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4/4~10

日曜日 フジ特番『567↑8』

起きてすぐ、明日からまた働かなくてはいけない憂鬱さを抱えてしまった。
桜もほとんど散ってしまった。ずっと咲いていてほしいと思う事なんてないのに、足元を見つめるとなぜか、散ってしまったと思う、川の匂いのせいか。水道橋西口のエクセシオールは広く、清潔な喫煙室があるだけで丁寧に記憶される。
ラーメンを食べてドームシティのTeNQへ。学術エリアの専門用語を探す簡単なものから、その場でダウンロードするアプリ内で宇宙人にキーワードを翻訳してもらう手の込んだものまで、本当に2時間くらい。
初めての体験、意外にも凡庸な感動と疲労、それらすべて気圧のせいにして、大人しくもとのエクセシオールに戻った。

フジテレビ特番『567↑8』がなかなか衝撃的だった。
『めちゃイケ』ブラックデビルを思い出させる衣装を身にまとったディレクター数名が、YouTubeで人気再燃中の江頭に対し、「テレビの嘘」を撤廃したと各々が制作したVTRを視聴・評価してもらう番組。番組名に「読み方決めるのって古くない?」と添えるところからも読み取れる、ふわっとした情けない番組だ。
○○って古くない?が企画の導入になっているのだが、どれも絶妙にピンとこない。○○には「タレントの個性を生かせないのは逆に~」「なんでもかんでも「イケメン○○」って肩書き~」「好感度ばっかり気にしているタレントって~」「「天竺鼠・川原は尖り過ぎ」って言いがちなテレビマン~」などが入る。
まず、「○○って古くない?」という言葉を過信している。その次元に失った視聴者はいないと分かっていないのだろうか。古い・新しいの価値基準で消費されるモノを作ったところで、テレビの新しい可能性にはならないのに。例えば、容姿イジりを暗黙のうちに良しとしてしまったメディアの罪を認識したうえで、新たな基準を問いかける、なんていう企画もあったけど、むしろ浸透し始めた世論をフリにして、アップデートしたイジりシロを開拓する妙な使命感みたいなものばかりが透けて、つまり面白くなかった。
日テレの『コントミチ』(笑う心臓・ヤバいハートマーク)に比べて、周りの反応も薄い、フィクションとドキュメントの線引きや見せ方の工夫を凝らさず、往年のフジバラエティの雰囲気で新しそうなことをやってみました、という実験は、側だけ残って特に印象に残るものではなかったと思う。


『嘘席食堂』だけはよかった。かまいたちによるパロディ企画、すべて嘘によって構成されたVTRを二人が視聴する。素の中からウソ(ヤラセ)を探すのではなく、ウソ(ヤラセ)の中から真実味を見出そうとする姿勢の方が、視聴者も楽な気持ちでテレビを見られるのではないか、という疑問提起が趣旨の企画だ。この考え方を呼び掛ける山内と、いまいち納得しきっていない濱家の構図が面白く、パロディながら、この二人が一番うまく嘘席をMCできるように思えた。

菊地成孔のメルマガから、先日のDC/PRGラストライブでMCされた内容が送られてきた。

いいか?だからこれは我々が音楽によってずっと伝えたかったことだから今更罰金まで払いながら言うまでもないことだが、混乱と無秩序を恐れてはいけない。くじける必要もない。
混乱と無秩序のフィールドに於いては、意識的、知的、社会的、投機的な上半身の判断がすべて無効化し、無意識的で衝動的で、反射的な、全身の判断しか残らないからだ。こんな楽しいことがあるか。俺は混乱に対してワクワクしかしない。頭がおかしいのかもしれないね。


月曜日 「誰かの日記」

ようやく体調が落ち着いてきた、食欲も少し戻って安心。
俺はお前に感情で話をすることはないわ、という上司の言葉をありがたいと思いつつ、つまりお前には感情で受け止めているところがあるぞと指摘されているようで、みぞおちがグッとなる。心当たりは、DC/PRGのライブに這うような気持ちで行った日だ、開演に間に合わないことを諦めた頃から確かにイライラが表出していたかもしれない。
仕事帰りに高見奈緒『海、のち晴れ』を買って少し読んだ、こういうときは自然とマンガを買って発散しているのだと最近気づく、会計を済ませた後に自分の状態を知ることが増えた。
仕事のミス対応もひと段落付きそうなものの、新しい宿題はかなり苦労しそう。

