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優緋(ゆうひ、2003年10月10日-)はトランスジェンダー当事者の講演家、丹後地域における先駆者・パイオニアである。大阪府の大学に通う大学2年生。優緋は通称名。本名は講演中などには口にするが、個人情報なのでSNSには書かない主義である。


優緋ゆうひ

近所の公園で


基本情報

愛称     ゆうひ、ゆうひくん、ゆうちゃん、たっきー、たきちゃん、
       たきお、きーたつ、たこす、滝音、滝沢、キムタク

生年月日   2003年10月10日

出身地    京都府京丹後市

身長     161cm

血液型    A型

職業     大学生

ジャンル   福祉系

活動期間   2021年1月-

活動内容   LGBTQ啓発

主な活動

啓発活動
『LGBTについて考える会』
『まぜこぜ@たんご』(ハイブリッド)
『優緋のRainbow講座』(InstagramでLGBTに関わる情報共有)
『onlineLGBT当事者の会』(オンライン)
『セクマイのセクマイによるセクマイのための恋バナ』(オンライン)
『小学校講演会』
『中学校講演会』
『養護教諭研究会』
取材
『京丹後市社会福祉協議会広報の取材』
『高校生探究ヒアリング』

受賞

『フラフープ大会』
2010年 記録2分

『プールでの水泳検定』
2013年 平泳ぎ250m

『海での水泳検定』
2014年 平泳ぎ500m
2015年 平泳ぎ1000m

『京丹後市小学校陸上運動記録会』
2015年  100m走 17秒5/50mH走 11秒5

『校内マラソン大会』
2010年 1300m  17位  7分45秒
2012年 2200m  11位 12分55秒
2013年 2200m   5位 11分16秒
2014年 3200m  12位 17分25秒
2015年 3200m  11位 16分49秒

『しお水うがいしっかりしたで賞』
2012年 小学校3年生注意係

『皆勤賞』
2015年 小学校5年生

『スイミングスクール泳力テスト』
2015年  200m個人メドレー 3分55秒

『日本漢字能力検定』
2016年 五級 合格

『曹洞宗青少年書道展』
2016年   第50回   特選

『体力優良認定証』

2017年 60/80点

『校内数学グランプリ』
2020年 講座内グランプリ(96/100点)
2021年 最優秀グランプリ(98/100点)

『実用数学技能検定』
2021年   準2級   合格
2022年   2級1次   合格




来歴

2020年12月、京丹後市未来チャレンジ交流センターrootsに行き、「何かやりたいことあったら書いて」と渡されたカードに『LGBTをもっと広めたい』と書いた。翌年1月に「LGBTについて考える会」を主宰し、1月に第1回、3月に第2回、第3回を行った。

2021年3月、1月に行った「LGBTについて考える会」に「まぜこぜ@たんご」の事務局の方が参加しており、イベントに登壇。講演の動画を撮影・編集し、YouTubeに投稿(現在は非公開になっている)。参加者と動画を見た後に交流会も行った。

2021年4月、zoomを使用し「onlineLGBT当事者の会」を主宰。3日行い、10名強の方が参加して下さった。

2021年10月、「セクマイのセクマイによるセクマイのための恋バナ」という完全に「人民の人民による人民のための政治」のパクリのタイトルのオンラインイベントを主宰。

2022年2月、今までの活動を応援してくれていた隣町の中学校の養護教諭の方から「是非ウチの生徒に聞かせてあげてほしい」と依頼を受けた。1学年1時間を3コマ行い、途中にはその中学校の隣の小学校の6年生にオンラインで繋げた。1コマ目はめちゃくちゃ緊張したが、最後の3コマ目は緊張が和らぎ大噛み・・・。

2022年3月、2年連続「まぜこぜ@たんご」に登壇。

2022年8月、「まぜこぜ@たんご」の関係者に社会福祉協議会の方がいて、社協だよりの取材を受けた。

2022年8月、2月に中学校で講演したことが他の学校にも情報が周り、隣町の中高の養護教諭の研究会で講演。

2023年9月、20歳になる直前10代最後にコミュニティホールでの講演会を企画。10代から60代まで、恩師など55名の方が聴きに来て下さった。
ケーブルテレビでの放映もあり、知名度爆上がり、小学校の児童に向けて、小学校の校内研修、養護教諭研修会など依頼が急激に増えた。


