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「もったいない」と言われる肩書き

正直、「京大卒の主夫」という肩書きはあんまり使いたくない。なんか恥ずかしいから。

卒業して10年以上経つのに、いまだに学歴引きずってるの?と自分でも思うし、思われるのも嫌だ。もちろん、今さら学歴にすがりつくつもりもない。

でも、主夫をしているとよく「もったいない」と言われる。
それはたぶん主夫だけじゃなくて主婦の人も同じだ。学歴が高いひとが働いていないことが、「もったいない」と言われてしまう。なかには、「税金使って勉強したくせに、働いて返さないなんて」と言う人もいる。生産性がない、コスパが悪い、そういう価値基準で切り捨てようとする。

「収入」というモノサシはわかりやすい。

定量的で、誰もが欲しがるもので、誰もが手にしやすいものだから。
そのモノサシで測ると、稼いでいない主夫はもったいない存在かもしれない。もちろん、収入が多いのに越したことは無いし、それも一つの努力の証だと思う。

でも、ひとつのモノサシだけで人は生きているわけじゃない。
人の能力や価値は、そんな単純な数字だけでとらえきれるものじゃない。

いろんな生き方があっていい。みんながたくさん働けるわけじゃない。

「多様性」なんて、もうみんな聞き飽きているに違いない。
だけど、やっぱりそこから始めたい。

この肩書きでブログを書いていると、同じように「もったいない」と言われて、つらい思いをしている人からメッセージをいただくことがある。
同じようにブログを書いている人もいる。心ないコメントに嫌気がさして、ブログを閉じた人もいる。みんな悩みながら、自分のキャリアと向き合っている。遊んでばっかりいる人なんて、いない。

共働きか、専業主婦か、どっちかしか選べないわけじゃないのに、二つしか選択肢がないみたいに言われるのもヘンだ。いつのまにか、そんな不自由な選択をさせられている状況を変えたい。働き方も、暮らし方も、自由にいろんなメニューの中から選べる社会のほうが、きっとみんな生きやすい。

「京大卒の主夫」という肩書きは、稀少性のある特別なものに見えるかもしれない。

でも本当はそれは特別なことでなくて、違うモノサシで比べられて、あるいは一つの価値観に囚われすぎていて、自分を卑下したり、劣等感に陥ったり、自信を無くしたりしている人は、ずっと多いような気がしている。

そういう弱さにずっと寄り添っていたいから、この恥ずかしい肩書きを使い続けている。

彩瀬まるさんの『珠玉』は、そんな弱さを描いた小説です。読まなくても大丈夫です。でも、この話を読んで、私は少し救われた気がしました。ありがとうございます。

稼がずに生きていくのは少し難しいかもしれないけど、稼ぐだけが価値じゃない世界はきっと作れると思う。本当はみんなが稼ぐほうが、変だ。


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