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初音ミクの「身体」はどこにあるのか


最初に、A★ndedさんにお詫びを。

◇“初音ミクの「死」“にウンザリしている人向けの話をしようと思う。 
https://note.mu/atashinamu/n/ne419ad72d22d

に対して書いた記事。

◇A★ndedさんの"初音ミクの「死」"記事について感想 【A面】
https://note.mu/lefthorse/n/n7a384df2317c

最後でB面を書く書くと言いつつ、風呂敷が広がり過ぎて、とっちらかってしまいました。もう4ヶ月以上放置とか……ごめんなさいの一言しかありません。ですので、「B面になり損ねた断章」を、気の向くまま提示していこうと思います。考えてみれば、投稿誌でもないただのノートですので、端書きをそのまま投げ込むぐらいでちょうど良いですよね。
というわけで、肩ひじ張らず、構成も特になく、思いつくまま好きなように書きます。


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初音ミクの「身体」はどこにあるのか


◇“初音ミクの「死」“にウンザリしている人向けの話をしようと思う。 
https://note.mu/atashinamu/n/ne419ad72d22d


保留点
(1)「身体性」の無いAI(OS)とキャラクターイラストを有する歌唱ソフトの違いがある。


最初に「身体性」って何? という問いには、単純に「人間の身体に似た要素と性質」と答えておきます。

A★ndedさんの文章では、「身体性」の無いAI(OS)とキャラクターイラストを有する合成音声ソフトウェアが対比されています。

キャラクターイラストを初音ミクの「身体」に相当するとみなしての対比ですが、初音ミクの「身体性」はキャラクターイラストにあるのでしょうか。
初音ミクと言われてまず思い浮かべるのは、あの「緑の髪をしたツインテ少女」ですが、現実の初音ミクはコンピュータ上で動くプログラムです。OSまたはAIの活動は、実際の入出力である0と1のデータを眺めるだけでは、人間のように身体性を感じることは困難です。

しかし「人間の活動に喩える」なら、そのデータは、仕事をする手や腕、移動のための足、音声を生む声帯を動かしているのだ、と捉えられます。この作用は擬人化そのものであり、DTMerが合成音声ソフトウェアを用いて生み出したデータが周辺機器を通じて音声出力する様子を、「初音ミクという〈電子の歌姫〉が歌っている」と見なしているわけです。

初音ミクをキャラクターイラストから切り離し、純粋に音を出す楽器・ソフトウェアとして考えるユーザーもいます。もちろん、それが合成音声ソフトウェア・初音ミクの現実基底である以上、物理的な世界だけを視野に入れるなら、初音ミクに身体性が欠如しているのは理の当然です。この点は、A★ndedさん自身も、初音ミク文化論「身体性なきボーカロイドの跳躍」を引用して触れています。

初音ミク文化論「身体性なきボーカロイドの跳躍」 https://togetter.com/li/70435

佐藤純一氏:
むしろその身体性の無い虚構のそして可愛らしいアイコンのミクが、会場の数千人の観客とさらに画面の向こうから見ている数十万のネットユーザー達の『魂』を 一手に引き受けちゃってることが、最大の魅力であり、最大の不気味さであり、何だか哲学的な気分になって考えざるをえなくなってしまう理由
(引用に伴い、下記の2ツイートを連続させ行改変しています。)https://twitter.com/jsato_FLEET/status/4411349463470081
https://twitter.com/jsato_FLEET/status/4412094057287680


初音ミクのキャラクターとして出現したあの愛らしい「緑の髪をしたツインテ少女」は、私たちボカロファンが「彼女は人間のように振る舞う」という虚構を立てなければ、ただソフトを指し示す記号であり、すなわち「アイコン」でしかありません。緑/赤の縞まで単純化しても初音ミクを指し示す記号として(ミクファンであれば)認識できますが、そこまでいけば「身体性」を見出すのは難しい。

