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重度の障害児の体重を制限すると起きること

私はもうほとんど病院や療育施設に足しげく通うことなどなくなってしまったので他の障害児のお母さんと接する機会はほとんどなくなってしまいました。

最初に知り合ったお母さんは重度の赤ちゃんを毎日面会に来ていたNICU仲間で、いつも同じ時間帯に母乳を搾乳するために搾乳室に行っていたのでよく喋っていました。赤ちゃんのベッドのそばにいるときは特殊なオーラを放っていてとてもおどろおどろしい雰囲気を出していたのに、搾乳室ではとても明るいんです。冗談を言ったりして本当に気さくな性格の優しい人。だけどニコニコとした笑顔のまま眠眠打破を何本も一気飲みをして珈琲を飲みまくりながら母乳を搾乳してはそれを赤ちゃんに飲ませているんです。

私は「このお母さんは子供を殺そうとしている」と、わかったけれど恐ろしくて何も言えませんでした。あの赤ちゃんと接するときの暗い表情とありえない本数のドリンクを飲むときの明るい顔。そのどちらもが異様に思えて恐ろしかったです。それから数年後に他のお母さんから「あの赤ちゃんはなくなったらしい」と聞いて、また胸が締め付けられるような気分になりました。

その後彼女とは偶然街で出会ったんです。別人のようにやせ細っていて、まるで老婆のようでした。私よりも10歳以上若かったはずなのに。彼女は必死で障害児の母以外の生き方を掴み取ろうとしていました。
それが自分が幸せになる唯一の方法だと信じて。でも自分の子供が死ぬということは半分自分が死ぬこととほとんどかわりがありません。彼女は半分自分を殺したまま生きるような事をしてしまったということです。


それを教えてくれた他のお母さんもとても優しくて美人で若くて、こんなに非の打ちどころのない女性が一体何のためにこんな苦労をしなければならないのだろうかと思うほど重いストレッチャーを毎日運んではリハビリに通っていました。

彼女は「私がいないと30分くらいで蕁麻疹が出るんですよ。ほかの人だとダメなの。さみしがるの。蕁麻疹を出すくらいしか自己主張する方法がなくて。ずっと眠ったままなのに私を恋しがるんです」と言うんです。

どんなところでも二人で行って楽しんでいました。あんなに旅行をしまくる重度の障害児のお母さんを見たことがなかったから違和感があったのだけど、しばらくして「私はもう末期の癌なんです。子供がこんななのに頼る人もいなくて私まで癌になったら、もうこれからどうしたらいいのか…」と泣くんです。

彼女がいろんなところに子供と出かけていたのは、子供の終わりを感じていたからではなく自分の終わりを知っていたから。そう思うと私はなんて無力なんだろうかと思いました。私の励ましなど何にもなりません。

そのお母さんはとても性格のいい人です。障害児のお母さんに意地の悪いひとは見たことがありません。みんないい人です。

そのいい人が、「どうしてあなたの子供はどんどん良くなるのに私の子供はこんななの?あなたの子供のように治る術があったのに、どうして他の人は私にそれを教えてくれなかったの?どうしてあなたには教えてくれた人がいたのに私にはいなかったの?」と言って泣くんです。


私は医者に逆らったので、もう病院には通えません。ですが逆らわなかった人は彼女たちのようになりました。

どちらのお母さんも1つの問題について苦しんでいました。

それは、新生児科と小児科の医師による指導です。


「重度の障害児の世話は大変だから、体が大きくならないようにしましょう。カロリーをできるだけ制限して体重が増えないようにして。大きくならなければ世話が楽ですから食べ物を食べさせてはいけません。何キロカロリー摂取したかを厳しく管理してください」