人物

10才上、9才上の兄がいる。大兄(おおにい)、二兄(にいにい)と呼んでいる。どちらかといえば大兄に似ている。

父親がどこか行くたびに呼ばれ、よく付き添っていた。「父親はツンデレで、濃く受け継いでいる」「あいつはかわいい」と述べ、父親の老いが目に見えるようになってきていることに対して、「人にはいつか“老い”がきて、いつか“死”を迎える。それが自分の親に現れるようになるのは怖い。」と述べている。

家での一人称は自分の名前(本名)である。

好き嫌い激しめの偏食家であり、食、音楽、服、人間関係など偏りがある。味音痴なので、美味しいか美味しくないか、食べれるか食べれないかの2択。
好きな食べ物はフルーツ。安い焼肉、安いティラミスを食べて吐いたことがあるため、嫌いだと言っている。納豆が嫌いだと言っていたが、納豆と白米の組み合わせが無理なだけで納豆単品なら食べられる。

お腹が弱い。賞味期限が1週間ほど過ぎた牛乳を1L飲んでも、地面に落としたポテチを食べても平気だが、濃い味付けの物だけが無理だと言っている。

好きなスポーツはサッカーである。中学校の体育の授業で先生の独断で上手い順に呼ばれた際、1番に呼ばれていた。習ってはいなかったが、「足癖が悪いから上手いのだと思う」と本人は言っている。
小学生のとき家の庭で兄とサッカーしていたときの兄の「本田圭佑は左でシュートするよ」という一言で、両足キッカーを超えて、レフティーとなった。

少々潔癖である。家族と心を許している人以外が口にした飲み物は飲めない。料理を取り分ける際には絶対に新品の箸ではないと手を出せない。

行儀の悪い人、箸を上手に持てない人、字が汚い人が嫌いである。動く歩道が苦手である。


人物(幼少期)

2,3才

七田式育ち。毎朝ドッツカードをしてから保育所に通っていた。ドッツカードの効果として、計算スピードが速くなる、暗記が得意になる、空間認識ができるようになる、ノートが綺麗にまとめられる、買い物袋に上手に詰めるなどがあるが、全て自負している。

近くのマクドナルドの時計が線と針だけで数字が書かれていないものだったが、読めた。

お風呂上がりには引き出しから自分で服を取り出して決めていた。

保育所に入ったか入る前ぐらいのとき、近所の番犬・ポコに噛まれたり、一緒に行った祖父のズボンをビリビリに裂いたことがトラウマで、ふとしたときに犬が怖くなる。しかし、犬派で、将来大型犬が飼いたいと言っている。

家の前の坂を下ってすぐのところが小学校のバス停だったため、毎朝保育所行く前に小学生のお姉ちゃんお兄ちゃん達に遊んでもらっていた。


年少

給食を食べていたら乳歯が抜けた。普通の子どもなら「歯が抜けた!」と驚いたり泣いてもおかしくないが、本人は「静かに箸箱にしまった」と話している。

2歳から10年ほど毎年家族でスキーに行っていた。幼い頃はソリで滑っていたが、3,4歳でスキーデビューし、マスターした。
庭にあったバスケットゴールで兄に混ざってシュートの練習をするなど、兄が出来ることは自分も出来ると思っていた。


年中

母の職場の駐車場で自転車の練習をしていたら、転けて左肘を骨折。手術することになり、固定の為の針金を入れた際に十数針縫った。抜糸の際には3針分ほどは我慢していたが、その後号泣した。針金を抜く際には3針縫い、抜糸では最初から大号泣していた。本人、家族、友人は傷跡のことを「ムカデ」と呼んでいる。

しばらくは「もう自転車乗らない!」と言っていたが、高校1年生のときにロードバイクを購入、一時自転車整備士を目指す等、自転車が好きである。現在乗っている愛自転車は小学5年生のときに買ったもので、10年近く乗っている。

自転車の運転がとにかく上手いと自負している。エピソードとして、「歩道を走っていたら信号待ちしている歩行者が数名いたが、スピードを落とすことなく、綺麗に避けた」、「前輪のブレーキは静止するためのものなので、ほとんど使ったことがない」と自慢げに語っている。