宿題もだし、久しぶりのアララは水曜日までにアップしないと意味がない、分かってはいるのだけど、何もしないことの言い訳さえ、もう考えなくなっている。
「誰かの日記」をちゃんと読むようになった最近。意外と、仕事を辞めたとか、恋人と別れたなど、節目となる出来事に落ち込んだ日や、自分の決心を奮い立たせる日の記録が連なっていた、つらいときに人は何かを書きたくなるのだとよく分かる、この季節特有の話題はなかなか手ごわい。
もっと、普通に仕事をして家でダラダラして、独りだけどそこそこ楽しい、そんな自分を最強だと仕立て上げるような日記を書けたらいいなあと思う。

『テレビ千鳥』のゲーム回、今回は花札で、二人がゲームをしながらお酒やら女装やらしていくだけで楽しい。次回が「ネコか?ノブか?ゲーム」で一本やると知りガッツポーズ、やっぱりこのゲームはまだまだ伸びしろがある発明だ、友達にこの感動を伝えるチャンスが来た。
『しくじり学園』スギちゃん、『お笑い研究部』加藤歩がどちらもとっても面白い。
冠番組『あちこちオードリー』の感慨を若林がラジオで話していたけど、自分は『お笑い研究部』でやっている座組バラエティーの方が尊く感じているようで、ゴッドタンやロンハーよりも、毎回とても楽しみにしている。『もういっちょTV』で金属バットがマネするランジャタイに笑って、気が付いたら寝ていた。

そういえば、静岡朝日テレビが仕掛ける深夜バラエティ番組の情報を知ったときにふと、自分は今なんでこの(こんな)仕事をしているのか、と考えてしまった。この前のフジ特番も若手ADが劇団ひとりと乱闘する番組を作っていた。
新しく世の中に発生する面白いモノの総量がどんどん増えるのに対し、自分の生活の面白くなさも増しているようで、その小さな差はこれからどんどん広がっていく予感が恐ろしい。仕事では繋がれていないそれらと自分を繋ぎとめているのは、仕事以外の時間に湧いてくる自分の好奇心だけで、労働時間や欲の変化が起きてそれらを手放したら、もう何も残らないじゃないか、それは別人になることとどれくらい違うのだろう。
そもそも、今を維持するために消費しているわけでもないのに。消費という言葉が重い。
体中毛むくじゃらで、背中の毛をカミソリで剃るのに苦労する、そんな夢を見た。しん。


火曜日 『ODD TAXI』1話

朝から花澤香菜の新曲『magical mode』の「いっせーのせ、で」で爆死する。低気圧も相まって悶々としている野郎を吹き飛ばす威力だ、中国でZOZOのCMに使われているらしく、ゾで踏んでいる。

ふくらむ想像 高鳴る心臓
悪戯小僧のような表情で
なぞなぞみたい
ひねくれた現実 乗りこなそう

今日はアララを更新できた自分を褒めたい。仕事終わりにロマンで2時間くらいかけて書いた。その間、期待のアニメ『ODD TAXI』1話も観た、ダイアンのラジオから始まるところからすでに良い。OPの感じからして『デュラララ』のような群像劇になりそうではないか!女子高生の誘拐事件が縦軸に合って、その周囲をキャラの関係性が巡り、タクシーが駆ける、みたいな。PUNPEEの起用を逆に、制作の分かってます感と捉えて距離をおいてしまう人も一定数いそうだけど、なかなか面白そう。

全然ちゃう例え王決定戦を見たのであえて言いたい。「高低差ありすぎて耳キーンなるわ!」
『踊り場』のコーナーのことだ。久々の激熱コーナー「なんか怒られました」と対になるような「サイコゥ!サイコゥ!サイコゥ!」だけど、キーンとするのはコーナー名の違いではなくクオリティの差だ。情けない生活のワンシーンを掬う前者に対して、つまらないあるあるを無理やりサイコゥ!と叫んで処理する後者は別の意味で情けない、かたまりは多分広げるの下手だし。「つまらないコーナーを無理やり続けてたら、なんか怒られました」で終わりそう。

昨日見たばかりの「花田優一イントロクイズ」にもう一度挑んでみるも、全然分からなかった。さらばの企画はとても面白い。

昨日の高見奈緒さんを調べていると、コチラの方が面白そうだった。



水曜日 「フワちゃんANNX」 伊集院へのアンサー

時系列が無茶苦茶になっているけど、「クセすごGP」でスリムクラブがやった「誰もフワちゃんを注意できなくなっている」と同等のことを月曜に話した伊集院へのアンサー回。
私が被害者ぶっても反論しても自分が積むって伊集院は言うけど、そもそも私自身に対しての批判でもないから、私も返せない=積み、二人とも積んでんじゃん!という、まっとうな理屈で返すフワちゃんの巧みさに唸ることしかできなかった。それくらいできるのも知っていたとはいえ。ノー編集の生放送でよくできるなと少し感動。