これを受け入れてしまったお母さんの子供は育たないです。育たないということは良くならないということです。それはお母さんの心を蝕みます。壮絶なストレスを抱えながら毎日暮らすことになるでしょう。自分の子供がほとんど育たずずっと赤ちゃんのまま病気は良くならず苦しんでいるのを見続けなければならないんです。それが母親にとってどれほどの恐怖か、わかりますか。私は体験していないけれどわかります。誰だって想像つきますよね、そんなこと。

でも想像のつかない医者はそういう指導が「通常」だと言って、当たり前のように強要してきます。迷っていると「嫌ならよその病院にいけ!」と言われるそうです。私も言われましたし、「同時にお前が行ける病院など無くしてやる」と脅されました。

私は医師の言うことをすんなりうけいれられずにいた時に「どこの病院に行ったって裏から手を回して行けなくしてやる。お前の子供なんか知るか、誰も医者という医者はお前の子供なんか見ない!少なくとも〇〇大学の系列の医者は見ないようにしてやる。お前みたいなのが来たら迷惑だ。脳性麻痺はどうせ治らない病気なのに来られても医者は迷惑するだけだ、気持ちわりぃ」と言われました。実際に手を回されて色々な病院で受診拒否されたりカルテを改ざんされました。よその病院に行こうにも間違ったカルテではなんにもなりません。異様な内容のカルテを持ち込む患者は最初から断られて行く病院がなくなります。私は世間知らずなので気づいたら行ける病院がなくなってしまっただけですが、そうなりたくないからほとんどのお母さんは不条理なことを受け入れます。

私は明らかにパワハラだと感じた瞬間に二度とその病院には行かないという選択をしました。その選択は今でも間違っていなかったと思います。でも子供が病気だと分かったときから病院の中ではものすごい暴言に苛まれます。医師や看護師はナチュラルに非人道的な言葉を選んで母親を打ちのめしに来ます。そうするとそれに対抗する元気がなくなってしまうし、支えてくれる家族や旦那さんがいない場合は正常な判断ができなくなってしまうんだと思います。

そうして多くの障害児のお母さんはシングルマザーになります。旦那さんが逃げ出してしまうので。そうすると途方もない負担がお母さんに降りかかります。その多くが「選択」です。

これからどうするのか?!
これはどうするのか?!
今日はどうするのか?!
今はどうしたらいいのか?!

次から次へとあらゆる選択を迫られ、何の知識も経験もないのに選んでいると失敗続きで、だんだんと消耗していきます。やらなければならないことが山のように押し寄せてくるのに勉強しなければいけないことや調べないといけないことが次から次へと増えるんです。疲れてへとへとなのに頼れる人はいない。誰も面倒なことは嫌だから、身近だった人が自然と距離を置いて去って行きます。

時折家族全員で病気の子供を一生懸命支えている家庭もありますが、一見ほほえましい姿だと思っていても、お母さんと二人きりになることがあると「どうしてあなたの子供はかわいいのに私の子供はこうなの?!どうして同じ病気なのにここまで違うの?私とあなたの何が違うの?!うちの子はもう16歳なのにあなたの子供よりも幼く見える。同じ病院で子供を産んで同じ病気で同じ医者に診てもらってるのにどうして?!」などと言ってきました。子供が聞いているのにと私は心配になりましたが、普段の彼女ではない別人が現れたように、豹変したのです。爆発したという表現が正しいと思います。彼女はその瞬間すべてが爆発したようで、ずっと笑顔で喋っていたのに急にキレて抑えが効かなくなったんです。

頑張って頑張って辛くても頑張っているのに、我慢できなくなって発したその言葉の意味を私は理解できます。

そのお母さんも重度の障害児の体重を制限していた人でした。

それをした人は間違いなく病みます。
母親は子供が大きくなるところを見たいんです。
それは本能です。それができなければ苦しみます。

それを抑制させられてしまうのは、医者による母親に対する虐待だと思いました。

とても見ていられない酷い行為だと思うけれど、「医者からこれが普通だから、当たり前のことだから、だからやれって言われたから。やらないと怒られたから」と彼女たちは言いました。

