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女系の遺伝子をつなぐ家2

今回は母方の祖父のことを書いてみようと思います。

父方の祖父は漢方薬を自分で作るのが趣味の人でした。自宅の敷地内で赤霊芝を栽培したりすっぽんを親戚の人に養殖させるほどでした。人一倍健康に気遣いながら誰よりも早く亡くなりました。

キッチンにはガスコンロが2つあり、1つは家族の食事を作っていましたがもう1つは土瓶が常においてあって漢方薬を煎じていました。祖父は毎日おかゆを食べていたのでその隣は祖父専用のおかゆ鍋でした。

キノコ狩りが趣味で本を見ながら毒キノコと食べられるものとの違いを教えてくれました。

祖父は胃が悪くいつもアロエをすりおろしたものを飲んでいました。私も飲めと言われましたが生臭くて苦い味のせいで無理でした。高麗人参のお茶も家にあったと思います。時期になると色んな種類の生薬を乾燥させて保存していました。

私が祖父の家に泊まりに行くとまだ暗いうちからうめき声が聞こえてきます。

胃がんでした。朝の4時頃に吐き気で目が覚めてそれから2〜3時間はオエオエと苦しむのです。

糖鎖のリングについて理解している今なら、キノコもアロエも高麗人参も赤霊芝もタイプBの消化器系が弱い男性が食べてはならないものだとわかります。祖父の時代はそれらは今まで以上に「健康に良い」とされていたので、疑わず食べていたのでしょう。

父は以前祖父の事を「欲げに長生きしたがるからそういう人間ほど早死する」と言っていましたが、祖父が健康にさせたかったのも長生きさせたかったのも自分自身ではなく、私の為だったのかもしれません。小さい頃の私は身体が弱かったので。私が遊びに行くと漢方薬を飲まされました。


祖父はよく漢方薬を煎じる為の水を汲みに山奥に車で連れて行ってくれました。当時そこは普通の道でしたが岩の間から水がチョロチョロと流れているだけの場所でした。

水を汲み終えるとそこから暫くドライブしてさらに山奥に入って行きます。薄暗くて湿気ていて、小学生の私にはちょっと怖くてたまらないようなおどろおどろしい山道でした。そこは当時全く整備されておらず、丸太を並べただけの階段が雨で濡れてドロドロになっていたり、そこら中水たまりだらけでした。道も所々崩れていて、いかにも危なげな場所でした。

細い山道を歩くと奥の方には木でできた小屋があって、それを過ぎると岩の陰に小さな祠がありました。その奥にはチョロチョロとした水が流れています。

普段お参りする人などいないのでしょう。汚れていて木は崩れて全然ちゃんとしていない小さな神社です。そこの近くにお姫様と竜の絵が描いてある木が置いてありましたがそれも朽ちてカビていたので文字の部分にはなんて書いてあるのかわかりませんでした。

私が祖父に「ここはなあに?」と訊ねたら、「竜神のお姫様がいるところだよ。とても大切な神様なのにこんなにも忘れられてしまって。すごく強い神様。もしワシがここにお参り出来なくなったら、お前がかわりに参ってくれ。」という内容のことを方言丸出しで言って、お参りするたびに長い時間をかけてそこを掃除し壊れたものを直していました。

その事を思い出して、あの崩れかけた祠のある山奥がどこにあったのかグーグルマップで探してみました。

これっぽい。

当時はこんなにキレイじゃなくて、階段もなかったし祠も小さくてボロボロでした。薄暗い斜面をよじ登っていたからほぼ登山です。

小さな祠を拝んでいたけれど祖父はチョロチョロと流れる水のほうが大切なのだと言っていました。

岩や小屋の感じからここだと思います。子供だったので狭い岩屋の奥の方に入って遊んだのを覚えています。

こちらの祭神を見てみましょう。

多祁伊奈太伎佐耶布都神社

下道国兄彦命・大穴母智神・大山祇命・天明玉神・加具土神・素盞鳴命・宇迦御魂神・金山彦神・金山比売神・奇稻田姫命・日本武命・宮簀姫命・建稻種命

主祭神は下道国兄彦命です。いかにもオッサンっぽい名前の字面。竜神の女の神様どこいったんでしょう。

調べてみると景行天皇の皇子で吉備臣の関係で、稲田氏の祖でした。母は八坂入媛(やさかのいりひめ)です。

下道国というのが岡山を意味していて兄彦命というのが
名前ですね。


この神社に関係があるとされている氏族が阿部氏です。明治時代に武具などを奉納しているんです。

歴史マニアさんたちは「諏訪の氏族で有名なのは阿部氏。平安時代に加茂家と一緒に陰陽道をやってたみたいだし、あなたの実家は阿部氏ではないの?心当たりはないの?」と期待していたようですが、うちとは別だと思います。諏訪の阿部氏と例の阿部一族に繋がりがあるのかわかりませんし。

