10/24~30

日曜日
根性で起きてパーマ~2ヶ月放置して伸びていた髪をセンター分けにしていたのだけど、世の中がセンター分けで溢れまくっていると知って無理になったから~をかけに行く。3時まで食わず、ふらんす亭材料ギレの閉店、ヴェローチェで島口大樹、上田御殿みたいな番組、渋谷でソメヤと福田くん。好きなコントとかの話、ただばかのメール、2軒目がなく歩く。思っていることを言ってくれている感じが嬉しかった。センター街を抜けたところ。島口を勧めた。いい友達って感じ。

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待ち合わせをすっぽかした後藤くんのこと、明日から学校でゴトーって呼んでやろうぜ、とグループLINEに送信したところ失礼します。

その角曲がって最初にすれ違うのが運命の人ですと言われたものの、すれ違ったのが秒速3メートルで移動する点Pだったところ失礼します。
背後にお気をつけください。点Pとすれ違ったということは、このあと、点Qが後ろから追い越してきます。道幅が狭い場合は、傘は畳んどいたほうがいいかもしれません。

M1 2008年を見た日以来、高速の街灯がノンスタイル石田にしか見えなくなってしまったあの頃の少女、失礼します。
高速を降りるときに見えたまん丸の満月がだんだん井上の顔に見えてくるかもしれませんが、よく見てください、チェシャ猫ですよ。不思議の国へようこそ。

は?

月曜日
ここ2,3週くらい週末をたっぷり楽しんだ感覚を覚えたままフワフワと月曜日に出社している。長谷川白紙がぴったりくる。『川島明のねごと』水曜日のダウンタウンでのラヴィットあのちゃん説の裏話、数週前のせいやゲスト回も聴いた。
ほろびてとナイロン100℃のチケットを取って、NODAMAPのリセールに申し込む。昨日の一般発売を忘れた反省。積もっていた植本一子のメルマガを見てTOKYO ART BOOK FAIRの開催に気づく。土日の会場チケットは売り切れていたので、金曜の午前休で行こう。

次回のアララポッドキャスト収録の日程が恐ろしくスムーズに決まった。芝居のチケットやら週末の予定やら、何より引っ越しのことを考えている。会社員じゃない。『BANANA FISH』を読み進める。

火曜日
『BANANA FISH』を読み終えた。文庫盤は巻末解説も楽しい。本家サリンジャーも読もうと思い、『謎ときサリンジャー』(新潮社)を注文。

「遅いインターネット」とニヒリズム。菊地成孔と小沢健二、俺とボブも似ているようで違う。あいつはシャンチーが好きで俺はアベンジャーズが好き、アトラクションとゲーム。批評ってのはすごい、一つの切り口を検証するために作品を通読する時間と体力が。宇野常寛の本を読みながらそう思う。
初めて『デート』の高等遊民になりたいかもと思った、霜降りのせいやが好きなドラマ。お笑いのアーカイブや記憶に特化していてそれがなんなんだ。

水曜日
6時間前まで煙草を吸っていた喉にまた煙を当てる。菊地成孔がKOCの感想を上げているらしいと聞いて溜まっていたメルマガを読んだけど、どうやら大恐慌のラジオデイズで話していたことらしい。アララのポッドキャストの話をしながら感じた違和感、徒然書くことの恥じらいからすら堕落して、キーを叩かず録画録音ボタンを押すだけになった俺たちは読み書きすら手放した猿になっているのか。「あえて」の羽衣をまとう菊地成孔

すっかり忘れていた『ルパン三世』シーズン6、1話「EPISODE 0 -時代-」小林清志引退話で、次元に対する随所の台詞が小林さんをたたえるメッセージだった。小林さん曰く江戸っ子の次元だから、これくらいクサいくらいがいいのかもしれない。2話から始まるOP映像はやっぱりかっこよくて、俺はルパンにワクワクする。
いつもよりゆっくりめに歩く。心のうちの感動か、最近の充実感か、低気圧のせいか、身体がフカフカする。吉田ヨウヘイgroupとかを聴いた。

14時くらいから強烈な眠気と視界のぼやけが始まり、暗雲立ち込める西新宿の出先でサボりを決意、そのまま外出すると残して新宿まで歩く。先週のフワちゃんANNSPゲストがテルマと朝日なのは知っていて、朝Twitterで「脳に直接エナジードリンク入れたみたい」と初回を聴き終えた俺と全く同じ感情になっている人の絶賛コメントを見たので聴いたけどそうでもなかった。久しぶりの紀伊国屋書店で最近の小説とサリンジャーとさやわかの新書を買い込んでから、金曜日にTABFに行くことを思い出した。きっとここから年末まで毎週末何かしら観劇するだろうし、丸一日読書に費やすなんてことは難しいはず。
「asobi足りない」という気持ちだけが欲求で、時間も金も思考も部屋も、あとは全部ひっ迫され始めている。9月末から顕著になっている感覚。

