ビタミン炭酸「マッチ」信仰

わたしには、小学生のころから信仰している飲み物がある。「マッチ」だ。ビタミン炭酸、と銘打たれたそれは、グレープフルーツ味の炭酸飲料で、よりポピュラーなもので例えるなら、CCレモンが最も近い。

小学5年生、地元のテニス教室に通い始めたわたしは、そこで初めてマッチと出会う。
毎週の練習後、(約)700m走で自身の記録を更新したひとには、テニスコートに併設された自動販売機からひとつ、コーチがジュースを買ってくれる。
そこで専ら人気だったのがマッチだった。
少しだけ酸っぱくて、ビタミン炭酸といわれるとなんとなく栄養がある気がするし、炭酸飲料なので喉がスッキリする。2時間の練習で疲れた身体にはもってこいの飲み物だ。
わたしも周りにつられて、マッチを好んで飲んだ。そのときはまだ、信仰と呼べるほどではなかったと思う。ただなんとなくおいしいから、テニスの練習後はマッチ。ご褒美のようなものだった。

それから10年経って、それは信仰に変わっている。わたしにとってマッチは、神様のような飲み物だ。依存といってもいいかもしれない。部活動でも、アルバイトでも、なんせ体力をつかうことをしたあとには、「ご褒美のマッチ」が当たり前になっていて、わたしはいまもマッチを手放すことができない。
単なる炭酸飲料を信仰だなんて、そんなことをいうのは馬鹿げているかもしれないが、わたしにとっては世界中のなによりも好きな飲み物だ。「これをがんばったらマッチが飲める」と思うだけでがんばれるのだから、やはり一種の信仰だ。

そんな、そう、依存、を克服したのは、つい最近のことだ。だが克服したのは依存であって信仰ではない。
高校生からはじめた軽音楽で、わたしはボーカルをしている。ボーカルは喉が命だ。炭酸飲料は喉に悪い。他人よりも風邪をひきやすく、一度ひいたら数ヶ月は治らない体質のわたしには、このマッチ依存は些か問題だった。
何度も炭酸禁をしようと試みて、これまで何度も失敗してきた。コーラをはじめとするその他の炭酸飲料は我慢できるのだが、マッチだけはそうはいかないのだからやはり依存だ。
それでも諦めず挑戦して、そうして5年たった先日、ついにわたしは3ヶ月の「マッチ禁」に成功したのだ。その記録はいまも続いている。
とはいえ前述の通り、マッチ信仰はいまだ健在だ。それどころか、この3ヶ月のマッチ禁を通して、わたしは悟りを開いてしまった。
「ライブが終わったらマッチが飲める」。
そう思って乗り越えたはじめの1ヶ月、ライブ直前は「これが終わればマッチを飲む」と息巻いていたわたしは、ライブ後のあまりの慌ただしさにマッチを飲むことをすっかり忘れてしまっていた。忘れていた、というより、それどころじゃなかったのだ。
そうしてマッチを飲もうと思い立った頃には、次のライブが控えている。「ライブが終わったらマッチを飲もう」。わたしは再びそう決意した。
一度それがなされてしまったら、あとは簡単なもので、わたしはすっかりマッチを飲まなくてもいい身体になってしまった。

それでもわたしがいまもマッチは信仰だなどというのは、いまだ「ライブが終わったらマッチを飲む」と言い続けているからだ。きっとわたしは、この先の人生一度もマッチを飲まずとも生きていけるという確信がある。
それでも今日も思うのだ。
「次のライブが終わったらマッチが飲みたい」と。

文字が好きで多趣味な現役女子大生が好きなものや感じたことについて書き綴ります。あと主に少女を題材に短編小説も書きます。