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そもそも愛されなきゃいかんのか?


本記事は過去、旧paletteq(現在はpalette多様性×インタビューメディア)に寄稿した漫画です。旧paletteqのサイト移行に伴い、投稿記事が WEB上で検索できなくなってしまったため、こちらに再掲します。

注:palette様、本アカウントでの掲載に問題があれば、ご連絡ください。

愛されることが当たり前みたいに言われている昨今だけど、本当に愛されなきゃいけないのだろうか?ストレートな疑問を漫画にしました。



あえて「愛され」の話をしてみようと思う。

正直なところこの記事は、「愛されること」「モテること」「求められること」に欲求と情報が集中している今の世の中では、小さな抵抗にすぎないだろう。

日本では「誰かに愛されること」が肯定され、私たちのまわりは「モテるため」のスキルであふれている。このPCのサーチエンジンにちょっとキーワードを入れただけでも、たくさんの情報が手に入るのだ。

量には勝てない。そこに裏打ちされた、人間の「求められたい」という欲求の強さにも、勝てないだろう。愛されるための情報は、日々、爆発的に増えている。

しかし、それでもあえて書いてみる。それは、少しでも「愛され」や「モテ」の問題で傷つき、悩み、疑問を抱いているあなたのためにだ。

「愛されること」「求められること」、これは間違いなく人間の根幹をなす欲求である。人間は幼児期が長く、1人で生きていくようになるには時間がかかるからだ。手間をかけてもらえない子どもは、すぐに死んでしまう。誰かの愛情や感心をうまく得ることが、発達のうえで必要になっている。

そして、人間同士で集団生活をするような社会になっているから、集団内の構成要員でコミニケーションを取る必要がある。愛されていれば、より良質な関係性を得られるし、自分にとって利益となる。

個体として生れ、自我を持つ人間にとって、愛は重要なキーファクターなのだ。それは間違いないだろう。

しかし、そこには重要な問題点が隠れている。

「愛される」ということは、受動的なものだ。「愛される」ためには、相手に気に入ってもらわなくてはいけない。自分が能動的に「愛される」ために行動を起こしても、「愛する」かどうかは最終的に相手が決めることだ。自分からは、最終決定権がはく奪されている。

だから、愛されるためには、相手に良く思ってもらえるようにしなくてはいけない。そして、もしあなたが誰かに愛されることこそが自分の価値である、とあなたが思っているならば、自分の価値を決める決定権は、不特定多数の誰かが握っていることになる。

やがて、あなたの価値を決める誰かは、あなたを検分し、何かの基準に基づき評価するだろう。愛されることを求めるあなたは、その評価をただ受け入れるしかない。

あなたは、その評価をより良いものにしたいと思うのではないだろうか。

そして、「愛され」と「モテる」ための情報の渦に飲み込まれる。ネットから情報を収集したり、仲の良い友達から聞いた話を気にしてみたりする。

真面目なあなたは、それのうち出来そうなことを試してみる。ダイエットのために食事を減らしてみたり、おしゃれに気を遣ってみたり、顔を気にしたり、そう、いつもしているようなことだ。

この国では「モテる」ために、いろいろな努力をすることが推奨されている。もしかしたら、それをしない人は努力をしない人だと、レッテルを貼られることさえあるかもしれない。

でも、あなたもすでに気が付いているかもしれないが、「愛される」ための道はとても厳しい。努力し続けること自体も難しいが、そもそもの要求が矛盾していることもあるし、何より求められるハードルが高すぎるからだ。

好かれようと必死に期待に答えても、納得できるところまで到達することは、至難の業。不特定多数の誰にでも認められたい、と思うならなおさらだ。

そして、階段を上り続けることはできない。特に、日本では年齢差別があるから、歳を取ったら価値はないと切り捨てる風潮もある。「愛されたい」というのは天井のない飽くなき欲求のくせに、急にはしごを外されるときは来る。

周りの人に「愛される」ためにある程度、自分の言動をコントロールするのは、人間の通常するべきことだろう。しかし、世の中には「愛してあげる」「認めてあげる」「受け入れてあげる」ことをエサにして、時にはあなたの根幹や核心となる部分を、明け渡すように言ってくる人もいる。一見、親切心や愛情のように見せかけて、サラリとそういう要求をしてくる。

そういうときに、わたしたちは「愛されない」選択肢をとらなくてはいけない。もちろん、誰かからの愛を獲得するために、ちょっとぐらいなら自分を譲ったっていい。友人のために見たい映画を合わせてみたり、あんまり得意じゃないタイ料理を一緒に食べに行ったりするだろう。

でも、自分の中に引っかかりを感じたり、一瞬迷ったり、まだ言葉にできないような得体の知れない感情を察知したら、何かあなた自身の気持ちとずれることが起こっているのかもしれない。

あなたはあなたとして生まれた。

そのあり方に、間違っているなどということなんて、あるものか。 あなたがあなた自身であることを否定し、何かに追従させようとするものがいるのであれば、断らなくてはいけない。

それは、あなたがあなたに愛されるために。あなたがあなたを、愛するために。

あなたの価値は、あなたが決めることができる。すべての選択権は、あなたがすでに持っている。だから、誰かに与えてもらえなくても、大丈夫だ。みんなからもらおうとしなくたっていい。

臆せずに、怯まずに、愛されない選択肢を持とう。必要な時に、ちゃんと選べるように。

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