他にもコマ付き自転車には乗ったことがなく、小学6年生初めて乗った。近所の1年生の自転車に乗ったのが初めて等、自転車に関するエピソードが豊富である。

兄や近所のお兄ちゃん達に遊んでもらっていた。家の前の坂を走って下った結果、転けて人中を擦りむいた。

幼い頃からパズル系のゲームが好きである。


年長

「学校に行って勉強がしたい」と言い出して公文に通う。

女の子4人と一緒に「自転車ごっこ」と称して、「チリンチリン」と口で言いながら保育所の廊下を走り回る遊びをしていた。

都道府県パズルを誕生日かクリスマスにもらった。地方ごとに分かれて4枚ほどあったが、日本列島の外枠だけが書かれた大きな紙も入っており、日本列島を完成させることもできた。

ランドセルはキャメル色を希望。近くのショッピングモールにはなかったので、隣町の大型ショッピングモールまで行って購入。
色については、保育所で「キャラメル色ね!」と友達が約束しているのを盗み聞きして、パクった。

将来の夢は「ローソンの人」
多分理由は、家の近所にローソンができたから。

「○○ちゃん・くんとけっこんしたい」という話になり、女の子の名前を挙げた。周りの反応は覚えていない。もしかすると初恋だったのかもしれない。

保育所の送り迎えや移動では、七田式の理科ソング地学編を聴いていた。お気に入りは月の満ち欠け、堆積岩、前線。今でもよく口ずさんでいる。


人物(小学校時代)

小学1,2年生

バス通学だったが、1,2年生のみで下校の日、且つ遅バス(2便)のときには、職員室で野原の絵を描いていた。野原の絵を描く理由は、正解がないからである。

小学1年生から高校3年生まで牛乳配達をしていた。
集金袋の名前が漢字で書いてあり、漢字が読めなかったが同じ苗字が5件あり、「一さん」「1文字さん」「画数が多い2文字さん」「画数が少ない2文字さん」「3文字さん」と自身で考え突破した。
しかし、初めはお金の計算が出来ず、親に付き添ってもらい、学校で習うまでにマスターした。

保育所の卒園式翌日からスイミングスクールに通い始めた。クイックターンが上手く出来ずに鼻に水が入って、「もう行きたくない」と送迎時間直前に母親に電話した。学校の振替休日などに自主練に行き、無事克服できた。初心者コースから選手コースに呼ばれたが、試合に出ることは嫌だったので断り、1年半ほど育成コースにいた。4泳法マスターし、小学校丸6年通った後に卒業。卒業記念には400m個人メドレーを泳がされ、泳ぎきった。

ドラマ相棒が好きで、休み時間や休日は同級生の男の子と警察ごっこをしていた。同級生が右京さん、優緋は神戸くんやカイトくんを扮していた。
休日、同級生の家に遊びに行くと、大体犯人役に回されていた。同級生は背の順で前から2番目、優緋は後ろから5番目くらいと体格に差があったものの、よく背負い投げをされていた。


小学3年生

体操を始めた。男女で分かれて練習するのが嫌だったため、2年で辞めた。しかし体幹トレーニングで鍛え上げられ、シックスパックの2歩手前のような腹筋だった。

初恋は9才。同じ通学班の2つ上の双子の兄だった。

学区を大きく分けるとA地区とB地区に分けることができ、B地区に住んでいたが、親から「(A地区に)遊びに行くのはダメ。歩いていくのはいい。キックボードなら行っていい。」と言われ、約2キロをキックボードで移動する。


小学4年生

硬式テニスを始める。

マラソン大会で5/22位となった。牛乳配達の際に片道数百mしかなかったが週3回走っていた結果だと考えている。

羽生結弦(当時19才)を見て、フィギュアスケートオタクになる。ジャンプやスピンの種類を全て理解していた。新聞を切り抜き、ノートにまとめていた。

2012-14SP「パリの散歩道」の構成、ルートは完璧に覚えていた。

羽生選手がプーさんが好きだったので、プーさん好きになった。また、何かの取材で「広島カープが好き、理由は赤が好きだから」と答えているのを見て赤が好きになった。

2012-14SP「パリの散歩道」の“へのポーズ”、2015-16,2017-18FS「陰陽師」“しーのポーズ”、ルーティンの“十字”、“イナバウアー”など、何かある度に真似していた。