クラスメイトに阿部正弘の子孫という男の子がいて歴史の先生が興奮していたのは覚えています。


この神社の一番の違和感は御神体が岩屋そのもので岩屋権現と言われているのに神社の名前はたけのいなたきさやふつ神社だということです。たけのは猛々しい、いなたは人名、きさやは木鞘でふつは剣です。

猛々しい稲田の木鞘の剣。

稲田氏の祖先と刀を祀った神社ということでしょうか。

地元では素盞嗚尊が八岐大蛇を退治したときに用いた剣が祀られていたという伝説もあるそうですがそれはさすがに話を盛りすぎなのではと疑いたくなります。十拳剣って事ですよね。

記紀に出てくる十拳剣は色々あります。十拳剣はサイズを示す一般名詞で固有名詞ではないという説と別名がたくさんあるという説があります。細かく見ていきましょう。

天十握剣(あめのとつかのつるぎ)

「天羽々斬(あめのはばきり)」
「十握剣(とつかのつるぎ)」、「十拳剱」
「蛇之麁正(おろちのあらまさ)」
「天蠅斫之剣(あめのはえきり)」(天蝿石斤斬)
「天之尾羽張(あめのおはばり)」
「蛇韓鋤之剣(おろちからさびのつるぎ)」

日本書紀(第三の一書)では、「蛇韓鋤(おろちのからさひ/おとりからさひ)の剣」として吉備の神部に祀られたとされています。歴史書などには記載がないけれど、もしかしたらその流れで一時期ここに祀られていた時期があったのかもしれませんね。現在は石上神社に奉安されています。

十拳剣ベースで考えると大勢の神々の名前が並んでいるのか納得がいきます。

下道国兄彦命:吉備の統治者
大穴母智神:大国主命。須佐之男と奇稲田姫の子孫
大山祇命:奇稲田姫の祖先。迦具土神が伊邪那岐に十拳剣で斬られた時に生まれた神様
天明玉神:天照大御神が天岩戸に隠れた時、八坂瓊之五百箇御統曲玉を作って大神を慰めたり、天の岩戸で瓊瓊杵尊の天孫降臨の時に随伴した
加具土神:伊邪那岐が産んだ火の神。十拳剣で斬られた。
素盞鳴命:天照大御神の弟。十拳剣を使った。
宇迦御魂神:食物・穀物の神。須佐之男の子とも伊邪那岐の子とも言われる。豊受姫、大宜都比売命、保食神らと習合した?稲荷神社の主神。
金山彦神:鉱山と鍛冶の神。
金山比売神:鉱山と鍛冶の神。
奇稻田姫命:須佐之男の妻。稲作の神。
日本武命:東征で十拳剣を使った
宮簀姫命:日本武命の妻。尾張氏の娘。天火明命や大綿津見神の子孫。草薙剣を熱田神宮を作って祀った
建稻種命:古墳時代の尾張の豪族の家系。宮簀姫命の兄。日本武命の東征の際に副将軍として武功を上げた。娘たちが景行天皇や応神天皇の后に。

稲田氏の先祖、穀物の神様
十拳剣にまつわる人
山の神様と刀の神様

こんな内容の神様ですね。吉備から尾張への流れが見えますね。

この場所は神事を行った場所なのでしょう。巫女が舞ったりしていたのかも。

古代の神事の形式の一つに巨石を使ったものがあります。

こちらの尾針神社にも巨石があって、ここで神事を行っていたんですね。祭神は天火明命と大氣都姫神です。おはり→おわりになったのかな。

竜とお姫様が描かれた木の板は何度も見ていたのですが、この祭神の中にいるのでしょうか。女性は宇迦之御魂神、奇稻田姫命、宮簀姫命です。
宇迦御魂神は倉稲魂命とも書かれることがあります。稲の字が入っています。

宇迦之御魂神は龍と水の神とも言われていますし、奇稲田姫は夫が水神です。2人の女性神はどちらも条件が揃っていますね。


母方の祖父は昭和の典型的なオジサンだったので、家の中では祖母に対して大きい顔をしていました。でも仕事の用事で誰かが来ると「専務さんいますか?専務さんじゃないとわからないかも」と祖母を指名する人が多かったです。祖父は仕事ができる男のフリをしていましたが祖母には敵わず取引先の人たちが祖母を頼りにすればするほど闇を抱えていたと思います。

