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仮の冬ごもり明け

冬ごもりをすると決めて4日目。
冬ごもりというのは、毎朝早く起きて弁当をつくるのをやめて、何時まででも好きなだけ寝る、そして、なにをしなきゃいけないというのはなく、なんもしない、どこにも行かないというもの。
ごはんを食べなくてもいいし、おふろに入らなくてもいい。

そんな生活をしていたら、意外と冬眠というのも大変なもので、熊はさすがだなと思った。

今日は、お昼ころに起きだして、思いたってバナナパンケーキみたいなものをつくりだし、ついでに焼きそばもつくったら、どちらもおいしくて、なんだかルンルンになって、そのまま軽くそとを歩いてこようということになった。

山のにおいは木のにおい。
昔から胸いっぱいに吸うと、"ここ"に戻ってこれた。
わたしをだいじょうぶにさせてくれる、安心のにおい。

ひさしぶりにそとの世界を歩いてみたら、感覚が研ぎ澄まされていて、川の流れる音、遠くの田んぼを機械で耕す音、いろんな音をひろっていることに気づく。
そして、世界にはこんな色があるんだ、という驚きと発見、こんな色でできている世界はなんて美しいんだという感動があった。

特別写真には撮ったりしない、こういう景色が、どこかでわたしのこころを支え、そのいちぶとなっているんだろう。
そう思うと、じぶんの人生には、今ここにある景色には、大切なものしかない、そんな気がしてきた。
形に残るものよりも、目で見ているもの、耳で聞いているもの、こころで感じているもの…
そういうすべてが、ほんとうは大事なんだ。

うしろをふりかえれば、どんな素晴らしい景色が広がっているかわからない。
ひょっとしたら、そういうものを見逃して、ひとり悶々と悩んでいるのかもしれない。
でもそれでもいい。
あれもこれも、すべてを知ろう、見ようとしなくていい。
目の前にあるもの、今じぶんの世界にあるものが、わたしにとって必要なものだから。
いずれ必要であれば、わたしの目の前にやってくる。
それを待っていてもいい。

ということで、あしたからまた、冬を生きる人間に戻るとしましょう。
だって冬を乗り越えて迎える春の喜びを味わえることも、人間を生きている意味だから。

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