ケニアラクロス、U19までの軌跡

ここからすべて記事の日本語訳になります。

今回U19ラクロス世界大会で、ケニアほど障害を乗り越えてきたチームはいないでしょう。

18人のプレイヤーの中には、貧困層のなかにいる選手もいます。一人は、8人家族で二つしかないベットルームの泥で作られた家に住んでいる子。もう一人は孤児で、兄弟を育てている子。このチームは腐敗がはびこる政府の邪魔も受けてきました。

出発の二週間前にカナダでの滞在先を失くしてしまったチームですが、カナダの住民たちが住む場所を用意してくれました。これは、ケニアラクロスのドキュメンタリーを撮り続けたチームの一員、ジャネット・ウェルズの計らいです。

カナダについたのちも、問題は続きました。オーダーしてあった靴が、イギリスの靴サイズではなく、アメリカの靴サイズで来てしまったのです。ローズ・パウウェルはトーナメント開催者の一人です。彼女は二人の友人、ターナーとメリーエレンと共に、自費で1500ドルをだして靴をプレゼントしました。

「カナダの人は優しいって聞いていたけれど、ここまでとは思いませんでした。」ケニアのプレイヤー、ミッシェルは言いました。「本当に、気持ちがいっぱいなほど、感謝しています。」

「彼女たちは、まさにお伽の世界の中にいるような気持ちです。」ヘッドコーチ、トレンサムはそう言います。

トレンサムはウェールズのチームの一員として世界大会でプレイしています。2007年、ここピーターボローでU19に参加しました。2007年にはケニアでボランティアを行い、地元のチームにラクロスを教えていました。

「ケニアでは女性のためのものが、本当に少ないのです。とても男性の力が強い社会です。当時は、まさかケニアで国代表ラクロスチームを作るなんて、思ってもみませんでした。」

2015年のスコットランドでの世界大会後、彼女は2019年にケニアチームを世界大会に連れて行くと決めました。彼女と数人のコーチ仲間は、ケニア政府のサポートを受けることはできませんでした。それに加え、政府はラクロストレーニングキャンプを強制廃止に追い込んだのです。

「賄賂を渡さなかったからだと思います。」コーチトレンサムは言います。

パスポート・ビザ・誕生証明書の申請も至難を極めました。スポンサーをさがして色々なものを用意するのも厳しかったようです。

「トレーニングに、食べるものを持ってこれない子がいるのです。私たちがすべて支払わなくてはなりませんでした。」

幾人かのプレイヤーは、家族の中でその子たちだけが学校に行っている状態でした。チームが学校の費用を負担していたからです。

「仕方がなかったのです。そうでもしなければ彼女たちは学校に来れない、ラクロスもできない。ラクロスを教えるのが目的でここにいることは確かです。しかし学校もいけないような状態をほおっておけますか? ラクロスが優先順位が低いとかそういうことを言ってるわけではないですが、大事なことは大事です。この2か月で9人のプレイヤーがマラリアにかかりました。その治療費もカバーしました。」

「チームは本当に色々なことを乗り越えてきた。先ずはケニア政府。いろいろな妨害を受けました。私やトレンサムは酷い仕打ちをうけました。」ケニアのプレイヤー、ビクトリア・ナシミユはそう語ります。

プレイヤーの幾人かの親や教師たちまで、ラクロスプログラムには反対でした。

「ラクロスは私たちの世界観を変えてくれました。」ビクトリアは語ります。「たくさんの女の子が、学校をやめてしまうのです。誰もサポートしてくれないし。それで若いうちに妊娠して子供を産んで、そして何もできないまま人生を無駄にしてしまう。」「ラクロスは私たちを忙しく集中させてくれた。」

「ラクロスで、私たちの国を変えることができるんじゃないか?」ケニアプレイヤーのウェソンガは言います。

ケニアは国際大会経験が少ないです。ウガンダとプレイするのが唯一の試合でした。

「コーチだったら、なるべくたくさん、プレイヤーに勝たせてあげたいって思うんです。もし大会で勝てなかったら、、それは悔しいけれど、大事なのはそこじゃないんです。」

ターナーはパウウェルの長年の友人です。ケニアチームに貢献できることをうれしく思っています。

「ローズは、スポーツに情熱を持っている。私は、10代の子を助けることに情熱をもっている。メリーエレンはスポーツと少年少女を助けることに情熱を持っている。だから完璧にフィットしてたんです。とてもチームに会えることを楽しみにしています。」






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