ミュウツーの苦悩

  数ヶ月前「わたしは誰?フランスで人工授精児たちが権利訴え」という記事を読んだ。提供精子で生まれた彼らが、出自を知る権利を訴えてドナー情報の開示を求めたというものだ。そのとき、わたしの脳裏をよぎったのは映画ポケットモンスター「ミュウツーの逆襲」のことだった。ミュウツーは所謂クローンであり、人工授精とはもちろん異なる。だから、この発言を不快に思う方もいると思うのだけれど、精神的な部分で重なるところを感じずにはいられなかった。

  ミュウツーは世界最強といわれるポケモン、ミュウの化石の一部から人間の手によって作られた。コピーは本物よりも強くなるようにできており、つまり、力の強さで言えばミュウツーはミュウを超えている。作中何度か繰り返される「私は誰だ。ここは何処だ。誰が生めと頼んだ。誰が作ってくれと願った」このミュウツーの問いに、胸が締め付けられる。ミュウはミュウツーのルーツではあるが、父でもなく、母でもない。そこが先述の人工授精児とは全く異なるところだ。彼らは「私は誰だ?」の問いに答えを持っている。今は開示されていなくても。ミュウツーにはその答えが存在しないのだ。そんな、不確かな存在である自分を生み出したものへの憤り。それは計り知れないものだろう。そして、あのミュウの無邪気さ。苦悩するミュウツーとのコントラストがなんとも物悲しい。「私は私を作った全てを恨む。だからこれは攻撃でも宣戦布告でもなく、私を生み出したお前たちへの逆襲だ」そうして物語は進んでいく。

  その後の展開は割愛するが、最後までミュウツーの問いに答えはなかった。なかったけれど「今はみんな生きている」その言葉が総てだ。どんな生まれ方であろうとも、今は生きているという事実。余談だけれど、その後のミュウツー(恐らく)が映画「名探偵ピカチュウ 」に登場したときには、生きていてくれたんだと胸がいっぱいになってしまった。

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