虫の目の「日常」と、鳥の目の「共感」

羽海野チカさんの、「3月のライオン」を読んでいる。

日常の描写から始まって、過去を回想しながら、どんどん感情のうねりが激しくなっていく部分まできた。

すごい観察力。

きっと、鳥の目と虫の目を自由に行き来できる人なんだろうな。
鳥の目は俯瞰であり、より抽象度が高く、読者に「共感」を呼び起こさせる。

けれど、そこに共感があるのは、虫の目で、言われたら思い出すけれど、言われるまでは思い出さないような、日常のささいなことを観察できているからだと思う。

羽海野チカさんの場合、目だけではなく、においや温度や感触としてそれらを、とても生々しく感じてきたんだろうな。読み進めるうちに、羽海野チカさんが、教室の隅で、それらをじっと観察している絵が、思い浮かんだ。

作者が世界をどんなふうに見て、感じているのかは、漫画になるともう誤魔化せない。林真理子さんだと思うんだけど、コラム(エッセイだったかしら?)は嘘をつけるけれど、小説は嘘をつけない、といったようなことをおっしゃっていて、本当だな、と思う。

嘘を書いているはずの小説では誤魔化せず、本当のことを書くときほど、嘘をつけるんだ。ライターであり編集者だからこそ、後者は実感としてそう思う。

私は、そうした「世界を見る目」に自信がない。特に、人を見るときなど、どう自分が愛されるかばかりを考えてきた人生だったから、私の目を通して読む漫画も、胸焼けしそう。ちょっと前までそれはもう、どうすることもできないだろうと思っていた。

でも、「全ての感情は尊い」という言葉を聞いてからは、以前ほど、途方に暮れていない。24時間、365日、この言葉を通して日常を見直してみよう。

(備忘録)



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