだった。

停めたあたりの場所を1時間探しても見つからず、2時間経ったころには辺りも暗くてへとへとで、仕方なく家族に電話を掛けて迎えに来てもらった。ついでに近くの交番へ寄って、被害届も出した。
盗難された自転車って見つかりにくいらしい。たとえ見つかったとしても犯行現場からだいぶん離れた場所でボロボロに乗り捨ててあることが多いとか。
自転車ドロボーは目的地へ向かうための足にその辺にある自転車を拝借して、目的地の近くについたら置き去りにしてしまうからだ。
それならわざわざ新品の自転車を盗っていかないでくれと思ったけれど、こぎやすそうな新品の自転車が甘い鍵の掛け方で置いてあったら目をつけられるに決まっている。

かなり望み薄の状態で、二週間も経つ頃には新しく自転車を買い換えようかと考えていたところへ、お巡りさんから「近所の人が自転車を拾ったから取りに来て欲しい」と電話が。
自転車に書いてある名前や、登録された番号からわたしの物だと分かったそうで、拾い主の家の住所を書き留めて母親と自転車を取りに行った。
ご親切に警察へ連絡下さったのだからとお礼の菓子折を持ち、自転車を運びやすいよう軽トラで。

さてここからが怖いんだけど、警察から聞いた拾い主の住所はかなり入り組んだ住宅街の細道にあって、20分くらい迷った挙句、家を見上げて目を疑った。

その家は庭中をゴミに囲まれたゴミ屋敷だったのだ。

ゴミさえなければごく普通の一軒家。庭も割りかし広くて、敷地に入ってから玄関のインターホンを押すまで10メートルくらい距離がある。その余白すべてがゴミで埋まっている。
ゴミ屋敷といっても、その家の敷地に積み上げられていたのは冷蔵庫とか電子レンジといった粗大ゴミが多く、もちろん粗大ゴミの合間に細々とした生活用品も落ちているんだけども生ゴミくささはあまりしない。
その家の玄関からは収まり切らないごみ袋が顔を覗かせていて、窓やベランダといった家と外を隔てる境界線はゴミ袋が押し合いへし合いしていて薄暗く中も見えない。

こんなところにわたしの自転車があるのだろうかと辺りをよく見回すと、確かにわたしの自転車があった。
サドルと前輪が切断された状態で。

前輪のタイヤが無くなっていたので、わたしの自転車は土下座するように前に傾いていて、確かに二週間前にはピカピカしていた骨組みの部分はところどころ錆付いて歪んでいた。

門戸を叩いて感謝の菓子折を渡すどころではなく「ヤバいこの家ヤバい」と連呼しながら自転車の残骸をトラックの荷台に積みながら、これはすごい暴力だな、と強く思ったことを覚えている。

あのときわたしは自転車とともにすごい暴力を受けたのだ。
透明な暴力。痛くないけど痛い暴力。

あの家の人がゴミ拾いが趣味でたまたまボコボコになって捨てられていたわたしの自転車を拾ってきた可能性もないではなかったけれど、なんとなくその可能性は低い気がする。
根拠はないけど、あの場にいた雰囲気で、絶対にこの家の人がわたしの自転車を壊したんだと思った。
ゴミ好きの人がピカピカの自転車をゴミにするために前輪を切断したりサドルをもぎ取ったりしてゴミ化することは分からないでもないんだけれど、食い散らかした自転車の残骸を引き取りに来いと連絡をしてきたことだけは今も理解できない。

ただあれは、法でしばかれない究極の暴力の一つだと思っている。

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