見出し画像

体罰も虐待も、全部許されない暴力だ。

少しセンシティブな内容なので、ちょっとつらいと思うときは、そっと閉じてください。

+++++++++++++

子どもへの体罰、虐待のニュースはつらい。見たくないし、子どもに見せたくない。どんなにしつけのためだと理由をつけても、それはすべて許されない暴力だ。

体罰やそこからエスカレートする虐待は、人の心とからだを深く傷つける。

体罰について、森田ゆりさんは次のように6つ問題点を指摘している。

1.体罰はしばしばそれをしている大人の感情のはけ口であることが多い。
大人は、しつけのため、指導に熱心になりすぎたから、と理由をつける。でもそれはただ怒りという感情を吐き出しただけだ。

2.体罰は子どもに恐怖感を与えることで子どもの言動をコントロールする方法である。
身体的な苦痛は相手への恐怖と簡単に結びつく。恐れによるコントロールは表面的なものでしかない。

3.体罰は即効性があるので、それを使っていると、他のしつけの方法がわからなくなる。
体罰によるしつけが成功体験になると、ほかの方法を知ろうとしなくなる。選択肢を知らなければ、感情に流されるまま安易にそれに頼ってしまう。

4.体罰はしばしばエスカレートする。
子どもが、叩いても言うことを聞かなくなると、もっと強く叩くようになる。そうして、より強い恐怖心を与えようとする。

5.体罰はそれを見ているほかの子どもに深い心理的ダメージを与えている。
恐怖心は伝染する。身近な人の苦痛は同じくらいの心理的圧迫を与えてしまう。

6.体罰はときには取り返しのつかない事故を引き起こす。

大人だって怒ることはある。
でも殴る、突き飛ばすなどの行為を伴うと、それは大人と子どもの間にある圧倒的な力の差を悪用した暴力に変わる。

すべての体罰は暴力で、ひとときも必要な場面はない。どうしても、叩いてしまったときは深く深く反省して、目を見てきちんと謝る。
大人だって、間違えることはあるから。感情を抑えきれないときもあるから。

そうやって謝ること、叩かないと約束することをしないと、その子どもも暴力で解決しても良いと思ってしまう。いっぱい叩かれたから、強くなれたと勘違いしてしまう。

大人になっても、力の差を悪用する人はいっぱいいる。力の差があるのは、ただの事実だ。
それは正しく使えば、たくさんの物事を教えたり、才能や能力を伸ばしたり、一人で何かを解決する力を与えることができる。

大人が、少しだけ先に生まれて、少しだけ知ってることが多いということを、正しく使いたい。そうして、正しい使い方を子どもたちへ伝えたい。

暗殺教室のころせんせーも同じようなことを言ってた気がする。

子どもを守れるのは大人だけです。

追記

高祖常子さんが発起人となって、体罰の法的禁止を求める署名が始まりました。

現状は、学校教育法にのみ記載があるのみで、民法にも児童福祉法にも法的根拠はありません。詳しくは別ブログにも書いています。


この記事が参加している募集

note感想文

読んでいただいて、ありがとうございます。お互いに気軽に「いいね」するように、サポートするのもいいなぁ、と思っています。