競技ルールが改正されたタイミングで熱が冷めた。

好きだった男の子に告白したら、両思いだった。両思い=付き合うという認識だったため、付き合った。振ったり振られた記憶はないが、もう一度告白してまた付き合った。中学生になってもう一度告白したがその際には振られている。


小学校高学年

頭が良くて、運動もできるYという女の子がいて、勝てっこないと思っていた。小学2年生のとき鬼ごっこしているとYをタッチできてしまい、「なんかこいつ遅くね?」と思ったが低学年のときだけで、且つ短距離だけだった。
全国学力テストの過去問を解かされ、結果が酷かったため、対策プリントをしている際、Yが「1番点数良かったの誰ですか」と聞くと、国語はやはりYだった。しかし、算数は優緋が1番だった。

小学5年生から合唱団に入団。

7月、友達と海に行ったが、ブイの設置や監視員がまだいなかったので、地域の人から学校に通報され、めちゃくちゃ怒られた。

小学6年生のとき、Sくんに羽生好きをいじられブチ切れた。
Sくんが好きな子いるようなことを言っていたので、中間休み、昼休み、放課後追いかけ回した。翌日の放課後、中庭からグラウンドに抜ける階段で「Aちゃん?」「Mちゃん?」と思い浮かぶ女子の名前をあげていたら、「(優緋)だよ」と言って走り去られた。自分もSくんのことが好きだったが、今更言えず「キモっ」と返したことを申し訳ないと思っている。


人物(中学校時代)

部活(1年生)

ソフトテニス部に入部。後衛。全員で40人くらいいたが、7位以内に入るほど足が速かった。駅伝に招集がかかったが朝早いので断った。

朝が苦手なため、1年生の頃、朝練にほぼ行かなかったため、顧問に激怒された。その後更生し、真面目に行くようになった。

放課後練習が終わって家に帰ってからも自主練をしていたため、怪我が尽きなく、100%で練習できたことはあまりなかった。


部活(2年生)

練習試合や試合のバス移動中では、すれ違う車を数えていた。仲良かった1つ上の先輩は電柱を数えていた。

2年生の夏、先輩が退部後は団体メンバーとなった。3番手と4番手をウロウロしてた。

1つ上も2つ上の先輩も、挨拶を返してくれなかったり、1軍の3年生には1軍の2年生しか口をきいてくれないなど、バチバチしていたので同級生で話し合って、後輩には平等に接するように変えた。

休日練の日、校舎内でしっぽ取りをしていたら滑ってロッカーに激突した。


部活(3年生)

ノーバンでトスし合う(通称:ポンポン)が下手すぎて、顧問の先生にふざけていると思われて怒られた。

引退試合は隣町の中学校の1番手と当たったが3-1で勝利。2回戦で強豪校の2年生に負けた。保護者の応援がうるさすぎたためキレそうだったと語っている。


部活(永久)

ファーストサーブが男子並みの速さが持ち味であったが、ダブルフォルト常習犯でもあった。ペアだった前衛の子の背中によく当てていたが、「ごめん!」と一応謝ったあと、大笑いしていた。

ペアの子と同じ髪型だったため、顧問の先生によく間違われていた。

朝練の時、父親と家を出る時間が一緒だったため、徒歩10分ほどのバス停まで車で送ってもらっていた。


中学1年生

担任の先生が大兄の同級生で、兄も変わり者(モナリザの顔はめパネルを作り、モナリザになって美術部の紹介をしていた人)だったため兄のことを知っていた。
新任の先生だったこともあり、なめた口をきいたり、反抗的な態度を取っていた。

