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言語の発達の軌跡と音楽

言語の発達が進む過程を一目でわかるように動画を使って説明してみたいと思います。

私の子供は脳の言語に関する部分にダメージがあったので一番最初に新生児科の主治医から「歩くのとしゃべるのが遅れると思う。首が座るのがやっとかもしれない。立てないし歩けないだろう。しゃべることもできないと思う」と言われました。同時にその時「できることはないか?」と尋ねたら「歌いかけをしたほうが予後がいい」とも言われたので凄く沢山歌を聞かせていました。

一般的に胎教などに良いと言われているモーツァルトよりもベートーヴェンやショパンが好きでした。子供なのでしまじろうの歌は当然好きでしたが、オレンジレンジのロコモーションを聞かせているとほかの曲とは明らかに違いました。聞いているだけで体調がよくなっているんです。低緊張が改善したり、下痢が治ったり良く眠れたり。発達はかなり遅れていましたが生後8ヶ月で首も座りました。

私はそれらの違いから「聴かせるだけで脳に良い曲があるのではないか?」と思うようになりました。

「ああ」というくらいしか声を出せず、しゃべることは全くできませんでしたが、歌に合わせて声を出すことは出来ました。一緒に歌うだけでも楽しいし、子供の好きな曲を見つけるのが私の趣味になりました。

この頃は普段全くしゃべれないのに何かのスイッチが入ったかのように長文をぺらぺらとしゃべることが半年に1回くらいありました。大体それは気に入った曲をかけてやっているときです。

「あ、ああ」くらいしかしゃべれない子に「今日は暑いね~」と声をかけると「そうだね~、もう夏だね~」と返してくるんです。その後はやっぱり全然しゃべらない日が続くのですが、時々そういうことがあるとうれしくなって家庭療法を続けるモチベーションになりました。

この子にも喋れる能力はあるけれど、それを形にするスイッチを押せないような状態でした。時々そのスイッチが入って驚かされますが普段はずっとOFFのまま。また「あ、ああ」しか言えない毎日です。

音楽がいいというのは早い段階から実感していたので生後1歳くらいから音楽療法を受けていました。レッスンで使う曲は昔の童謡などがほとんどで興味を示していませんでした。つまらなさそうな顔をして全く聞いていなかったので、先生たちはイライラしていました。音楽の先生は怒ったら怖いイメージがあるけど怒る前から怖いですね。それで通うのを嫌がるようになって音楽療法を続けることは難しくなりました。

そこでどうしてプロの音楽療法士のレッスンを嫌がるのか考えてみました。音楽療法の偉い先生は皆さん高齢だったので、使う歌がどうしても古いんです。ちょっと暗くて悲しげな昭和の曲が多かったので子供は楽しくなかったのかも。レッスンを受けるたびに先生から「この子は音楽が好きじゃないのかもしれない」などと言われました。1日中音楽を聴きながら歌って踊っている子なのにそれはありえないですよね。

「どうして聞く曲と聞かない曲があるんだろう?」と私は不思議に思いました。

そして興味を持ってくれる曲を見つけては聞かせていると、声が出るようになって身体的な発達もだんだんと追いついてきました。小さいものをつまんだり、色を見分けたり、紙を破いたりという動作ができるようになっていきました。音楽が子供を発達させるということは聞いていましたが、本当のことなんだと実感しました。


それから私は段々と「子供が好きでよく聞く曲の共通点」を探すようになりました。私は音楽に全く詳しくありませんでしたが、「この曲のこの部分が好きみたいだ」というような共通点の探し方をしていたんです。だんだんとそれがわかってきましたが、そういう要素を集めた曲というのはめったに見つかりませんでした。

聞き流すだけでも脳の発達を促したり癒したりするような曲を誰かに作ってほしいと思っていましたが、それは決して「一部の人が聞く治療のための専用の曲」ではなく、みんなが普通に聞くありふれた大衆音楽であるべきだと思いました。

だってオレンジレンジのロコモーションは私が若い頃に流行っていた曲です。この曲をうちの子は常にリピートで聞いていたんです。何度も何度も同じ曲を繰り返し聞くんです。流行らないような曲はそのペースで聞くと疲れて嫌になります。「またこの曲!聞き飽きた!」となるはず。

