幸 七世

好きなことだらけ

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ビタミン炭酸「マッチ」信仰

わたしには、小学生のころから信仰している飲み物がある。「マッチ」だ。ビタミン炭酸、と銘打たれたそれは、グレープフルーツ味の炭酸飲料で、よりポピュラーなもので例えるなら、CCレモンが最も近い。 小学5年生、地元のテニス教室に通い始めたわたしは、そこで初めてマッチと出会う。 毎週の練習後、(約)700m走で自身の記録を更新したひとには、テニスコートに併設された自動販売機からひとつ、コーチがジュースを買ってくれる。 そこで専ら人気だったのがマッチだった。 少しだけ酸っぱくて、ビタ

    • おとなにならないこどもたち【小説】

      あたし、何歳まで少女でいられるんだろう。 19歳?処女を卒業するまで?背が伸びるまで?高校を卒業するまで?少女の定義って不確かすぎて、むかしは大変だったんじゃない。あたしの生まれた時代は、少女の定義がなんとなく、決まっていた。少女は、15歳最後の日まで。少女病の患者は、16歳になるまえに、半数以上が死んでしまう。 その、病気といっていいのかもわからない奇病にそう名前がついた日に、明言こそだれもしないけれど、なんとなく、なんとなくだけれど、16歳が少女と大人の区切りにきまった

      • 味噌ラーメンの呪い

        わたしはおそらく、人よりも食に関する好き嫌いが多い方なのだが、今日はそれについての話をしようと思う。 味噌ラーメン、は、幼少のころより、わたしの人生の呪縛のような料理だった。 まだほんの小さな子どものころは好きだった記憶がある。たしか、わたしがまだ小学校に通う前のことだ。祖父が好きで、父も好きで、だから頻繁に食べていた。わたしも好きだった。 それが、ある日を境に、わたしは味噌ラーメンをぱたりとたべなくなった。 それも未就学児の頃だ。わたしはある日突然、味噌ラーメンを食べては

        • 「彼女」と保健室の魔法

          わたしは、高校生のころ、保健室登校のようなことをしていた時期がある。わたしが通っていた高校はいわゆる進学校で、毎日がとにかく忙しかった。文武両道を校風に掲げ、勉強も、部活動も、スポーツも、学校行事だって、とにかくなんにだって全力をつくすことが是とされた。 なにかきっかけがあったわけではないのだが、そのときのわたしはとにかくその毎日のめまぐるしさに精神が疲弊し切っていて、毎日学校に通うことが苦痛だった。生活リズムや家庭環境のおかげで、学校に「行く」ということはできていたのだが、

        ビタミン炭酸「マッチ」信仰

          13歳、わたし。国語辞書に魅力された。

          それはわたしが13歳のときのことである。わたしは国語辞書に夢中だった。 と、いっても、わたしは小学生のころから国語辞書を文字通り「読んでいた」ので、13歳がはじまりかといわれればそうではない。けれど、あれほど国語辞書に費やしたのは13歳が初めてだった。あのときのわたしは、きっと病的なまでに国語辞書を愛していた。 たしかに、小学生のころからわたしは、国語辞書を読んでいた。具体的にいつから、というのは記憶していないのだが、少なくとも小学五年生のときに読んでいた記憶はある。当時

          13歳、わたし。国語辞書に魅力された。

          タピオカは戦争だ。

          わたしも女子大生のはしくれなので、タピオカが好きだ。単にインスタ映えというだけでなく、純粋にタピオカはもちもちしていておいしいし、有名なタピオカの店はたいてい、ジュース単体でもおいしい。 ジューススタンドでジュースを買う人はこれまでもたくさんいた。そこに50円だか100円だかをプラスするだけでタピオカもジュースものめるのなら、タピオカジュースが流行るのは当然ではないだろうか? と、前置きをして。 わたしはタピオカが好きなのだが、その反面タピオカを飲む機会はそれほど多くない。

          タピオカは戦争だ。

          あたしのさいごのブルー

          あたしは彼女の名前すら知らなかった。青い透きとおった瞳を見て、ああこの子だ、と直感した。そういうものだってだれかがいっていた。 十六年前の明日。あたしの誕生日。あたしに春の美しい花の名前がつけられた日に、あたしの運命は決まってしまった。大人たちはどうしよう、どうしよう、と嘆き喚いたけれど、あたしはそれがほかのだれかに口を出されるものじゃないと、生まれたときから知っている。きっと彼女だって、そう。 絆ってそういうものよ。少し前、学校の屋上から飛び降りる直前の友人がそういってい

          あたしのさいごのブルー

          ばらゐろの人生

          わたしがはじめて物語とよべるものを書いたのは、まだ4歳だか5歳だかのときだったような気がする。 通っていた幼稚園を想像して、運動会のかけっこに望むふたりの幼稚園児の話を書いた。 今のわたしはもう成人しているのでかなり昔の話だが、わたしにとっては人生でいちばん忘れられない記憶だった。B5サイズの紙を10枚だか20枚だか使って、はじめて形にした「物語」は、当時の年齢を考えるとかなりできたものではないだろうか。それから15年以上経った今でも、わたしは趣味として小説を書き続けてい

          ばらゐろの人生