北千住BUoYでほろびて『ポロポロ、に』を見る。『ぼうだあ』『コンとロール』とスケジュールが合わずようやく見れて嬉しい。
凄いものを見た。
コンクリ感の強いスペースの端に客席が組まれていて、対峙する空間は前後に分かつ段差がある。手前(過去)はキャンプを張る兄妹と兄の友達、奥(現在)はコインランドリーに居合わせた3人の女たちの様子を交互に、時には人物も往来しながら話が進む。辛い社会だ、それが現実だ。どこからか湧いた虫に脅かされながらも、大量の数が宙で旋回する様を見入ってしまう瞬間があったり。力のあるものが弱いものを捕食するけど、弱者の虫に意志などない。虫けらのように扱われる人はどうなんだろう。
何かをきっかけに零れ落ちていくもの、仕事、住む場所、金、人権。
料金を滞納した携帯の電波が止まることで、身体を売るための連絡から解放される女。「拷問だぞ」女だから。会話ができず、身柄を拘束され。

進行する舞台(前後)が移行するときになる音楽とスローモーションは、暴力にあって走馬灯を見ている様を連想させる。
同じ強者に人生を搾取された女3人が邂逅できたのはランドリーから衣服を盗まれたからで、一人はあくまで目撃者・見張りの動作から抜け出せない。
落とした洗濯物が必ずしも汚いとは思わない。
見ごたえがあるのは役者のレベルが高いからだ。青年団の和田華子が言葉を話す動作に、目を奪われた。

消化しきれない何かを受け取って駅まで歩く時間がちょうどいい小屋だった。
芝居を見るにあたっての基準は何かずっと考えていて。それはやっぱり、この時代に何を表現したかったのか、必然性を信じ切る精神の表出みたいなものだと思う。それが、コントとも映画とも違うのだと思う。
観劇は、他のエンタメと比べて自分が目撃者になっている意識が常に頭の片隅に残る行為だ。

木曜日
抜けるような青空と陽気で気持ちがいい。
時間がないなあと思いながらTABFの出展者を少し調べるだけであっという間に午後。別にフィーリングと縁で手短に回ればいいことに時間をかけてたあとに気づく。アルピーのラジオ切り抜きをどんどこ聞いた。

金曜日
現代美術館は清澄白河が最寄り駅。最近はよく大江戸線沿いに居る。TABFはアート文化と書籍系イベントが組み合わさっている独特の感じが来場者の様相から伺えた。完全予約制にしたせいで混雑を防いでいるせいもあるかもしれないけど、日差しのよくはいるすっきりした街と建物の感じにリラックスする。来場者のファッションや空気感をまとまった塊として身近に感じるのはどちらかというとライブハウスの感覚で、陳列する商品も普段目にしない色彩やデザインのものが多くて楽しい。はじめは慣れない対象に目線を上滑りさせるのは当然で、なるべくゆっくり時間をかけて歩くうちに視界が開けてくる。
そこかしこで会話があって、知り合い同士の会話や、共通の知人・作品・プロジェクトを媒介にしたアーティスト同士の邂逅が行われている。これも文フリとは全然違う。いくつかZINEや写真集を買うか悩んだけど単価が高い。同じページ構成のものが一つもない写真集や、ボロボロの紙にあえてしているものとか、とにかく表現をまとめるための媒質は問われない。デザイナー5人が一つのお題を担当曜日に投稿する「日刊タイポ」の活動が親しみやすかったのでライターを買った。植本一子さんも出展されていて、新しい日記を購入。欲張って色々買うことも思ったけど、自分とは全く違う物差しを強い力でつかんで交流している同世代が山ほどいると知った刺激の方が強くて、それでまあいいかと思う。LAUSBUBを知った。出社して、ちょうど暇な時期なので、ぼんやりしたらまた夜が来る。

土曜
昼にテアトロコントを見て、夕方にハラサオリ「Da Dad Dada」を見る予定だった。
そうできなかった理由が思い出せない。
夕方に馬場の焼き肉屋で分厚いタンを太郎と焼いていたところからしか記憶がない。最近よくあう女との待ち合わせが22時から3時のどこかになるみたいなことを聴きながら、俺はたしかCちゃんの引っ越しが終わって3人が墨田川の近くで飲んでいるのを電話できいて。それで馬場を出てそっちに向かって、2軒目で合流してそこから3軒目で終電までいたのか、終電を過ごしたのか。店に会ったダーツを始めたらえんどうさんがキレていて、おれはそれを先になっても覚えているのだけど、話している方が楽しいのにダーツすんな、ってキレる人はすごくいいよなあと言う意味で思い出す。ドライブマイカーの話とかもして、誰かの恋人の話も聞いた。どうしても川が見たくて駄々をこねて実際に見に行ってた。だから終電なんて余裕でなくて、どうせ2時くらいに帰っている。ハラサオリ見たかったな。

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