強者の用語−「努力」−

自己責任論者の語る「努力」は、往々にして、成功の背後にあるものであって、失敗等の裏にあるものではない。

この理屈によって、「努力」は、他者から見て明らかに評価されるようなものを持った強者、つまり、自己責任論者の独占物となる。そして、自己責任論者は、その欠落や程度の違いを根拠に他者にマウントを取る。これが社会で一般的なものとなることで、あらゆる努力が「努力」として他者の評価対象になっていく。

また、この理屈は、次のようにも言い換えられる。つまり、「当たるまでくじ引きを続ければ、くじの当たる確率は100%」と。これによって、「努力不足」は、当人が行動をしないことに起因するものとされる。要するに、自己責任という話だ。

こうして努力が「努力」となっていけば、それを行うのが難しい者が、「努力」を為すよりも、ある種の「宿命」に縁を見出すのは自然な流れだと思う。

ただ、はっきりいって、「努力」も「宿命への傾倒」も個人の問題というより、構造の問題であるから、その責任を何か特定のものに見い出すのは、あまり好ましくはない。



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人擬き

モラトリアムで、時々心がしんどくて、戯言を書き連ねる人。休んでいますが、たまにふらっと書こうかなと思っています。
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