5月末、制服(スカート)が着たくなくて朝グズっていたら、「テスト前なんだからちゃんと行きなさい」と母親に学校まで送られた。

2学期中間の社会のテストが16点だった。
他の教科の点数も悪く、塾に通わされる。

主犯は僕ではなく、僕はただ主犯Aと仲が良く話を聞いていただけなのに、僕がいじめの主犯のように呼び出された。


中学2年生

担任の先生が無愛想な先生に変わった。しかし、自分のクラスの生徒には贔屓する先生だった。

三者面談で「弱い立場の人に優しくできる人」だと言われた。

走って教室に入ろうとしたところ、友達に扉を閉められ転んだ。スカートだったが、上手く転んで、先生に褒められた。

YouTubeで「トランスジェンダー」という言葉を知った。「Xジェンダー」と悩んだ時期もあったが、当時ははっきり「男になりたい」と思っていた。

同級生と先輩の数名から悪口を言われたり、無視をされる。しかし、いじめられているとは思わなかった。


中学3年生

また担任が変わった。前年度、3年生を持っていた先生が2人残って、どちらかが担任になる気がしていたが、苦手なほうの先生が担任になった。

図書委員長に立候補。
担当の先生の滑舌が悪く、打ち合わせなど大事な話なのに何を言っているか分からなかった。

体弱め、松葉杖上級者のNちゃんがいた。体育のあと、歩けなくなったので、グラウンドから保健室までおんぶした。合唱祭のリハで隣でしんどくなっていたが担任の先生に「どうしたら分からんかったなぁ。当日は支えたって!」と言われ、当日ふらついていたので支えた。しかし、パートが違ったため、思うように歌えなかった。

体育祭で「校長先生の話長いな、Nちゃん大丈夫かな?」と心配していたら自分がふらついて、途中退場。開会式終了後、母親と会ったが特に何も言われなかった。
担任の先生に「元々女子の人数少ないのに、体調不良やケガの子がおって、足りんから頑張って出て」と言われた。リレーでは2度走りしたが、2度目は片足攣りながらも走りきった。
その後閉会式でも飛んだ。

3年生を送る会の合唱で斜め前でNちゃんがふらついていた。誰もいかず、「(優緋)の仕事」みたいな雰囲気があったので、仕方なく支えた。

なぜか未来塾(学力が怪しい人たちの放課後補習)に呼ばれる。呼んだのそっちなのに「なんでおるん」と先生に言われた。

高校入試のとき、A高でも普通に行けると言われたが、幼馴染の子がK高に行くと言ったのでK高を受検した。

自分のセクシュアリティのことや学校生活のストレスから、〇にたい毎日、リストカットを始める。幸いにも痛いのが苦手なので、短くて浅いアームカットばかりだったため、今ではほとんど跡は残っていない。

ある日、本気で〇のう、どうやって〇ぬかを寒い夜に外で座って考えていたら「あっくん」に「お前何してんの」声をかけられた。何かある度に「俺はずっと優緋の味方。俺は絶対どこにも行かんから。」と口癖のように言われている。しかし口だけでなく、まだ裏切られたことはないので、「だからあいつはめちゃくちゃ信頼できる」と語っている。


人物(高校時代)

高校1年生

近所の魚屋で念願のアルバイトを始める。

入学式のみスカートを履いて行った。
教室内で自分のことを「僕」と呼んでいたこともあり、セクマイだと察されて、保健室に呼び出される。

入学式の日、黒のボールペンを持っていなかったので、隣のAくんに借りた。Aくんはなぜか両手で渡してくれ、違和感を感じていたが、後にめちゃくちゃ変な人だと知った。

入学式の後の保護者も含めたHRで、保護者に向かって「我が子だと思って……」と挨拶している担任に心を閉ざした。

「自分の好きなもの」がテーマの発表で「クレヨンしんちゃん」について「しんちゃんはめちゃくちゃ運が良い、諦めない。そんな人になりたい。」と発表した。


高校2年生

新型コロナ感染拡大で丸1ヶ月程休校となる。

1学期の物理基礎のテストは対策プリントの数字も変えずにそのまま出すと言われたが、19点を取って、目をつけられる。
その後、ほぼ独学で52点を取り、講座内トップを取る。化学基礎担当のA先生に「1番だった!52点だけど」と言ったら「そんなんで喜んでるん」と冷めた口調で言われた。

分かりにくい上にスピードが遅く、教科書の3分の1ほどしか教わらなかった。

担当のI先生が「今年度で退職する」と言っていたため、物理選択者全員が次年度の物理はA先生を希望し、A先生の補習を希望した。
その後A先生がI先生と交渉し、放課後講習を開始。SHRで補習のことを伝えられたが、物理選択者は喜んでいた。その後、3年次にはA先生が物理を受け持っている。

人間関係が上手くいかずハブられた。元々苦手なタイプが集まったグループだったので、「ちょうどいい」と自ら脱退した。体育の女の先生・O先生から「お弁当持ってきたら良かったのに、一緒にお弁当食べたってもええよ」と言われ、何度か一緒に食べていた。