サークルの後輩と久しぶりに会った。ずっと現役のイメージがあった後輩が引退して就活をしているなんて聞いたら、いよいよ大学らしさとのつながりが消えていくようで寂しくも思う。
自分の引退後に立ち上がった、サークルのnoteをフォローしている、最近活発になっている投稿はきっと新歓期に入ったからだろう、知らない後輩が自己紹介がてらプレイリストを公開したり、知らないイベントの主催に対する思いを綴ったりしているのを眺めて、すごく懐かしい気持ちになる。企画解禁のツイートをする瞬間はいつも、アフターを過ごす居酒屋のハイライトだった。自分がいた頃はTumblrに情報を集約させていて、企画を解禁した翌週あたりに主催が出演者の説明や企画に対する想いを更新するのも恒例だった。
その頃の記事を、ちょうど昨日読み返したばかりで、よくもまあこんな小恥ずかしい記事をアップしたもんですねえ先輩、なんてニヤニヤしていた。
自分も負けず劣らずな記事を書いた記憶があったのであいこか、と探してみるもついに見つけられず、という顛末をボブに話していたら、それははてブロに書いているはずだと教えてくれた(確かにそうだった)、続けて、俺はお前のブログを全て読んでいる世界で唯一の人間だとも言い始めた(ブログ全レビュー企画をやろうとかも言っていた。やれるもんならやってほしい)。全部読んだのは確かにそうなのだろう(変なやつ)、けど、多分それに該当する人を俺はもう1人知っている(変なの)。
今はこの日記を書いているけど、数年前はアララを頑張っていて、その前は、はてブロで文章を書いていたのだった。フラストレーションがめちゃくちゃ溜まっているときに更新していたそれらは、今読み返してもなんだか面白いなあと思っている。書き散らしている感。


木曜日「何を見ても何かを思い出すと思う」

<1>
その日は中途半端な時間で、ダンダダン酒場で早い夕食を食べた。
下北沢はこの時間でも誰かが誰かと飲んでいて、たまにやって来る身としてはずっとこうであってほしい景色の名残に見える。一人の自分は『有吉の壁』を見ながらハイボールを二杯飲んで、もう中学生の大喜利が一番面白いことになっている令和をジワっと好きになり始めたところ。
もう中ブームのきっかけ、サンドリのゲスト出演回はあと何回だって聞けるぜ!と気が大きくなってきたことを察して、急いで会計を済ませていたら裾が冷たい、土砂降りだった。
隣の軒下で雨宿りしながら「壁」を最後まで見る、歩きながら本を読むような某中学生の未来はこんなんだ。パニック状態のかたまりの横、立ち上がったもぐらが最高のリカバリーを決めたところまで無事見終えたけど、まーだ土砂降り。
駅前のフラワーズロフトに置かれたピアノを誰かが弾いている、大阪の百貨店近くの駅構内みたいな、演出された下北感に5分で飽きて、ほろ酔い立ち尽くしTVer野郎には何もなかった。
仕方なしにサンドリもう中ゲスト回を聴いていると、雨が上がるより先に、時間がきた。

<2>

<3>
劇場を出て、男女が降りた窓の高さを見上げながら、連絡がついたUさんに会いに行く。両ポッケにビールを二本ずつ買ったけど、先輩が家を片付けていないという理由で、それらはすべて路上で飲まれた。下北をブラブラ歩いて、最近の感じを話した。
平日のUさんは少しヘタっているかもしれなくて、それは当然自分にも起こりうることかもしれないから、ビールを渡して、いろいろ話した。ビレバンのマンガ売り場で1時間潰したりした。映像は見れないけどマンガは少し違うらしい。
「俺、『有吉の壁』を特番から全部見てんのよね」の上の句は「そういえば、自慢していい?」だったのだけど、同じくらい俺もテレビっ子だった、厳密にはTVerさん。こじるりから佐藤栞里に変わって本当に良かった。
『劇』目の前にある本多劇場には、『テレビのおばけ』のチラシが貼られていた。霜降り明星のラジオ昇格が最近嬉しかったことだ、佐久間さんのライブに当選したのは大学生で本多劇場はあれ以来入ってない、込み合った四文屋で飲んでた、眠亭のことはそれほどありがたがってない。ずっと場所はあって、少しずつ変わっていて、だからそれはずっとはないってことなんだけど、記憶の中でも夢の中でもなく、ずっとある場所はあるのだと思う。
いまのこの時間がなんだったのかなんて言葉にすることはないけど、楽しかったときに話されたことは鮮明に記憶に残る。こうして下北をグルグル回ったことも何回だってある。駅前ロータリーが今の状態になって、もう昔の姿は思い出せないけど、新しくなりたての頃にSHELTERで後輩が打った企画を見た帰りに路上で飲んだ、とかは思い出せる。何を見ても、何かを思い出すと思う。


