どこへでも行ける、このいっぽを重ねていけば。
最近のわたしの傾向として、
夜22時をすぎてこのnoteを書きはじめる
↓
0時すぎに就寝
↓
朝ゆっくり起きる(起きられない)
↓
朝のルーティンをしているうちに昼になる
↓
予定していたおでかけがお昼すぎになる
あまりよくない習慣というかリズムをつくってしまっている。
毎日おでかけがあるわけではないから、これはきのう、今日のスケジュールではある。
でもおでかけがなかったとしても、ちゃんと朝の瞑想にリアルタイムで参加したいし、朝のルーティンは朝やるからきもちがいいのだ。
瞑想もモーニング・ページもやりたくてやってはいる。
ヨガも、2月の目標にしたから朝できなくても1日のどこかでやるようになって、むしろ夕方にやるときもちいいなという発見もあった。
ただ、やっぱりじぶんには大切にしたいことがあるからこそ、力を入れたいことが見つかったからこそ、時間の使い方を新しくしないといけないときなんだと思う。
今までは、母といっしょにテレビを観てあげたいなあ〜とか、母といっしょにすごす時間を優先させていたように思う。
「このドラマは観たくない」とか、「スーパーのお惣菜は食べたくない」とか、どうしても“ワガママ”に思えて言えなくなる。
どうしたいかを言うことは、ワガママなんかじゃない、そうわかってるのに。
今朝も、そんなじぶんのために時間を使ってあげられなかったことで、結局一番大切にしている瞑想の時間に母が部屋に入って来て、「いつでかけられるの?」と聞いた。
母はわたしが答えなかったことに、“じぶん勝手”と言った。
瞑想が終わってから「瞑想の前にいつでかけられるか伝えられたらよかったけど、わたしにとって瞑想はいのちの次くらいに大事だから、『じぶん勝手』と言われるのは悲しい」と伝えた。
今回はちょっと怒りでわあーっとなっちゃって、「わたしがきもちを伝えてるのに、茶化さないでよ!」って感情的になるところもあった。
結局わたしがわたしの時間を大切にしていないということに氣づくきっかけだったと思う。
“わたしはこれを大切にしたい”が言えなかった結果だなと思う。
それにじぶんが“行動”として反省することはあっても、やっぱりじぶんの大切にしたいことやきもちを伝えることが、ワガママには絶対ならないんだと思った。
日進月歩でちゃんと進んでいる。
わたしが辿り着きたいところまで、あと何歩で行けるのかな?
でも、いっぽいっぽ踏み出していれば、重ねた一歩は、必ずそこへ連れて行ってくれる、いつの日か。
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