A★ndedさんの"初音ミクの「死」"記事について感想 【A面】


<【A面】スタート>


まとまってきたので、A★ndedさんの記事の感想を書きます。

記事リンクを再掲。


◇“初音ミクの「死」“にウンザリしている人向けの話をしようと思う。 #vocanote (2017/05/10 06:20)
https://note.mu/atashinamu/n/ne419ad72d22d

◇「あれで説明がすんだと思うなよ」ウンザリ延長戦 -リスナーTとのリプライまとめ(2017/05/13 00:33)
https://note.mu/atashinamu/n/n5f0c47b33b57


1.要約

長大な記事だったので、まずは私が理解できているかどうか整理します。
かなり簡略化してしまいましたが、お許しください。


前半:

「初音ミクの"死"」とは何か、について説明する前置き。

実在する肉体を持たない初音ミクですが、そのキャラクターである愛らしい緑髪ツインテール少女のイメージを通じ、虚構上で「まるで生きているような」身体を得ています。

映画『her/世界でひとつの彼女』に出てくるAIや、浄瑠璃文楽の人形、『攻殻機動隊』などアニメ・キャラクター。人と同じように考え、人の声を持ち、人の姿をしているモノに対して感情移入し、脳内補完で「まるで生きているよう」にみなしているのです。金沢21世紀美術館 | Ghost in the Cell:細胞の中の幽霊、の企画も、この考えに沿ったもの。

SFを例にとると、人間と機械、生命と非生命を対比させて、その差違を見出すと同時に、対立するように見えた二者の境界線を曖昧にするような作品がいくつもあります。

<CGM(消費者生成メディア)>"総体としての初音ミク"は、<UGC(ユーザー生成コンテンツ)>"うちのミクさん"の集合体の総称であり、生物のアナロジーを借りるなら、CGMはUGCを細胞として構成された生物の身体であるとみなせるでしょう。


後半:

では、"生きている(ようにみなせる)初音ミク(のイメージ)が「死」んでしまう"とはどういうことなのか。

◇#2016年ボカロ10選 後記 (しろばなさんかく、2017-01-03) http://shirobanasankaku.hatenablog.com/

しろばなさんの2016年ボカロ10選記事から引くと、

しかし、記号の初音ミクから分離した個々の初音ミクは、
うちの「ミクさん」は。
イマジナリーフレンドとして人間に寄り添う初音ミクは。
時期を迎え役目を終えたら死んでしまうんですよ。

とあります。(引用に伴い行改変)


CGMである「うちのミクさん」、イマジナリーフレンドとして機能する初音ミクは、その役目を終えたら消えてしまう。これを「死」と表現していると解せます。解釈が間違っていたら御指摘ください。

(しまさんの記事は、手元になくアクセスできないので保留)

その後、ボーカロイド・オペラ「THE END」からイマジナリーフレンドへの言及、二項対立の解体、そして通過儀礼の話と、めまぐるしく飛び回ります。

「イマジナリーな初音ミク」を殺す方法は、「イノセンス/子供の自分」に別れを告げるしかない。子供、動物だった「わたし」を、人間に生まれ変わらせるということだ。「人間」という自己認識を取り戻すことだ。同時に初音ミクを「生きてないもの」と言ってしまうことだった。
これが通過儀礼(イニシエーション)のための「象徴的な死」、これが“初音ミクの「死」“だ。

前提はさておき、A★ndedさんの解釈をなぞるとしたら、

純真無垢(イノセンス)な(子どもの頃の)感性を抱えたまま大人になった私たち。だが、社会の要請によって「大人になる」という共通認識を得るための通過儀礼が必要だ。その一つとして、イマジナリーフレンドである初音ミクを「まるで生きているような」対象でも、「生きていない」という認識を新たにして出発し直す、という方法がある。

と翻訳できるのではないかなあと。

最後、エンドロールにサマータイムレコードを流してTHE END。

という流れ。
これであってますでしょうか、A★ndedさん。


補遺:

なお、あとがきで、

便宜上「初音ミク」と言い続けてしまいましたが、全てのボーカロイドキャラクターが対象になりえます。最後に「彼女たち」と言ったのは、そういった事情と、オペラ「THE END」の初音ミクには渋谷さんによって亡くなった奥さんへの想いが重ねられていたからです。

と書かれていますので、この「初音ミク」は、あなたにとってイマジナリーフレンドとして機能するキャラクターであれば、代替可能です。

鏡音リン・レン、巡音ルカ、KAITO、MEIKO、GUMI、がくぽ、miki、いろは、歌愛ユキ、IA、結月ゆかり、ラピス、音街ウナなど、他のVOCALOIDでもいいし、重音テト、デフォ子、桃音モモ、波音リツ、雪歌ユフなどUTAUや、ささら、つづみ、ONEなどCeVIO、その他その他といった合成音声のキャラクター群、そうしたキャラクターの誰であっても初音ミクの箇所にはめ込んで同様の論旨が成り立つ。

そのようなメッセージであると受け取りました。


2.感想

結局、A★ndedさんの記事は"イマジナリーフレンドの「死」"に収束する話になっていったので、私が前回書いたnoteは若干ピントが外れていたと、今ならわかります。

◇初音ミクは「イマジナリーフレンド」か?
https://note.mu/lefthorse/n/nd83e738698af

イマジナリーフレンドという概念で初音ミクを捉えるなら、

「初音ミクの死」とは、"もはや初音ミクによる癒しを必要としなくなったためにイマジナリーフレンドとしては消えてしまった”、という意味になりかねない

と私は書いていましたが、そもそもA★ndedさんの記事は、

たとえ癒しを必要としていても(大人になるために)イマジナリーフレンドとしての初音ミクには別れを告げる、それを「初音ミクの死」と呼ぶのだ。

という論旨だったのですね。
やっと腑に落ちた気がします。

ただ、「初音ミク」界隈(と言っていいのかどうか)には、そうやってイマジナリーフレンドの初音ミクから卒業していく人もいれば、墓場まで初音ミクと連れ添っていく勢いの人もいますので……私のような後者の人間からは、あまり実感を伴って受け取ってもらえなかったかもしれません。

そういう意味でも、VOCALOID・初音ミクとのつかず離れずの距離感あってこその、A★ndedさんの記事だったなあ、と思いました。

B面は、しばしお待ちください。


<【A面】エンド>

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