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”支部長 そのさき弘道”~京都南部から日本再生。

👦🏻読者の皆様、新年あけましておめでとうございます。本年も、自由民主党、そして京都府連学生部をよろしくお願いいたしますm(__)m
 さて、今回は新編集の書初め企画の2つめ「支部長 そのさき弘道」編になります。
 園崎支部長・・、じつはNote登場2回目になります!(お忙しいところ、ありがとうございます。)
 2回目のご登場ということで、、前回の記事に組み込むか・・、それとも新しい記事を書くか・・。悩みました(これは本当です)。
 迷いに迷って下した決断は・・・
   本編はこちらをご覧ください。
   以下、2回目のインタビュー記事を書きます。

 と、いうことで、〈支部長 そのさき弘道〉スタートです👀


*学生の時、ナニしてましたか?

👦🏻ナニしてましたか?

 合唱団の指揮者をやりました。
 これはたまたまボーリングに負けて、合唱団に入ったんです。
 ぼくの所属していた合唱団には、高校合唱団経験者がいなかったので、指揮者になれる人がいない、という珍しい学年だったので…。
 それで”誰がやるか”という話になって、手を挙げたと。

👦🏻大変でしたよね‥

 ものすごく苦労をしたんですよ。
 ほかの学年は、合唱経験者がいたり、音楽家がいたりする合唱団だったんですね。
 私は歌うことは好きだったんですけど、練習を指導しないといけないんです。
 リズムをとるだけではなく、練習の指導もしないといけない。
 「練習の指導」というのは、”どういう音楽をつくりたいのか”という方向性を決めないといけないということ

合宿練習中のそのさき支部長。

👦🏻そして‥

 大学で「音楽家の指揮法」という講義をとりながら、がんばりました。笑
 さらに、3回になって「副指揮者」になってからは、全体の練習を指揮するようになるんです。
 そうなると、”どういう音楽をつくりたいのか”という質問が相次ぐわけです。
 今日の練習は何をしたらいいのかなど、ずっと悩みましたんですけどね。

👦🏻今、役立っています!

 「音楽」という得体のしれない、言葉ではなかなか伝えきれないイメージ的なものを言葉に出して、皆さんに共有して、ひとつのものを創り出していく
 ・・・ということは、今にも役立っています
 演説にも音楽的な要素があるのかな、とふりかえってみて感じています。
 喉も強くなりました。過去6回選挙を戦いましたが、1度ものどをつぶしたことはありません。笑
 あとは、何かを言葉にするチカラとかね。
((今なら、いい指揮者になれるかも・・・?!))
〉👦🏻体力的な部分でも役立つのですね😲
   ちなみに筆者は、オリックスの3連覇決定試合で声出しすぎて、このとき声帯を痛めています🤫

*一風かわった経歴の持ち主として‥

👦🏻どんな25歳でしたか?

 カネボウから離れて、井澤京子代議士の選挙を手伝ったんですね。
 そのあと、井澤事務所には入らずに、西宮の実家に帰って資金を貯めて、市議会議員選挙に出ようと判断したんですね。25歳のときに。

👦🏻西宮で‥

 実家は「阪神流通センター」の近くで、工場とかが多いところだったんですね。
 12月だったので、お歳暮のラインですね。伊藤ハムのハムをのせる仕事をしてました。ドレッシングをつけることもあるんですけどね。これが、9時~17時です。
 そのあと18時~22時でホームセンターの流通ラインで働きました。ラインに流れてきた10本の歯ブラシを、枚方店に2本、京田辺店に3本のように分けていく作業ですね。割と時給もよく(笑)、多国籍の方と仕事をしてたんですよ。それはほんとうによかったですね。

👦🏻キャディーになる⛳!?

 (工場ラインでの仕事は‥)人とあんまりしゃべることがないなと思って、1月からはキャディーを仕事のひとつに入れ込みました。他人としゃべることを忘れてしまうかもしれないのでね (笑)
 キャディーが休みの日は、日雇いバイトに登録していろいろやりました。

👦🏻悶々とした日々とゴルフ場での涙

 こうした生活を、ほぼ休みなく1年半、送りました
 25歳、26歳という時期は、大学の友だちが結婚する時期なんですよね。
 けど当時の僕には、3万円を包む財力もないので‥。
 結婚式にも出れず、市会議員選挙に出るため、一心不乱に働くと(笑)

 両親にもいろんなこと言われました。
 _急に息子が、”市会議員に出る!”ということで仕事を辞めたらそうなりますよね(笑)
 
 キャディーとしての業務がない日は、ゴルフ場の整備をするんですよね。
 何番ホールかは忘れたんですが、夕日に向かって歩いていくときに、私は一人涙を流したんですよ
 なんともいえない、言葉にできない‥。ひょっとすると取り残されているんじゃ‥?でも、”僕は市会議員になるんだ!”。こういう複雑な思いの中で・・
>👦🏻聞いてるだけでも心が打たれますね・・・。

👦🏻大手企業からのスカウトを断る!

 キャディーとして、とある会社の支配人とホールを回っていた時に、支配人に呼び出されて‥。僕なんかやらかしたのか?と思ったんですけど、”人事部長に会ってほしい”ということだったんですね。
 で、”うちの会社に来ないか?”という話だったんですが、”1年半後の選挙に出る”ということでお断りしました。

👦🏻今に生きていることは‥?

