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ここは安全な感じがするので

好きなように好きなことを書いていこうと思います。だからこのノートは私が好きなことを織って紡いでより私らしい暮らしを実現していくノートになるはずです。
というわけで、タイトルも斜に構えたのをやめにして、直球にします。直球しかむかしから投げられなかったのに、いつのまにか格好いい斜めにあこがれるようになっていました。なんの影響かは考えないことにします。

今私が望んでいること。

健康的で楽な体で
経済的に憂いなく
好きな場所に愛する人と住んで
楽しい仕事を思い切りする

ということ。この思い切り、というところにあたしのカルマがあるように思いますが、私は全く自分の熱意を出し惜しみできません。恋愛でも仕事でも趣味でも、したい限りをつくします。そして気が付いたら廃人みたいに何もできない状態にまでなってしまう。でも、それってたぶんおかしいということに最近になって気づきました。たぶん体力が落ちたせいでしょう。好きなことを思い切りすると、ヘロヘロに疲れて体調を崩してしまうのです。そういうことが分かるようになるのだから、体力が落ちると言うのもまんざら悪いことばかりではありません。

私が数年前に友人に招待されて訪れた海外のある場所が、まるで天国のようにすばらしいところで、今まで訪れた中で一番住みたいと思う場所となりました。それゆえに、精神世界の話を聞きかじるようになっていたあたしはその場所を思い描いて、そこに住んで楽しく過ごしている自分を思い浮かべるのがいつもの楽しい妄想の時間となっていました。
それがある日、なんと天災または事故により、失われてしまったのです。私が滞在し、歩き回った公園ごと、この世から奪われてしまったのでした。幸いにも死傷者はなかったのですが、家族で何代かにわたって開拓してきたというオーナーとその周辺や、その土地、propertyを愛してきたひとたちの苦しみはもちろんで、心からの悲しい思いを彼らに伝えました。

私はしかし、その友人たちへの同情と悲しみを置いても、もう何年も憧れていた場所が灰燼に帰したことに、自分が思っていたほどの強いショックを受けてはいないのです。もちろん私がその場所のオーナーになることなどあり得ないことです。だったらいらないと思ったなんて思わないでくださいね。でも、その美しい場所は「私自身の場所」ではないことを、私の潜在意識は知っていたということでしょう。「そんなの当たり前」かもしれませんが、これまでの私は憧れや望みをそのまま「自分の所有物」のように思うところがありました。今回の事件は悲しいけれど、私にとっては「私のパラダイス」はヒトの所有物を借りることではなく、私自身が私自身の手で手に入れることにあることを教えてくれることになりました。

私は今でも私のあこがれていたその場所を思い描いて、そこに自分がいることをイメージします。すると少しだけ、焼けた煤のにおいや、消防の水で濡れた足元を感じます。そこは違う、私の場所ではないのかもしれない。でも、確実に私がその場所に身を置いて再建を祈ることは、私自身の場所を探すためにも役立つに違いないし、その場所のオーナーも心からそこを愛した人間の祈りを決して悪いものとは思えないでしょう。

そんなわけで、私のどこか行き過ぎた熱情のカルマは海を越えた憧れの場所に祈りをささげる、ということによって浄化されつつあります。

今日の良いこと
・パートナーの仕事のスケジュールが楽であった(とても大事)
・毎朝行くコーヒーショップであたりのレシートが出た(ラッキー!)

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