私が知っている3人の女性は、重度の障害児を育てるのを「楽にするために」その何百倍も苦しんでいました。体力的には苦しいかもしれないけれど、私の方が楽です。日に日に子供は良くなって、できることが増えています。

「障害児を生んでしまった」その時から、諦めることをいろんな人から推し進められます。脳性麻痺についてネットで検索するとなんやかんやと長文で説明しながら、言い換えると「夢を見るな、良くなると思うな」などと書いてあるページにたくさん出くわしますがそのほとんどが医者や行政が作ったHPです。医者は自分が育てないからわからなかったとでも言うんでしょうか。そんな簡単なこと人間なら誰だって想像がつくはずです。


私は諦めが悪かったので、医者の言うことを聞かず悪い母親のレッテルを貼られました。医師の言うことに疑問を持とうものなら非常識で馬鹿で無能で性格が悪く心が病んでいると医者に言われましたが、私は自分が正しいと思ったので言うことを聞きませんでした。

性格の良い、優しい、非の打ちどころのない女性がみんなそれを受け入れて子供を小さく育て、皆自分が酷い病気になって、手術のために長期で入院したりして子供と離れて暮らさなければならなくなっていました。

そのことについて、私は自分のことではないけれど全く納得がいきません。

きっと医者も療育者も知っているはずなのに。それをやらせたら母親がどうなるかくらい。あんなにも大勢いるんだから、もうとっくに知っているはずなのに。

誰が決めたのかは知らないけれど、「重度の障害児が生まれたら小さく育てて楽に介護をしましょう」という考え方がこの世の中には存在して、それを受け入れた母親は病み苦しんでいます。心も病みますが身体も病みます。みんなボロボロでした。

それなのに医者は誰も責任を取っていません。

多くの母親が我慢をして気持ちを押し殺しているから表面に出てきていないけれど、私はこの問題は社会の問題だと思います。



最初の選択を間違っていなければ私と同じようになったとは言えないにしろ、どのお母さんたちも言っていました。「たとえ大きく育てて苦労しても、成長するところが見たかった。あなたのように」と涙を浮かべていたんです。「うまくいけばちゃんと成長していたかもしれないのに、私があんなことをしたから」と。一番最初の段階を比べると、私の子供よりも軽い症状だったお子さんもいたんです。それでも体重増加を制限してしまうと、脳も体も育たないから予後が悪い。

私はこの指導はおかしいことだと思います。集団訴訟でもすればいいと思うほど、異常なことだと思います。


「脳にダメージがあったら、脳を再生すればいいじゃない!医者がそれは不可能だというなら、不可能を自分で可能にすればいいじゃない!誰に馬鹿だと思われようがやりきればいいじゃない!脳を再生したいなら身体だって大きく育てなければ!そのために自分が苦労するのはいいじゃない!将来元気に立って歩いて生活できるようになってくれるなら、今私が苦労したっていいじゃない!」

そう思う私は非常識だと言われました。「脳性麻痺が治る」だなんて信じているだけで私は罵倒されました。でももう今は誰もそんなことを私に言いません。薄ら笑いを浮かべて腹の底ではバカにしていた人たちですら、私の子供の回復具合を見るに従って態度が日に日に変化していきます。

私がそれを証明したから。脳性麻痺は理論的に治せるものだと。

それでも小さく育てたら取り返しがつきません。「障害児を小さく育てる指導」が今後もずっと続いていくなら、それは医師による許されない犯罪だと思います。


私は二度と他のお母さんに「私とあなたの何が違うの?!どうして私は不幸なの?!同じ病気でどうしてここまで違うのよ!!!」と言われたくありません。私はその答えを知っているから余計につらいです。

最初に子供の明るい未来を諦めたか諦めないか、ただそれだけです。

自分が体力的に楽をすることを選んだ人が、苦しんでいる。

それを誰かに強要される事はあってはならないはずです。




























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