 親にも反対され、結婚式の案内や遊びの誘いをすべて断り続け、孤独な1年半を過ごしてました。そのうえ、自分を裏切ったことになるから、1日たりとも休めないと。。
 
 ギリギリの生活の中で過ごしました。

 ただ、この1年半で「自分は365日24時間働くことができる」ということを知り、ある種の忍耐力とかそういったものはこの1年半で身につけることができたんだと思ってます。

 精神的に強く、一皮むけたと思います。
 あとは、友だちの大切さとか親子分かり合えることの大切さも、身に沁みました。
>👦🏻 じつは、日雇いバイトで死にかけたことがあるそうです。
   ちょっと内容が内容なので割愛します・・💦

*京都府議会議員→選挙区支部長になって‥

👦🏻変化ありましたか?

 選挙区が1市で構成されているということが非常に恵まれていたなぁと。
 支部長になったんで、選挙区が12市町村だと。京都6区は全国でも屈指のエリア、地域の広さであるんじゃないのかなぁと。

 特に城陽市以外の11市町村は、”初めまして”ということになるので、いかに名前を知ってもらうかがポイントになるよね。いかに私が名前を知られていないか、ということに気づかされました。

 とにかく16年前に市会議員に出たときの心境だよね。
 勝つとか負けるとかではなく、できることを全部やるという感じだよね。

 やったことがないんで、町の反応とか票がどれくらい出るのかの読みとかがまったくできない。ずっと追いかけてるという感じやね。

 あとは、12市町村の府議・市議の方との連携が大事になったね。

 とにかく名前を売り込もうと。いろいろと工夫しています。
〉👦🏻 工夫の内容は、戦略的なものになるので‥🤐🤐

👦🏻生活的にはどうですか‥?

 朝はやっぱり、早くなったね。
 朝6時起床で、7時~8時駅立ちという感じやね。
 夜は9時くらいには帰れるので、基本10時には寝てます。
 生活上は、そこまでは変わらないね。

*目指したい国のカタチは‥?

👦🏻原点でもある環境問題を切り口に‥

 僕自身は政策の原点として環境問題から入りました。
 環境問題っていうのは、今の世代よりも未来の世代が影響を受ける問題。
 そして、この問題は今の生活を大事にしたいから、何も考えずに資源とかを使うことで生じている部分はあると思う。

 環境問題から派生していうと、学校でのいじめ・自殺問題。
 社会で経済とかそういう部分が重視されすぎた結果、ひとへの温かさとかがなくなってしまっている。自分さえよければいいというようなね。

 戦後、貧しくても洗濯機を‥、テレビを‥手に入れるために、前向きに生きていた三丁目の夕日ってわけではないけど、手を取り合って社会が形成されてきた。
 日本人のこうしたポテンシャルを生かしていける社会をつくりたい

 スポーツでいうと、侍ジャパンのWBC優勝やサッカーでいうと「無敵」とと言われた国を撃破したように‥。そういう日本の強さ・強みを、政治というか社会でも生かしていきたい

👦🏻幸せとは‥

 幸せって何なんだろう、と考えるときがあって、”全部満ち足りると逆に幸せではないんじゃないか”と
 めちゃくちゃいい車を買いました、めちゃくちゃいい服を買いましたっていっても、上には上がいるからね

 幸せとは、全部そろってるとか、お金がたくさんあることとか、そうじゃなくて、いろんなことが合わさってできるものなんじゃないかなぁって。

 あとは、それこそ何かを追いかけることとか。
 ぼくも25歳のとき、市会議員目指して燃えてたけれども、あの「追いかけ」ているとき、そして「不自由」なときのほうが充実してたような気もする。制限されたなかでどう生きるか__みたいな。
 (サッカーの)岡田監督とかが言うていたみたいな
 ふりかえってみていえることだけど(笑)

「夢や挑戦であふれる国づくり」について語る支部長の手
(うまく写真が撮れてませんでした💦💦)

*読者からの質問コーナー♪

 今回の質問は、18歳の大学生からです。
 ”ポスターの写真の色ってどうやって選んでるんですか?

 27歳で城陽市議選に出たときの色が「」、34歳で府議選に出たときの色が「」、で今回43歳で国政に挑む色が「」です。

 青ってのは、”若さ”、”新しさ””フレッシュさ””誠実さ”を表す色。
 紫ってのは、”安定”とか”落ち着き”を表す色。
 
 
初めて市議選に出るときは、”城陽市に新しい風を”とかそういう感じを表したかったので年齢を書いて、若さをアピールしてました

🔵城陽市議会議員になる前のポスター🔵
確かに青を基調としています✨
奥田城陽市長がまだ府議会議員の頃です👀


 
府議として、市と府を結ぶパイプ役になるにあたっては、若さとかよりも、安定感とか落ち着きを出したかったので、年齢も書いてません

🟣R5年の統一地方選の一幕🟣
選挙カーも紫仕様、タスキやブルゾンも紫です。


 あとは、色で覚えてもらうこともできるからね
 27歳のときは、全身青色で交差点立ってましたね。写真はないけれど。
〉そのさき支部長のインターンを経て、城陽市議会議員に当選された たなか さとし さんも実は、この戦い方をされてたようです。

*編集後記*

 無事に書き終わりました‼︎🥳🥳
 自分が自民党に入って初めてのイベントでモゴモゴしてるときに、声をかけてくださったのが園崎支部長。それ以降、自分に対して、我が子のようにいろいろと教えていただきました。
 府議会開会中の大変お忙しいなか、取材に応じてくださってありがとうございました。
 次は、自由民主党京都府第二選挙区支部長のさの英志さんに密着します。

・・・ということで、今回はこれにて終了!

*そのさき弘道さんの関連URL*
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