仲良くしていたが調子に乗ったところ、無視されたり冷たい態度を取られるようになり、居場所を失って〇のうとした。最期に幼馴染Yに電話すると、「そんなん優緋が負けたみたいやん。負けたままでいいんか?」と言われ、「挨拶はされたら返す」「授業はちゃんと受ける」と決めて立ち直った。その後の関係は、完全には修復せず卒業となった。

遠方に遊びに行った際に、幼馴染Yから「Nちゃんが優緋と付き合いたいらしい」と耳打ちされ、帰り際に告白、付き合うことになった。しかし、2日後に体育の女の先生・O先生の誕生日にプレゼントを渡したところ、「ほんまに好きなのはどっち?」と問い詰められ、「O先生」と返し、2日で破局した。


高校3年生

担任は3年間変わらなかった。

希望進路としては、(1年次)理学療法士→自転車整備士→自動車整備士→起業→(2年次)医師、養護教諭→カウンセラー→養護教諭→カウンセラー→(3年次)数学か理科の教諭→養護教諭→動画クリエイター→養護教諭、という変化を経て、養護教諭の資格が取得できる大学に進学を決めた。

2年次の文化祭が中途半端な出来になってしまったため、1番頭のいいクラスメイトと実行委員に立候補。睡眠時間を削って台本を考え、撮影と編集のイメージは完璧に出来ていたが、クラスメイトに「今年の文化祭、失敗すると思う」と目の前で言われ、『だったら、これ以上何も考えない』と心の中決めていた。結果、新型コロナ感染拡大のため文化祭は中止となってしまった。

卒業式の日、好きだったA先生に告白した。しかし1ヶ月後、3年間担任だった先生と結婚したと情報が回ってきた。人生最後の恋だと思っていたほど、めちゃくちゃ美人で、口は悪かったが(大阪人に失礼)性格に裏表がない人だった。
これを機にA先生を超える人としか恋愛はできないと言っている。


大学1年生

一人暮らしデビュー。
近所のリサイクルショップで家電を買い、配達をお願いしたところ、電話番号からLINEを追加される。「何かあったら力になれるか分かりませんが、連絡してください」と言われたので、放置していたら、家行きたい感じの連絡が度々来るので、ブロックした。さらにアカウントも変えた。
より人間不信になった。またキモすぎたので徹底的に調べ上げた。
・LINEの名前は本名ではない
・既婚者、子持ち
・某団体に所属している

M-1二回戦を見に行き、MCだったガクテンソクを好きになり、お笑いにハマる。他にも、ギャロップ、笑い飯、シャンプーハットなども好きである。
ガクテンソク奥田の影響を受け、BiSHやExWHYZにハマり、NEO JAPONISMも好きである。奥田のようなよりひねくれた性格になり、口調なども似てきている。その他、チュウカタベタイの服を買ったり、奥田が政治に興味あることから、本人も興味を持ち始めている。

地元・京丹後市の町おこしイベントや若者ワークショップに積極的に参加し、「気になるイベントが2つ以上重なったら帰る」と言っている。結果、大学進学後に月1回以上帰省している。


大学2年生

自分を食べ物に例えると「たまご」
人と仲良くするのが苦手なので、“殻にこもりがち”、茹でたり焼いたり、好きにできるから。

10月19日、ガクテンソクの大阪で出演する唯一のライブ「NORA」終わり、奥田さんの行きつけの呑み屋解禁。お店を出ようとした直前、奥田さん来店。
終電を逃さざるを得ず、1時間ほど話した後、タクシー代に1万円頂きました。

その後、週2日以上通うようになる。


将来の夢

2023年度(大学2年生)
やりたいことを出来るだけやる!
・旅行に行きたい(島根:ユタラボ/東京:ガクテンソク追って……)
・オーダーメイドのスーツを作る

2024年度(大学3年生)、2025年度(大学4年生)
学業(実習・卒論)を頑張る!

2026年度(卒業後)
よしもとデジタルエンターテイメントアカデミーに行く!
東京(近辺)に住みたい!

30才までに起業したい……
35才までに起業する‼️

島根、香川、青森、福岡、岡山に移住したい!

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