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自己紹介vol2

こんばんは。

今日もれふとです。
少し時間が空いてしまいましたが、空いてしまったからと言って特に影響のない、
自己紹介の続きを書かせて頂きたいと思います。

vol1をまだご覧になっていない方は是非暇つぶしにご覧になってください。

高校進学先の決め手は前回の記事で申し上げました、
『涙には熱があり、その温度は時によって異なるものなんだ』
と言う事を母の涙で知った事でした。

かと言って行きたい高校があるわけでもなく、勉強を今まで頑張ってきたわけでもない私は
取り急ぎテストの結果から行けそうな高校をピックアップし、
その中から母の勧めで下り(地方)ではない、上り方向(都内方面)の学校で、何かしらの決め手となるところとしました。

そこで出てきたのがK高校でした。
理由は単純で、私が通う事になる歳から詰襟がブレザーに切り替わり、
地味なよくある制服から明るいセーラー服になる年に入学できるから

でした。

本当にただただ単純な理由でした。

さぁ後は学力を上げるだけです。
…が、私は中学3年の担任からの一言で終わりました。

『推薦してあげるから、そこ1本で決めちゃいなさい。』

ここから真面目に頑張る姿を2000文字くらい書きたかったのですが、推薦を頂いた上に、
1月下旬にはもう進学が決まり、勉強を頑張っているみんなを尻目にただ残りの中学時代を謳歌すると言う、

なんかドラマのない結果となりました。

入学手続きを母と行い、帰り道
『本当に良かった地元から離れたところに入学してくれて…』
母はドラマもない入学試験、リニューアルする制服という残念な子供の前で、
とてもご機嫌そうに通学路にあるであろう道を一緒に歩きながら駅まで歩いていました。

ああ、こんな私でも、少しは親孝行出来たのかな…なんて思っていましたが、
既に私はこの帰り道の時点でとてつもない不安に襲われていました。


…ちゃんと3年、通えるんだろうか…
…勉強について行けず、留学してしまわないだろうか…
…地元の友達が一切進学しない高校で、うまくやっていけるんだろうか…





…あれ?通学路、長くない…?


学校から最寄駅まで、なんと30分の徒歩となっていました。
更に電話の乗車時間が20分+乗り換えて15分、
地元の最寄駅から自転車で15分前後…

あれ?3年…?

私はとてつもない不安に襲われながら、入学式前の時点で今まで感じたことのない覚悟を迫られました。


更に入学式では普通にしているつもりなのに
「お前新1年だなその制服は。」と、ベテランと思われる先生に声をかけられ、
いえ、目をつけられたような感じで、調子に乗るなよ的な事を大人の言葉で多数浴びせられました。

まさかそのベテラン先生が私の担任になるとは、この時は思いもせず、
軽く威嚇をしている野良犬感を出してしまったのは今でも悔やまれます。

それはさておき無事入学も決まり、母の涙を笑顔に変えるべく、真面目に高校生活を送ろうと、
クラスの中でいかに地味に、誰にも目をつけられる事なく行きていけるかを3年間のテーマとして、
1日1日を過ごしていました。

幸い地元から離れた高校の為、同じ中学出身の子は一人もいませんでした。

しかしここまで読んでいただいた皆様ならお気づきかと思います。

私がそんな地味な3年間を送れるわけがないと言う事を。

入学してわずか3ヶ月目、梅雨時期に差し掛かる6月、
学校生活にもなれ、スクールカースト的な世界も出来上がってきた頃、
いじめが発生していました。

机にいたずら書き、ノート紛失、上履きに傷をつけるといった、
分かりやすいいじめが始まっていました。

ターゲットにされたハンナ(仮)はそれでもいじめに耐え、酷い単語を多数書かれた机に毎日座り、健気に日々を送っていました。

落書きを消すのを手伝ったり、何気ない時に声をかけてみる等、
私は少しでも力になれればと思いハンナに気をかけていました。

しかしハンナもいじめられるくらいの内気な子であった為、私に胸の内を吐き出してくれることもなく、いじめは日に日にエスカレートして行きました。

そしてある月曜日、
私は最寄駅から30分を徒歩で通学し、梅雨空の中猫っ毛を気にしつつ教室へ入ったところ、
ハンナの机についに落書きではなく、彫刻刀のようなものでひどい単語が彫られているのを発見しました。

私はハンナがまだ教室には来ていない事を確認し、
いじめをしている女の子達に「ちょっといい?」と伝えハンナの机を手に取り、
3Fのベランダから机を放り投げました。

朝から学校中がパニックになりました。
いじめをしていた女の子達は大爆笑しながら
「れふとって何中?マジやばいね最高」
みたいな事を言っていたので
「うるせえ」と一言返して黙らせ、

リニューアルした制服を着た第一号の停学者となりました。

母の涙の真意を知り、3年間地味に生きようと決めてたった3ヶ月で、
私は学校の歴史に残る汚点となってしまいました。


そんな机に向かい、悲しみに耐え続けるハンナを見たくなかったと言うのが本当の気持ちでしたが、
そんな事は大人にはどうでもよくて、県外からなぜかやってきたクレイジーな新1年が現れてしまった事にどう対処しようか、ずっと話し合っていました。

推薦でしてくれた中学3年の時の先生、本当にごめんなさい。
謝りますから絶対に許してください。絶対に。

そして結果、停学。

入学から3ヶ月ちょっとで私は地元で軟禁のような生活を送ることとなり、
その上停学開けからは完全に「ヤバイ奴」として全生徒から注目されるようになってしまいました。

母よ、私はあなたを笑顔にしたかっただけなのです。
本当に申し訳ありません。

謝りますから絶対に許してください。

…約3週間ほどの停学期間が開け、地味に暮らしたかった高校生活は激変しました。
ヤンキーまがいの先輩からタバコを持っていないか毎日のように聞かれ、
ヤンキーとして名を馳せたい同級生達から謎の遊びに誘われては断る。

あ、これ、取り返しがつかないぞ…

たかが16歳の私でもそれだけはわかりました。

ただ、唯一気がかりだったハンナは…?

私はハンナへのいじめが止まり、元気に日々を暮らしていただけているのであれば、
それだけで後悔はせずにいられると思っていました。


ハンナは無事綺麗な机で高校生活を送っていました。
いじめも収まったようで、私はとてもいい気持ちになりました。
停学は残念でしたが、ハンナの為にはなれたんだ…

そう思い、ハンナに朝の挨拶をしました。
「ハンナ。おはようございます。」

ハンナは私の存在に気づき、若干巻き気味にこう私に告げました。

「あ、すいません。もう机投げたりはしないでください…授業が受けられません」

完全に恐怖の対象を見る目でした。

でも大丈夫です。
後日担任の先生が経緯を説明してくれて、誤解は解かれました。

ただ、停学が開けてから、2ヶ月近く経っていた事は今でも忘れません。

長くなってしまったのでまさかの高校生活中で終わります。
またいつか…。

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