#読書と国語 の話を見かけた

おもしろい Tweet をみつけた。自分はそんな国語の成績良かったわけではないけれど…

個人的に「国語の成績伸ばしたいなら本読め」はあまり信じていない。「本読むのが好きな人が国語の成績いい。」という話はわかるんだけど。「本を読む」行為に対するテンションは様々だと思っていて、ポジティブな感情持ってない人に、何の道案内もなくただ闇雲にやらせたってあまりプラスには働かないんじゃないかなーと。そもそも「本を読め」という人が期待してる「本」がいまいちわからない。本は小説もあれば評論系のものもあるし、技術書、エッセイ、雑誌、漫画など様々形態があるわけで、それぞれ文章(+α)を使った表現のアプローチ方法が違うのに、雑に「本」とだけ言ってしまうがすごく乱暴だなーという印象を持ってしまう。

それよりも個人的に振り返ってみて思うのは、普段会話をする人たちがちゃんと論理的に物事を解釈したふるまいが出来ているかが影響するんじゃないかなーということ。実際自分が実家に居た頃は親がかなり思い込みが激しく、感情でしか物事を判断しないタイプで、長い間自分も根っこの思考がそのへんに引きずられたんじゃないかなと思ってる。

高校のときとか数学がすごく好きだったのだけど、数学は言葉から感情ノイズが入りにくいのですんなり取り組むことが出来ていただけなのかも知れない。当時は小説の類は見ると無意識にいろんな邪推や思い込みがむちゃくちゃに脳内走り回ってとても読んでいられなかった。

自分の場合は高校時代は出口さんの現代文の参考書読んで、「文章の読み方」の解説があって感動したのも覚えているし、小論文の樋口さんの本から文章の型を学んだりしたことはあったかな。そこで少しはマシにテストの問題には取り組めるようになったかも。 苦手な人に闇雲に読書させる前に「文章の読み方」や「文章の型」に関する体型だった説明があったほうが親切なんじゃないかなーとこの体験から感じる。

大人になってみてからは幸いにもよい職場やコミュニティに恵まれるようになって、言葉を使ったやり取りを実際に介してみた結果、技術書執筆に関われるくらいには良くなったと思ってる。

ただ今も小説は読むの苦手。少なくとも娯楽に感じることはない。読まなきゃいけないときは結論(ネタバレとか最後の方とか)から見るし、目次見てつまみ食いしてそこで気が乗ったときだけ最初から読む。評論系は、情報を欲しているときは結構面白がって読むかも。

自分も大学受験のときに和田秀樹さんの本で人生救われた経験もあって、
本の持つ力の凄さというのはわかっているつもりではあるんだけど、「国語の成績伸ばしたいなら本読め」は実はある程度環境が整ってる上級者向けの手段なんじゃないかなーと思う今日この頃。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?