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創りたい世界

自分らしい生き方を模索する上で、大事な自問自答。

「どんな社会を創りたいか?」

この質問は個々人の価値観の分かれるところであり、私自身もよく自分に問うし、年齢やその時におかれている環境や状況、経験値などでも微妙に答えが変わるが、ここ数年思うこと今日は綴りたい。

日本人のチャレンジの総量を底上げしたい

38歳となった私が今この時点で辿り着いた結論はここにある。

201121_チャレンジ

初めて補助輪を外して自転車に乗れた時。
初めて逆上がりができた時。
初めて跳び箱が飛べた時。

なんとも言えな達成感は子どもの頃に誰もが抱いたはずだ。

私なりの問題定義

子どもに「挑戦しろとか、夢をもて」と大人は言うが、その大人が挑戦しなければ夢も見失っているという矛盾

201121_チャレンジ②

私の会社も挑戦とか開拓という美しい言葉で外にはPRをするけど、リスクアセスを社内の審議で審議する側も審議される側もへとへとになるくらいリスクを回避することに時間と労力をかける。

「これ、危なくないよね、大丈夫だよね」を大人がみんなで合議して半歩くらい進むイメージだ。

会社の経営は甘くないし、リスクをヘッジすることを全否定する気もないし、時と場合、状況によっては必要なプロセス・アクションだ。
良くも悪くも38歳の大人の私にはこの大人の事情は理解する。

そして、はっきり言おう。

「私も失敗するのは怖いし、
 失敗確立の高い挑戦は本音はできるだけ回避したい。」

育った環境とか日本の教育のせいにするつもりはないという大前提のもと、失敗を怖がる自分自身の根源はやはりこれまでの生い立ちだというのが私の自己分析だ。

小さな失敗はもちろん数え切れないほどしてきたものの、進学と就職など人生を大きく捉えたら、比較的に失敗を回避することが幸か不幸かできている。

失敗を怖がっている自分自身の根底はここにあるというのが私の分析だ。
似たような感覚を持つ人、共感頂ける人は、一定レベルいるのではないか。

幸せの定義の変化

私の創りたい社会の考えに至ったもう一つの背景は時代・環境の変化だ。

経済成長も鈍化し、too richな成熟社会に辿り着いた日本。

物欲レスとかミニマリストとかが象徴するように、大量生産大量消費の時代はとっくに終焉していて、幸せの定義が世代・時代によって確実に異なるのが私の考察だ。

201121_シプルライフ

たくさん稼いで、ブランドの服や高級な車を買うことに、もはや人々の興味はなく、そんなもので幸福感は満たされない。

物質的な豊かさから精神的な豊かさに、人々の求めることは確実に変化しているわけで、挑戦することで精神的な豊かさを充足したい、私が創りたい世界・社会を定義した背景はここにもある。

社会/自己分析をふまえどうするか

繰り返しになるが失敗は怖い

だけど、挑戦して失敗も経ながら何かを成し遂げた時の快感もわかっているし、興味もある。

だからこそ、失敗を許容する社会にし、チャレンジの総量をボトムアップしたいというのが私の創りたい社会だ。

何の本か誰の言葉か忘れたけど、勝手に引用させて頂き、今日はここで締めくくり。

201121_失望を最小化<希望を最大化


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