(日本)映画とドラマ
時間が経つに従って映画を見なくなってきた。
話題の映画であるほど食いつかなくなった。
ホームシネマのシステムがあってもなぜか億劫で何かきっかけがないと見ようを思わない。
映画館なんていよいよ行かなくなってしまった。
振り返ると、ここ数年で見た映画でよかったなと思えるものほど、公開時には地味で話題にならなかったか、なってもほどほどの評判だった。なるほどわざわざ映画館に足を運ばなかったわけだ。
最近のものにはそれほどの感動は期待できないので、観る時は勝手知った昔のものの方が多い。
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最近すっかり年寄り臭くなってしまった。何かとブツブツ言っている。
映画もそう。
日本映画とか、特にドラマを見ることがあると大抵難癖をつけたくなる。
叩かれる覚悟で言うと、若い俳優の「演技?」はあまりに不自然で「バカかコイツは?」と思うことがすごく多い。
年季の入った俳優にしても歌舞伎でもやっているかのような顔つきで言葉を吐く。
立ち回りもそう。気になりだすとそこばかりに目が行き、ストーリーなど頭に入ってこない。
日本にいた時は何とも思わなかったのに…自分が変わったんだろうか?
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ちなみにどこかで見た文だが「歌舞伎の子役はわざとセリフを棒読みすることを覚えさせられる」というのがある。
歌舞伎は歌舞伎。舞台演芸だしああいうものだとわかっているのでアレでいい。ドラマの俳優が棒読みしているとは言わないが、誇張が過ぎると興醒めする。
想像してみるといい。
スーパーでの買い物とか学校のクラスとか毎日の職場で歌舞伎ばりの喋り方をする誰かがいたとする。口を曲げ、眉を上げ、一瞬ピタッとキメ、ドスの効いた声で、抑揚をつけて喋る。間違いなく白い目で見られるだろう。
セリフを作った誰かの責任でもある。監督の責任でもある。
映画やドラマにはそれなりの表現方法があるので、他の分野から取ってつけたようなやり方だとムリがある。
逆に例えば大河ドラマなんかの時代劇。これは誇張があってもすんなり見られる。もう何十年も見ていないがスタイルが変わった様子もない。
思うに能、狂言、歌舞伎といった舞台作品をわかりやすいストーリーでテレビドラマの枠に入れるとあんな風になるのかも。
視聴者にしても、特に時代物なので、演技に誇張があっても現実から遠いお話として割り切って見ていられる。
あっ、もちろんこんな作品ばかりじゃないし、お気に入りの最近の日本映画もたくさんあるんで。
この方が例で出されている「万引き家族」。今日のこの記事を書いている間ずっと考えていたのがこの作品だった。出演者全員の演技がすごかった。
ちなみにこの作品、フランス語タイトルは « Une affaire de famille »「ある家族のあるお仕事」とされている。「万引き」を直訳することをためらったようだ。
さて引用したサイトだが、同じことを感じていた人がいたことに少し感動した。
洋画になってしまうが、この1年間で見た少ない映画作品の中で演技がすごいと思ったのはマッツ・ミケルセン主演の「Drunk」という作品。ドアップで映される4人の俳優の顔ばかりが印象に残っている。撮られる方もそうだが撮ろうと思った方もすごい!時間軸を追って変化していく表情。まるでドキュメント。あれはすごかった。
余談になるが、「すごい」という言葉はあまり好きでない。なぜかと言うと、形容詞として独立して使う場合、「怖い、恐ろしい」と言う意味合いが含まれるから。乱用すると意味から外れる気がする。それ以外ではむしろ「すごく何とか」と副詞的に強調する意味で使うはず(間違っていたらすみません)。
「万引き家族」と「Drunk」はすごいと感じた。文字通り鳥肌が立った。
せっかくホームシネマで2-3時間じっくり見るんだったらこんな作品がいいなぁ、と思ってしまう。「ゴッドファーザー」とか「エイリアン」とか「レオン」とかに結局手が伸びてしまうのにもそれなりの理由があるように思えた。
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