三日坊主躍動
何日以来書いてないのだろうと思ったら最後の投稿が4日前のものでした。
3日保たなかったわけではありませんが、どうも三日坊主が働いたようです。
そもそも三日坊主はどのような状況での出現が想定されるでしょうか。
感情、環境、体力など様々な要因が考えられます。
まず何の理由もなくやる気が出ないとき。
いきなりかなり厄介なやつの話です。
こいつはそもそもなぜやる気が出ないのか自分では自覚できないところが厄介です。
一度なってしまっては厄介だ厄介だというしか無くなってしまいます。
この三日坊主に対しては時が解決してくれるのを待つしかないのでしょうか。
誰かと取り止めもない話をするか、できるなら旅行など非日常的な経験ができる状況に持っていくと良さそうです。
1人で行ったことのないところに突発的に出かけるというのも良さそうですが、そもそも理由もなく何のやる気も無くなっているのにこんなことができるでしょうか。
やはり1人の場合はこういう時は少しでも動けそうになるまで様子を見るしかなさそうです。
こうなると抜け出すのがなかなか難しくなってしまいますが、早く抜け出したいなら人でなくとも生き物でもいいので、そばに別の何かがいる環境を作っておくのが良いのではと思います。
さて、そのような厄介な三日坊主はいるものの、他の三日坊主に関してはある程度なんとかなりそうです。
目標を立てた当初は心機一転やる気に満ち溢れていても、何度も続けているうちに行動そのものがつまらなく感じることがあります。
いわゆるマンネリ化という奴ですが、こいつは三日坊主の大好物です。
料理のマリネに語感が似ていることからマンネリ化は酸味が効いていて夏場などはよりおしいく感じるものなのでしょう。
暑さも相まって、夏には三日坊主の活動がより活発化しているように思います。
次に環境の変化です。
就職、進学のみならず、配置転換、異動、身内の不幸、自身の病気など……環境が急激に変化する時というものは人生において多々あります。
むしろそういうのが無くなった時は、ついに終活の時なのではないかと思います。
終わったと思ったら現れることもありますが、一つの目安として環境の急激な変化の有無というものは、注目しておくべきものでしょう。
話がそれましたがこのような環境変化は、変化前に行っていた習慣が途絶えるきっかけになりがちです。
もともとその習慣に割いていた時間が、急な変化に対応するための行動にとられてしまい、そのままズルズルと復帰のタイミングを逃すという経験は多くの人がしたことがあるでしょう。
この時の三日坊主はむしろ良い働きをしているという見方もできます。
ここでは、かつて行っていた習慣に対して、今はしなくて良いと押し留める役目を果たしており、目の前の新しい物事から集中力を切らしてしまわないようにする役目を果たしているといえます。
ここで三日坊主が発動しなければ以前の習慣を続けたまま無理に新しい環境への適応を進めることになり、結果的にどちらも失敗してしまうことにもなりかねません。
落ち着いた後の復帰が必要ですが、この時の三日坊主の役割を排除してしまうのは、よほど容量に自信がない限りは避けた方が良さそうです。
次に体力の問題です。
環境の変化も関わってくることが多いのですが、新たな環境への対応は容赦なく体力を奪っていきます。
腹が減っては戦はできぬとはよくいったもので、体力がなければいくら習慣化していたものでもできなくなるでしょう。
そもそもやる気が起きないのです。
やる気の源は体力なので、これがなくなると必然やる気も出せなくなります。
むしろやる気と真逆のネガティブな感情も呼び起こしますを
とりあえず腹を満たした状態を維持しておくことは、何につけても重要なことかと思います
腹が膨れていることはやはり重要なのです。
空腹には三日坊主も付け込んできます。
体力がないから。今日はやめておこう。
これが1日、2日なら問題ないこともありますし、むしろそういう日を作らなければならないこともありますが、続いてしまうと戻るのは最低でも困難で、最悪戻れなくなってしまいます。
この三日坊主は自制心がより重要です。
今日は休んだ。明日は必ずやろう。を着座に実行できる体制を整えていなければなりません。
行動可能なレベルまで回復する方法を模索し、効力の高い休息を求めていくことは人生をうまく運ぶコツだと思います。
小学生の夏休み頃から始まり、生涯付き合っていくことになるであろう三日坊主。
共存するか、無限の戦争状態に突入するか、もはや三日坊主と一体化してしまおうとするかなど対応方法は人それぞれです。
永遠の敵であり友人三日坊主と程よく付き合っていけるといいですね。
それっぽくまとめて今日は終わります。
それではまた。
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