だから脳を癒してくれる曲はクラッシックのように「聞きべりのしない曲」です。クラッシックは世の中で一番聞きべりがしなかったために現代まで残った曲ですから。

脳を癒してくれる曲=繰り返し聞いても疲れない曲➡流行る

この構図が正しいなら、ヘビロテできる曲こそ私達が必要としている曲ですし、クラシックの音楽の構造を持つ新しい曲で、絶対に流行する曲だと思いました。

それからは流行りの曲ばかりを聞いていました。だんだんと歌える歌が増えても出せる声の種類は限られていました。

口の周りに麻痺があったからです。しゃべりたくてもしゃべれないストレスで悲しい気分になることも多かったはずです。

この子はいつも明るく振舞っていますが不安になった時に周囲に気を使って言いたいことも言えずに我慢していました。でも私にだけはつらい気持ちを吐き出して欲しかった。

この時は宿泊施設のお風呂が怖いから入りたくないと伝えたかったのにうまく私がわかってあげられなかったせいでちょっと怒っていたんです。

でも最後はちょっとうまくしゃべれたのでうれしくなっていました。

2歳の時に言語の検査をしたときは「発語はほとんどなくてアウトプットは苦手だけど、言語理解は8歳児並みですね」と言われました。しゃべれないからこそ大人がしゃべっている言葉の意味を理解しようと頑張っていたのだと思います。言語の先生は「これでいいです、今のやり方で間違ってないです。とにかくインプットに集中して言葉を教えていきましょう。」と励まされ私もやる気になりました。

その頃、私が人とケンカをしていると子供はこのようなカードを持ってきて私に見せてきました。絵カードは教えても使うことはなかったのにその時だけ自分から引っ張り出して見せてきたんです。

そして私が怒るのをやめた時にこのカードを見せてきました。

体は不自由で子供だけど、心は私よりもずっと大人なのではないかと思いました。言葉がしゃべれなくても、複雑な気持ちを人に伝える手段を持っていました。心と言葉は順調に育っていたんです。


それにしまじろうの英語の歌が好きでよく歌っていました。この頃は日本語よりも英語の曲のほうを喜んで聞いていました。しまじろうの英語版は特にお気に入りでした。

英語のアニメの字幕部分(ここも英語)を隠すと歌えなくなり、見せると歌い始めました。文字を読めているのだとその時気づきましたが、アルファベットを1文字ずつ教えるとそちらはさっぱりでした。ひらがなよりも漢字が好きだったり、簡単なことよりも難しいことのほうが得意でした。

法デイの先生は「1回歌を聞かせたら本当に1度ですべてを覚えてしまう。凄い記憶力!」と驚いていました。本当に歌以外のことは何もできませんでしたが、この子は歌さえあれば幸せに暮らしていました。

この頃から「記憶力が異常に良い」という課題について真剣に考えるようになりました。「パペッツ回路を使っていないのではないか」と言語の先生たちに心配されていました。短期記憶を使わずすべて長期記憶で丸覚えしているというのです。これは負荷が大きく子供にとってはとても大変なことです。間違えて覚えてしまうと修正がきかないのです。

今でもうちの子供は布団のことを枕と言い、枕のことを布団と言います。間違っていることはわかっているのですが正しく記憶し直すことが難しいようです。これは私の教え方が悪かったのです。物の名前を教えるときはゴチャゴチャした場所で適当に教えるとどれが何を表しているのか正しく理解せず間違えて覚えやすいです。

一度、窓の外を見ているときに「あ、バスだよ!」と言って私が指刺したことがあります。確かにバスはいたのですが、新幹線と電車と乗用車とバスとトラックとタクシーが通っている風景でした。子供は私が指差す先がよくわからず乗用車のことを「バス」と覚えてしまいました。タクシーを見ると新幹線だと呼びます。そして今でも普通の車のことを「バス」と呼びます。その後盛大に反省して、名詞を教えるときはほかに物がない時に教えるように工夫をするようになりました。

それからは知ってる単語は多いけれど麻痺があるからしゃべれないという時期が長く続きました。どうやって口元の麻痺を取ればいいのかは長い間わからずにいました。

「食べること」と「歯磨きをすること」の2つが麻痺を取るリハビリになると聞いて期待しましたがイマイチだったので、古い論文を読み漁って温冷療法を始めました。これは効果があって、実際に手や足の麻痺がかなり取れました。髄鞘化を進めるための脂肪酸の摂取やアンドロゲン補充療法でもかなり改善しました。麻黄湯という風邪の漢方薬を飲んだ時も麻痺が少しとれて顔を触っても嫌がらなくなりました。

沢山のことをしましたがちょっとずつ、ちょっとずつよくなる感じ。3歩進んで2歩下がるを繰り返していました。

これがアンドロゲン補充を始めて1半年が経過したころです。体全体に筋肉がついてきたので体重も増えて体がしっかりしてきています。

口まわりの麻痺が確実に取れるのは鍼灸と漢方だと思います。奇穴とあぜ穴のケアでそれが改善することが分かったのは最近ですがガラリと変わりました。そして立効散という歯痛の漢方薬を使って口まわりの麻痺がほとんど取れてきました。

現在うちの子はかなり喋れて歌えるようになっていますが、ちょっと大人になったので撮影しているのがバレると無言になってカメラ撮影を拒否します。絶対に歌ってくれません。カメラがない場所でなら1日中ずっと歌っているのに。でもかなり滑舌よくなりました。チャンスがあったらまた隠し撮りしてみます。