祖母は何に関しても努力をし一生懸命取り組む真面目な人でした。仕事はできましたが可愛げがなく遊び心のない女でした。優秀でしたが美人ではありませんでした。

祖父は時々すごくきれいで優しいお姉さんのところに遊びに連れて行ってくれました。すごく美味しいオムライスを作ってもらって食べたのを覚えています。帰宅すると祖母は私にどこに行っていたのか聞きました。子供ながらにこれは言ってはいけないことだろうと思い口ごもると祖母は毎回全てを察していました。

祖父は祖母に嫉妬していてストレートにそれを言えないので浮気という形で殴る代わりにしているのだと思いました。

祖父は優しくて面白くてハンサムでお調子者でしたがきっと気の小さい人だったのでしょう。

遊びに行くと毎回同じ歌を歌ってくれました。

「神辺の角の傘屋のカカアが、蚊にカブられてかいやかいや。かけばかいいし、かかねばかいいし、ああかいやかいや」という「か」で始まる歌です。

物心がついた頃から高校生になるくらいまで会うたびに歌っていたので1000回以上は聞かされているはずです。角に傘屋があるのかどうかも知りませんが一番最初は誰かの悪口を言っていてそのままこの歌を歌って喜んでいたので適当なものだと思います。

これを歴史マニアさんたちに言うと「口伝きた!なんの秘密が隠されてる?」などと期待されますが、なんの意味もないような気がします。なんの意味もない歌を十何年も歌わないでしょと言われても、全然わかりません。どうでもいい歌だと思います。

祖父に関することを他に思い出そうとしてもすぐあのどうでもいい歌が頭の中に流れてきてなかなかそれ以外のことを思い出せません。


そこは神辺町という場所でした。かんなべという地名はかむなびという言葉から来たものです。現在の天別豊姫神社は甘南備大明神と言われていてそれが町名の語源です。

かむなびとひらがなで入力すると予測変換では神名備、神奈寐、神南火、神南備と色々出ます。そしてその後に続く文字は神奈備山です。

かむなび山とは蛇がとぐろを巻いたような形の山のことです。横から見た時にピラミッドのような形になっている神聖な山のことをそのように言ったそうです。

この地域にはたくさんの巨石があります。巨石を依代として神聖な霊を依り憑かせるような神事が行われていたのでしょうか。


これに対して神社の近くの地形は真っ平らです。大昔はそのあたりは大穴と呼ばれる海だったそうです。頻繁に洪水が起きていました。そのあたりは真砂土で出来ていて、砂地なので崩れやすく水で流れやすいそうです。山の上から水が流れてくると砂が押し流されて災害が起こります。

江戸時代の記録でも頻繁に洪水が起きたとあり、藩が作った砂留があります。このような形状のものがあちこちにあります。

その近所はびっしりと古墳群があるのですが、ポッカリとない地域があって、その南側では大勢が洪水で亡くなったそうです。古墳がある場所のすぐ近くは安全なんですね。

長い時間をかけて海水面が下がったり上がったりしながら、砂を多く含んだ土が山の方から流れてきてそこに平野ができました。

巨大なお墓を作る意味が砂留にあったとしたら面白いですね。


地図を見ていて気づいたことがあります。

下御領古墳群
法童寺古墳群
国分寺裏山第1号古墳

これらの古墳の山の際はまっすぐなんです。これに似てのっぺりとした山肌の場所があります。

それが天別豊姫神社のある場所です。これを見て思わず「この山の下にはなにかあるのではなかろうか」と思いました。長い年月を経て土が盛って木々が生えているけれど、その下にかむなび山の形状になるものがあったとしたらそれはまさしくピラミッドのような形なのではないでしょうか。

かんなびにはもう一つ意味があるとされています。それは「神を隠すところ」というものです。隠しておきながら地名にしていたら隠せないですよね。単に隠すという意味ではなく別の意味があります。高貴な存在が亡くなることをお隠れになると表現したりします。それとおなじでかんなびには「神が死ぬ」という意味です。どの神様が亡くなったというのでしょうか。

私の祖父の家はその神社の山のすぐ近くにありますが神社のすぐ裏は神辺城です。その大きな山の反対側にはうちの実家の先祖の家があった地域が広がっています。父方の祖母の家も祖父の家も。

天別豊姫神社をぐるりと廻り込むようにすべての家があります。

女系の遺伝子をつなぐ一族は石を護る家でもありました。

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