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週末の振り返り(北口本宮富士浅間神社⛩編①)

また週末が来てしまいましたが😅
先週末の振り返りの続きです💕👇

不二阿祖山太神宮🏔を出発し、
今度は「北口本宮富士浅間神社⛩」に向ました😊

つい先日、TV📺で、富士山特集をやっていて
そこで、「北口本宮富士浅間神社⛩」は
富士登山、富士吉田口0号目!つまり、出発地点という事で、
これは、行かなくては〜😆といった感じでした💕

到着(*^-^*)すでになんか、すごい🌈

ここから、光の写真オンパレードをご覧ください🌈

空気が澄んでいてほんとに、綺麗な美しい土地ですね(*^-^*)
光のシャワーが凄いです🌈

そして、こちら👆 角行の立行石! TVで紹介されていました。

角行の立行石
この立行石は、慶長15年(1610)の冬、富士講の開祖角行東覚(当時69歳)が吉田の地を訪れ、富士山霊を遥拝し、酷寒の中を裸見にて、石上に爪立ちして30日の荒行をした。
全身より血を吹き、里人の勧めで行を止めたと伝えられている。

 角行は本名を藤原武邦といい、天文10年(1541)正月15日、九州長崎で生まれた。戦国の世にあって、天下泰平・国土安穏・衆生済度の大願を成就すべく難行苦行の道に入った。

 永禄2年、18歳で故郷を旅立ち岩手県磐井郡の「脱骨の窟(だっこくのいわや)」で37日の行をなし、のち神告により富士の「人穴」に入り、四寸五分角(約14㎝四方)の材木に1千日爪立ちするという捨身の荒行をおえ、解脱し角行と称した。

元和6年(1620)角行79歳の時、江戸に「つきたおし」という奇病がはやり、3日で千人死んだとも言われたが、「フセギ」により病を癒し庶民を救い、その名を高めた。

正保3年(1646)6月3日、106歳にて大往生したが、生涯における修行で主なものは不眠の大業1万八千八百日、立行三千日、断食三百日、造字3百六十字、富士登頂百二十八回に及んだといわれ、富士講開祖となった。

富士吉田市教育委員会より

凄すぎですね、角行さん❣ 今の時代では信じられない荒行です。

そんな石を横目でみながら、
先に進みます。

また鳥居⛩が見えてきました。
その前の川でアーシング。
昔の登山者は、富士山に登る前、ここの水で禊をしたそうです。
富士山の雪解け水です。 冷たくて気持ちよい🌈
そして、この写真( ;∀;) 太陽の周りに異変が、、、、時系列で👇
太陽の周り、なんか、広がってます( ゚Д゚)
そして戻りました。
何だったんだろう~ 貴重な写真が撮れたような(*^-^*)


不思議写真を載せたところで、
また、次回に続きます😊💕🌈

一緒に行ったあしびなさんと、共に振り返ってます❣️
私の方が一足早め😆
ちょっと違った、あしびなさんの視点からも、お楽しみ下さい〜💕
面白いです~🌈

🌈⛩🏔今日も最後までお読み頂き
      ありがとうございました🏔⛩🌈

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