私は子供の言語発達のために沢山のことをしてきました。
でもその基礎になったのは音楽だと思います。

脳性麻痺の子供を発達させたのは、すべてこの音楽があったから。私の子供の大好きな曲です。


これらの技術が詰まった曲です。

【aeoとiuの鬱音の法則】
・フレーズの最後の音が母音の「あ(a)」「え(e)」「お(o)」で終わっている曲はよく聞く➡良い音
・フレーズの最後の音が母音の「い(i)」+休符で終わっている曲は嫌がる、歌の途中でも「い」と「休符」が入っていると嫌がる➡悪い音(鬱音)

【iuの例外と回避方法】
・フレーズの最後の音が母音の「い(i)」で終わっても「い」と「に」の場合は問題がないことが多い(き、し、ち、ひ、み、り、ゐはダメ)➡悪い音の回避
・フレーズの最後の音が母音の「い(i)」で終わっても次のフレーズの最初の音が「い(i)」で始まるなら問題がないことが多い。う段も同じだが、い段はい段、う段はう段の場合だけよくて、い段とう段が絡んだ場合はダメ。➡悪い音の回避
・打楽器の音程でaeoを作りiuを回避する
・母音のaua、iuはゆるやかな鬱音。繰り返すと否定のテクニックが効かないことがある

【繰り返しの法則】
同じ歌詞や同じフレーズの繰り返しも好き➡良い音

【ai加点の法則】
母音が「あい(ai)」「いあい(iai)の単語が入ると良い➡良い音
aiaiと繰り返すものはもっと強い効果がある➡良い音
aiを伸ばす音はさらに強い効果がある➡良い音
aaaのように連続する母音は強い効果がある➡良い音

【促音の法則】
「きっと」「ずっと」「もっと」「ちょっと」という促音も好き➡良い音
これの繰り返しはもっと良い

【無音の鬱音の法則】
音の数が増えてくると無音ができた瞬間にその場所が悪い鬱音になる

【歌詞による鬱音回避の法則】
・サビの中にある鬱音は被害が大きいので入れない
・「ポジティブな意味の単語」の量と「ネガティブな意味の単語」の量が1:1だとネガティブな言葉の威力の方が大きいので、「明るい歌詞」と「暗い歌詞」があるなら明るい歌詞の分量を多くしないといけない
・暗い意味の歌詞の後には希望の意味の歌詞で否定することで負担を軽減できる

【聞き減りをさせない曲の構成の法則】
・「希望の意味の歌詞」で歌を終了させると人は繰り返し同じ曲を聞きたくなる
・間奏は長くてもよいが、前奏はないかサビ同然のメロディがないと疲れた脳は長い前奏に耐えられない
・「聞く」という行為に集中できるように音の層が厚い曲が良い。クラッシックのオーケストラのように楽器の数が多い曲が良い

【リズムと音の上げ下げのह्री法則】
・音を下げるときに良い効果がある(Oṃ)
・特定のリズムで癒しの効果がある(〇〇● 〇〇〇〇)


これらの曲との出会いは2019年。
言語発達が急激に進み始めたのは丁度この頃からです。

病気の子供を元気にしてくれる音楽だから沢山の人に聞いてほしいと、子供が通う法デイの先生にすすめてみるともうすでに「みんなこればかり聞いてる」というのです。皆自然とそこに行きついていく。だってそこには理由があるから。ただの曲じゃなく、脳を癒す要素を含んでいるから。


障害児をシングルマザーで育てるというのは絶望的にハードな生活で睡眠時間は毎日2~3時間です。私には手伝ってくれる家族もいません。両親は障害児に偏見を持っています。私一人で父親の役割も母親の役割も全部こなさなければなりません。仕事もして子育ても家事もして、勉強もしなければならないと、もうこの世の全て何もかも消えてなくなればいいのにと思うときも沢山あります。大事なことを諦めることに慣れすぎて、毎日この身をすり減らすようです。

でもこの曲を聞いたら、もうちょっと頑張ってみようかなと思えます。

聞いていると段々と「ああ、この曲は私のための曲だ」と思えるんです。私以外にも大勢がそう思っていると思います。沢山の人が励まされているはず。これは自分のための曲だと思える歌に出会えることは本当に幸せなこと。

子供が「自分は障害児だから頑張ってもどうせ無理だ」というようなことを言うことは沢山ありました。でも私は障害を乗り越えられるという希望を捨てることができません。普通の人が諦めるようなことをずっと諦められないダメな人間なんです。だから人生がややこしくなる。脳性麻痺は治らない病気だと思っている医者にとって治ると信じてバイオハッキングをする母親なんて迷惑な存在でしかありません。通える病院はないし、救急車で受け入れてくれる病院はありません。

生化学も脳科学も整体も鍼灸も薬理学も結局自分で勉強して自己治療するしかなかった。

なんでも一人でやるしかなくてへとへとでしたが、この曲にずっと子育てを手助けしてもらっているようでした。

私の子供はこの曲が好きだから歌いたくて声を出しているうちに麻痺が取れ、しゃべれるようになって沢山発達が進みました。

だからこの出会いに本当に感謝しています。
沢山いい曲を作ってくれてありがとう。

この喜びと永遠に変わらない尊敬が伝わりますように。



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