父になって、ニュースの見方が変わった話。

子どもが産まれて早5ヶ月。
なんというか、ゆっくりと、でもしっかりと、心が奪われていくのを感じている。

育児も恋愛と同じで、いきなり好きになるわけじゃなく、
だんだんと好きになっていくものだったとは知らなかった。

正直、昔は自分の人生を誰かに捧げることに抵抗があった。
俺の人生は俺のものだと。
だから「父親になること」に、もっと具体的に言うと、
「子どもを中心に考える人間」にはなりたくないと思っていた。

けれど、今は違う。

自分の心の中で、徐々に「子どものこと」がその領域を広げていくことに、
まるで風呂に浸かるような、そんな心地よさを感じている。
これが親になるということなんだろうか。

彼女は本当にすくすくと育っていて、最近では笑顔も習得した。
僕の顔を見てにこぉっと笑うその顔を見ると、心がパッと照らされたように、
なんとも嬉しくなる。あらゆる不幸を、彼女から遠ざけたいと思う。

笑っていただいて構わないが(むしろ笑ってもらいたいが)、
すでに門限の話などを妻としたりなんかしている。
妻の実家はとても厳しかったので、
「厳しくすると大学になってハジケるよ」と脅してきたりする。
こっちからすれば、ここまで女の子が被害者になっている世の中で、
なぜそんな油断できるのか疑問しかない。何かあってからでは遅いのだ。マジで。

そういう意味で、子どもが産まれて一番変化したのは、
ニュースの見方かもしれない。
子どもに関する事件の見方が、明らかに変わった。
「1歳の男の子が事故で亡くなった」というだけでも、
妊娠前から妊娠中、1歳になるまでの日々を思って心が痛む。

妊娠したとわかったときの喜び
つわりの苦しさ
お腹の中で動いた感動
出産の大変さ
自分の親に喜んでもらえた嬉しさ
初めて泣いたときの焦り
初めて母乳を与えた高揚感
泣いた、笑った、寝返りした、食べた、ハイハイした、立った、喋った…

1歳、たった1歳なんだけど、それまでにどれほどの苦労や喜びがあったかが、
想像できるようになった。
その痛みが、恐ろしさが、わかる。身震いするほどに。

だからせめてこの想像を、自分の子どもを守るために使っていかなければ。
今ならすべてが間に合うのだ。何も起きていない今なら。

これからの日々、好かれる父親になれるかは分からないけど、
ちゃんと子どもを守ってあげられる父親を目指そうと思う。
いつか、誰かにバトンタッチするその日まで。


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