金曜日  なんとなく、野田クリスタル。

昨日くらいから話題になっていたポカリのCM。

1人で群馬をめぐる仕事の日。駅までマヂラブANN0を聴きながら歩いて、電車では昨日買った『野田の日記 それでも僕が書き続ける理由 2006−2011 はじめのほう』を読んだ。
そういえば今年は『マヂカルラブリーno寄席』から始まっているのだ。恩人に対する理解を深めようではないか。
ネタ作りができなかった日と、ネタ作りができずに村上とカラオケした日と、スベった日と、郵便局でバイトする日が、大部分を占めていた。動物番組出演という邪な考えから飼いだしたハムスター(ハムハム)を野田が懸命に真面目に育てている人柄ががよく分かる日記だった。売れてない芸人はこれ以上でも以下でもない、これ以上の場合は邪な演出でしかないと、今後芸人を眼差すうえでの基準となるような、そんな日記、とても面白いから読んでみて欲しい。

そんなこんなでネタ合わせは終わった。
最後におもいついたボケは「酒だと思って飲んだらボルヴィックだった。うぃっす」だった。
帰ってから家で「笑いとは」で検索した。
(「2007/11/10(土)ネタ合わせ」野田クリスタル『野田の日記』(ヨシモトブックス))

高崎駅でお昼を食べようと、目当ての店まで歩いてみる。気持ちいい天気、去年来た時は夜だった、「向井の喋り方」を聴いている。臨時休業、なんだよ。仕方なく入ったラーメン屋は仕方ないラーメンを出してきたので少し残す。

目的地が二つあるので、ひたすら移動。だんだんイライラしていく。なんで群馬くんだりまだ来なきゃいけねえんだ、ケツ(ニッポンの社長じゃないほう)がいてえ。4人組の男が2:2に分かれて座り大きな声で話している、うるせえ。学校でイケている部類っぽい見た目だ、自分の隣に座った男のスマホを見たら、知らないYouTuberを見ている、知らねえ。男5人のYouTubeで、見た目や格好は彼らと同じ、少しイケてる感じ。だけど少しイケてる奴らのくせに、YouTuberらしく律儀にちゃぶ台の前に座って自己紹介とかしてた、だせえ。

一日中ラジオを聴いていた。
ぺこぱ、ハライチ、日曜天国で安住さんが醤油の話をする回も順番にすべて聴いた。帰りは問わず語り聴きながら、新前橋の酒屋でお土産買って(もうほとんど一人旅)、『ファルコン&ウィンターソルジャー』を見ながら帰った。ファルコンが翼を装着するのに一工夫あるのかと思ったけど、決戦の日はちゃんと事前に装着して行くのに落胆。
赤羽の本屋で『野田の日記』続編を買った、まさか今日一日で読み終わるとは思っていなくて、今日一日もくもくと仕事(というか移動)を遂行できたのは、もくもくと生きる野田をイメージしていたからだと思う。
赤羽もついに喫煙所が囲われていて、その出口にガールズバーの子が待ち構えているという、なんとも世知辛い光景だった。
「インプット量ばかり競ってないで、お前の言葉で語れよ、って思う」世間的なものに対して言ってるように見せて、多分4割くらい自分に向けられた言葉だったと思う。DC/PRGを見終わったあとの友達の口からでたやつ。そんなことも思い出す旅と野田でした。もしかしたら8割だったかもしれない。
俺のはてブロはなんというか、野田にとっての魔法のiランドみたいな感じで気に入っている。noteら未だに、座敷なのかテーブル席なのか分からない感じがして、雑に更新できない。
だけど、はてブロを書いていた頃に「なんとなく、野田クリスタル」を思いついていたら、きっと何かもう少し頑張って捻ったものを楽しく考えて書いていたと思う。それができない寂しさや物足りなさなんか意にも介さず、なんでもござれ記事にしまっせというのがnoteだ、貧相な発想の側だけ整えてくれる媒体なのだ。

加納さんのartistspokenを聴いて、寝る。加納さんは自分がどのラジオで何を話したかきちんと意識していて「これは〇〇で喋ったんだけど」と有料ユーザーへの配慮であったりとか、媒体ごとのリスナーに合わせてどこまで深く話すかを調整しているところがプロだなあも毎度思う。
媒体のことを俺はよく知っている、媒質となる物体のことだ、バーイタイ、バイタイ、紙媒体。

土曜日 



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