ですが同時に「身体性なきボーカロイドの跳躍」のまとめ中で、


ハヤシヒデキ氏:
ボーカロイドは身体性を抹消することで歌のシステム化を可能にしましたが、初音ミクはそこにミクという『擬似身体(擬体!)』をはめ込むことで聖性を獲得するというダイナミズムがあったhttps://twitter.com/mech_hayashi/status/5043770395467776

という指摘もありました。

人間の歌は、歌う人の身体に結びついた個性を持つユニークなものです。一方、初音ミクをはじめ合成音声ソフトウェアは、初期スペックに差違を持ちません。システム化とは普遍化・均一化・画一化であり、同じ操作をすれば同じ結果を得る保証をもたらすものです。

しかし、この歌うシステムに、初音ミクという名前を与え、そのキャラクターイラストを「擬似身体」と見ることで、〈あなたの初音ミク〉は「人間」もしくは「人間のような存在」として、画一化された存在とは違う顔を得ます。唯一つの「我が家の/お隣のミクさん」=〈個〉として眼前に表れる初音ミクになるのです。依代たる身体を得て、初音ミク一般から区別された特別な初音ミクになる、すなわち個別化であり同時に「聖別」=聖性の獲得です。私たちが「一人の人間(または人間に近しい存在)として扱う」からこそ、作品で歌ったりスクリーン上で踊ったりする個々の初音ミクが「身体性」を得るのです。

当然ではありますが、初音ミクが人間のように振舞うイメージの源泉は、身体を象ったキャラクターイラストを媒介にしてではあるものの、あくまでボカロユーザー・ボカロファンの想像力です。実際には触れられない(intangible)初音ミクを人として想像し、人として振る舞っているような作品を現実に生み出し、それを視聴して楽しんで関わることで、実際に触れられる(tangible)ようにするのは、私たちなのです。

しかし、私たちが擬人化により初音ミクに身体性を与えるというのなら、その他の物であっても、たとえばコンピュータ内のソフト(OS)や人工知能(AI)が周辺機器を動かして環境に干渉することも、擬人化すれば「身体性」を持つと呼べるでしょう。もしくは、それをこそ「ロボット」と呼ぶのかもしれませんが、今回は深く踏み込まず割愛します。OSであればウインドウズの擬人化であるXPやMeなどが、AIであればSiriやWatsonほか現実虚構を問わず人の名前が付けられています。『her/世界でひとつの彼女』に登場する人格を持つAI型OSには、サマンサという名前が付いていますね。

感情移入して擬人化することで「身体性」が付与されるのなら、サマンサだってキャラクターイラストによる「身体性」を得られます。あくまで物語の中の話とはいえ、自律行動できる人格がある分、キャラを得たサマンサは初音ミクより先に進んでいるともいえます。ちなみに、映画公開時にはサマンサの擬人化イラストが下記で募集されていました。

◇人とAIの恋描く映画「her/世界でひとつの彼女」、ヒロイン(AI)の擬人化イラストを募集
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1405/29/news032.html

初音ミクと言われて私たちが思い浮かべる、あの「緑髪ツインテールの女の子」は、それだけでは初音ミクの「身体」にはなりえません。

私たちボカロファンが、初音ミクを経験し、想像し、創造していくこと、これらが集まって初めて「初音ミクが身体性を持つ」と言えるでしょう。作り手・受け手である私たちボカロユーザー自身こそが、初音ミクに「身体」を与え、初音ミクの動力源として機能しているのです。


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現実の再確認・再定義に過ぎないかも知れませんが、手続きを経て、初音ミクをまるで生きているかのように見做すための準備をしていきましょう。


※トップ画像は、
【第6回MMD杯本選】初音ミク-Cipher サイファ-【PV】 http://nico.ms/sm13567493 #sm13567493
(曲:FLEETさん(佐藤純一氏)、PV:☆Pさん)
より、作中PVシーンからお借りしました。問題があればご指摘ください。

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