物とエネルギー

  友人が遊びにくるので、大慌てで部屋の片付けをした。といっても、右から左へ物を移動させただけで、数日もすれば元通りになることは目に見えているのだけれど。わたしは壊滅的に片付けができない。母もそうだし、兄も恋人に検査を勧められるくらいだから相当なものだろう。

  そんなわたしでも一時期は決して部屋が汚くはなかった。それは独身のころ、ニートだったころで、ベッドと本棚、勉強机があるだけの四畳半の小さな部屋で一日のほとんどを過ごしていた。心療内科と図書館以外に出かける場所はなく、もちろん収入もなければ物欲すらなかった。部屋に食べるものを持ち込む習慣もなかったし、消えてしまいたいとそのことばかりを考えていたので、自分が生きた証のようなものを何一つ残したくなかったというのもある。

  以前「ぴったんこかんかん」に、今は亡き二人の名優、樹木希林さんと市原悦子さんが出演されていた。華道家の假屋崎省吾さんのお宅を訪問し、そこで市原さんが「エネルギーがありますね。エネルギーの賜物ですよ。こんなにも物がある」と感嘆の声をあげていらっしゃった。物を所有する、というのはエネルギーの要ることだ。自分のエネルギー以上の量の物を持てば、管理できなくなるのは当然のことで、つまり物が溢れている・片付けられていない状態というのは所有する物の量が自らのエネルギーに見合っていないということなのだと思う。

  〝片付け〟という単語を聞くとやる気が削がれるのだけれど、〝物と自らのエネルギーを合わせる〟と思うとわくわくするから不思議なものだ。断捨離ということばが浸透し、多くの人が一度はトライしたことがあるのではないだろうか。わたしもその一人だ。物を減らすとすっきりとした気分になるのは、ただの爽快感だけでなく物と自分との釣り合いが取れていることへの安定感からくるのかもしれない。ピアノを調律するように、少なくとも年に一度は〝物と自分とを合わせる〟時間を設けたいと思っている。

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