マガジンのカバー画像

本のこと

15
運営しているクリエイター

記事一覧

この女

この女

森絵都が大阪のドヤ街を書く。この違和感に面白そうなニオイを感じて衝動買いしました。

森絵都といえば『カラフル』や『DIVE!!』シリーズなど映像化された青春小説を思い浮かべる人が多いかもしれない。もともと児童文学でデビューした彼女は絵本の著作も多い。身の回りの人たちと話していると、あまり大人向けの小説のイメージはないようだ。

私自身は、どちらかというと女流作家としての森絵都の作品が好みだ。直木

もっとみる
猫のお告げは樹の下で

猫のお告げは樹の下で

半径3メートル以内にヒントがある。

映画監督・宮崎駿が自身の企画のタネを問われた際に答えた言葉だ。灯台下暗し。身近な場所にこそヒントがある。そこに気づけば、私たちの日常はまた違った彩りを見せるのかもしれない。

小説『猫のお告げは樹の下で』は、自分自身の中に隠れている未来へのキーワードを1匹の猫が指し示す、ほっこり心温まる作品だ。町で悩み事を抱えたり行き場を見失った人たちが、毎回神社で1匹の猫と

もっとみる
君の嘘と、やさしい死神

君の嘘と、やさしい死神

「末裔の中で一番落ちぶれたやつを助けてやろう。」

突然現れた死神に術をかけられた主人公。先祖の功徳の恩恵を受け、死神の姿を見ることができるようになる。勧められるままに医者の看板を出して一儲けするお調子者を描いた古典落語『死神』に登場する一節だ。元々はサゲ(オチ)で主人公が命を落とす。ただ、元旦などのめでたい席での演目に向かないことを理由に、ハッピーエンドで終わるものなど数パターンの派生した物語が

もっとみる
一瞬の雲の切れ間に

一瞬の雲の切れ間に

「My heart was broken」

映画『マンチェスター・バイ・ザ・シー』のクライマックスで名優ミシェル・ウイリアムズが元夫役を演じるケイシー・アフレックへ投げかける、強烈に印象的な台詞だ。自らの罪の重さに耐えていた心の内側が漏れ出てる姿には、ここまで涙腺が緩んでいたのかと驚かされるほど心が揺さぶられる。

『万引き家族』でカンヌ映画祭の話題をさらった是枝裕和監督のもとで撮られた映画『エ

もっとみる
新しい役割

新しい役割

いつの世も最初に語られる理想はキレイごとに聞こえるものだ。

マンガ家・かわぐちかいじさんが描いた名作『沈黙の艦隊』の主人公である海江田四郎の言葉だ。海江田の動きを抑えようとするアメリカ大統領トニー・ベネットに自らの行動の意図を堂々と伝えるシーンは、その後の物語への期待を大きく膨らませる力があった。原子力潜水艦1隻で全世界を相手にできたのは、彼の言葉の力が波紋となって多くの人に響いたからだろう。

もっとみる
分断

分断

「社会」って、何だと思います?

大学の頃、ゼミの担当教授から問われたことがある。当時、社会学部の学生であった僕は、恥ずかしながらちゃんと答えることができなかった。

「社会」とは元々、人々の共同体を指した言葉です。だから、人間が3人以上集まれば、そこは社会になるんですよ。

ほぉ、なるほど。教授の言葉にもっともらしく頷いてみたものの、具体的なイメージはなかなかピンとこなかった。ただ、社会につ

もっとみる
拝啓、本が売れません。

拝啓、本が売れません。

Fluctuat nec mergitur.

