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未来が見える「ないものねだり」と過去に縋る「ないものねだり」

私は毎日こんな時間まで起きては携帯を眺めてる。

そして用もないのにインスタを開いては、なぜフォローしたのかよくわからない芸能人の投稿を見つめる。

2月に19歳になった私だが、今のところ中1が最高に「楽しい」のピークだ。高校生も楽しかったけどやはり中1には勝てない。スマホも持っていなければ家にはインターネット環境も無かったので、あの当時は、週末に友達とWonderGOOに居座り、フリーWiFiを網羅する時間が楽しかった。

様々な情報を入手できるのは、その週末の2日間と毎日のテレビ。中学時代はもちろんアルバイトはできないのでリアルタイムで見放題。あの時は「iPodtouch欲しい」「家になんでWiFiないの?」など色々思ってはいたが今思い返すとそれくらいがちょうどいい。

知りたいことだけ調べられたのだ。

好きな芸人さん達と繋がりたい、ツイートを見たいの一心で、3DSのインターネットからTwitterのアカウントを作った。
なにをつぶやけばいいかもよく分からず、初めて飛び込んだインターネットの世界に戸惑っていたのをよく覚えている。

今は自分のiPhoneもあるし、いつだってなんだって調べられるし見られるし聴ける。当時では考えられないほどツイートもしている。中1の頃の憧れだった世界に今いるのだ。なのにどうしてだろう。全く楽しくない。逆に、スマホが無い世界の方が楽しそうだと思えてくる。未来が見える「ないものねだり」と、過去に縋る「ないものねだり」は同じ「ないものねだり」でも全く違う。

私は今日も右手にスマホを握りしめ、どこに向かうのだろう。情報に溢れ、自分が見たいものも見たくないものも何なのかすらわからないほどに飽和してしまったんだな。


よし、今日こそ履歴書を書こう。

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