見出し画像

身の回りの小さな「違和感」をみつける

先日、#これからの働くを考える というイベントで、印象に残った言葉。

とにかく「ださい」「めんどくさい」「つまらない」をなくしたい。それだけなんです。

分かりやすく、強い言葉だ。

世の中には、そんなものはいっぱいあるし、きっといつまでもなくならない。だから、なくすことを続けるのが、面白い。

その話のつづきで、「Slackに”ふ”というチャンネル(トピック)をつくって、そこにみんなの不満や不安、負担になってることなどを書き込んでいる」というものがあった。

それは、負なのか不なのか、あるいはその両方を意味して平仮名にしているのか、聞きそびれてしまったけれど、"ふ"という平仮名がいいなと思う。

”ふ”という音のやわらかさが好きだ。そっと息を吹きかけるのと同じように、人の表情を穏やかにさせる、やさしい音の響きがいい。

だから、娘にも"ふ"が付く名前をつけている。決してマイナスの意味ではなく、やさしい柔らかいその音に、名前を呼ぶたびに癒されるように。

話は逸れたけど、"ふ"というひらがなの柔らかさは、"負"や"不"の持つ強いネガティブな感情を和らげることができる。
日常のなかで、自分の感情に素直になって、「ださい」「めんどくさい」「つまらない」と思うことは、ネガティブなことではない。
そうした違和感を大切にすることが、何かを変えるきっかけになる。何かを変えることで、新しい価値が生まれ、それがやがて仕事へとつながっていく。

身の回りの小さな違和感を見つけて気づくこと、それを治していくこと。大きなものは小さく切り分け、自分の手に負えるものを、変えていく。
イベントでお話を聞かせてくれた二人は、それをただ続けていたら、いつのまにか「働く」になっていたのだと思う。

なんか変だな、と思う自分の気持ちは大切にしたい。けれど、世の中変なことばっかりだ、となってしまったら、本当に変えたい問題が見えなくなることもある。どうにもならないことだってある。
"ふ"というフィルターは、そんなネガティブな感情を少しフラットに見せてくれる気がする。違和感は、だれかを苦しめるためのものでもなく、自分が苦しくなるためのものでもない。
いったんフラットに寝かしておくことで、変えられる糸口を見つけたり、小さな問題に切り分けたり、粒度を落としたり、いろんなことを考えることができる。きちんと向き合うための、気持ちの余裕が生まれる。

違和感を、ざらざらとした手触りのあるもので、それがとても愛おしいものだと思えたら、それは自分事へと捉え直すことができる。なめらかであるよりも、そうした感触や手ごたえがあるほうが、いきいきと頑張れることもある。張り合いが生まれる。

そんな違和感との付き合い方をわたしも、うまくやっていけたらいいなと思う。

この記事が参加している募集

イベントレポ

読んでいただいて、ありがとうございます。お互いに気軽に「いいね」するように、サポートするのもいいなぁ、と思っています。