フランス・パリの街の紋章に刻まれている言葉だ。日本語では「たゆたえども沈まず」と訳される。強い風が吹いても揺れるだけで沈むことはない、という意味だ。もともとパリの船乗りたちが使った言葉だったそうだが、歴史を重ねるなかで戦乱や革命を生き抜いたパリ市民を象徴する言葉へと育っていった。

新進気鋭の作家・額賀澪さんが上梓した『拝啓、本が売れません』は、嵐の

もっとみる
17歳

17歳

勉強よりも素敵で大切なことがいっぱいある。

直木賞作家・山田詠美が25年前に描いた17歳の少年が、あまり良くない自分の成績を見てこぼした言葉だ。ちょっと論点がずれている気もするが、これはこれで正論である。この少年・秀美くんは、同級生に比べてちょっと大人びた一面を持つ。斜に構えていながら言いたいことをはっきりと言ってしまえる姿は、同世代でこの本を初めて読んだときになんだかカッコよく見えたものだ。

もっとみる
相いれないことを読む。

相いれないことを読む。

先日、ちょっとした飲み会の席での出来事。目の前でささやかな諍いを目にする。どちらかが正解でもなく、どちらかが間違いでもない。ただ、互いに各々の立場への理解がほんの少し足りないだけの口論。交わることなく、平行線をたどる言葉だけがふたりの間を行き来する。ちょっとだけ、相手に歩み寄れば2人の領域は重なるはずなのに、いつまでもその距離は詰まらない。その間隔が側から見てもどかしいのだが、しばらく静観している

もっとみる
過去と出会う。

過去と出会う。

「ただ、何かが消えてしまったという感覚だけが、目覚めてからも、長く、残る」

大ヒット映画『君の名は』の冒頭は、主人公である「瀧くん」と「三葉」のモノローグから始まる。記憶は消え去ってしまっても、その粉塵が互いの体に影響を与えていることを物語る重要なシーンだ。東京を舞台にした瀧くんと、飛騨の湖のほとりにある町を舞台にした三葉の世界が巧みに交差する。ふたつが交わる場面で互いの世界の運命が変わる、爽快

もっとみる
視線の数

視線の数

AさんとBさん。ここに2人の人間がいたとしよう。お互いは向き合っている。さて、問題です。この時、AさんとBさんの間に行き交う視線の数はいくつになるでしょうか?

大学時代に受講した講義で、ひげ面の社会学者が得意げに問いかけた問題だ。AさんとBさん、2人しかいない。ふつうに考えると視線は行き交う2つだけだ。しかし、社会学で考えるとその数は倍の4つになる。AさんとBさん、各々が2つの視線を有してい

もっとみる
不足から充足へ

不足から充足へ

全員が美味しいという料理は、この世に存在しない。

中華の鉄人として有名な陳健一さんの言葉だ。料理のプロフェッショナルとも思えない一言だが、なるほどその通り、料理はまさに属人的な作業である。人気のレシピはあれど、万人にウケる味はない。同じメニューを料理本片手に作っても、人が違えばすべて違う味になる。使う鍋の種類、コンロの火加減、具材の切り方。さまざまな要因が異なる結果を生む。自分が美味いと思ってい

もっとみる
ねことマスター

ねことマスター

吾輩は猫である。

明治38年に夏目漱石が世に送り出したこの1文には、猫の特徴が良く表れている。「吾輩」という尊大な気持ちをまとった一人称、「猫である」と言い切る堂々たる態度。にもかかわらず、ときには甘え、人の心を癒す力を持っている。ふてぶてしさと愛らしさが共存した猫という生き物は本当に不思議な存在だ。

マンガ『ねことマスター』は、銀座に実際にあった喫茶店・ニューキャッスルを舞台に、実在した看板

もっとみる
人の手が関わる意味

人の手が関わる意味

「どうだ、このホテルの温度を感じるか?」
リッツカールトンの創立者であるホルスト・シュルツィが、日本のあるホテルのロビーで尋ねた言葉だそうだ。僕はこの質問がデジタル・アナログを問わず、サービスの良し悪しを判断する上で非常に的を射た問いかけだと思っている。もちろん、室内の気温のことではない。サービスを体験するお客様が、サービスを提供する側の人、物、環境などその空間を構成するすべての要素を体感すること

もっとみる